俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

女の優位性

2009-01-27 15:56:26 | Weblog
 前回「男は実験体」だと決め付けた。これは決して胎児の総てに「割れ目」があるからだけではない。
 男は女を美しいと感じる。男性誌の表紙は大抵が美女だ。一方、女性誌の表紙も殆んどが美女だ。結局、男も女も女が美しいと思っている。
 男は女に触りたがる。女の体がすべすべして柔らかく心地良いからだ。一方、女は男に触りたがらない。むしろ女同士で手を繋ぐことのほうが多い。痴漢は世界中に蔓延する犯罪だが「痴女」は珍しい。つまり男も女も女のほうが触れて心地良いと考えている。
 女は排泄器と生殖器が分かれているが男は分離していない。猿は人間より頭の毛が3本少ないから下等動物だという話を昔聞いたが、穴が1つ少なく機能分化が不充分な男は下等動物だ。(勿論これは冗談)
 一方、最高の賢者も最高の芸術家も多分男だろう。しかしこれは男のほうが優れているからではなく男のほうがバラツクからに過ぎない。男は実験体だから個体差が大きい。凶悪犯罪者は圧倒的に男のほうが多い。不良品で問題を起こすメーカーより不良品を殆んど出さないメーカーのほうが信頼されるように、バラツキの少なさこそ女の優位性の証だ。

管理部門の暴走

2009-01-27 15:43:11 | Weblog
 企業には営業部門と事務部門がある。事務部門は管理部門と企画部門に分類できる。
 管理部門が暴走すると企業が駄目になる。管理部門は営業部門と企画部門に高過ぎる目標を押し付ける。高過ぎる目標は当然ながら達成されない。目標を達成できなければそれぞれの部門の長は肩身が狭い思いをする。その負い目に管理部門はつけ込む。
 営業部門が収入に対して責任があるように管理部門は支出に対して責任がある。しかし支出責任を全うすることは意外なほどに易しい。収入が不足すれば変動費部分の支出が自動的に減るからだ。例えば売り上げが減れば物流費などは勝手に減る。売上目標が達成されなければボーナスや昇給は抑制されるので人件費が減る。管理部門は何もしなくても、高い目標を他部門に押し付けるだけで収支改善に貢献したことになり地位が向上する。
 管理部門は人事権も握っている。管理部門に逆らう者は左遷されてしまう。これではまるで独裁国家の恐怖政治だ。管理部門が強すぎる企業は必ず衰退する。

希望退職

2009-01-27 15:27:19 | Weblog
 希望退職において「希望する」のは誰だろうか。普通は社員自身が希望したと考えられているが本当にそうだろうか。社員ではなく企業が希望するのではないだろうか。つまり「希望した退職」ではなく「希望された退職」が実態ではないだろうか。
 年功序列制により高齢者は若年者より給料が高い。これは決して高齢者に対する優遇措置ではなく、ただの「後払い」だ。企業としては後払いにしたほうが資金繰りが楽になるというメリットがあるからだ。
 後払いの約束を反故にするために、業績の悪化した企業は希望退職者を募る。数ヶ月分の賃金相当額を退職金に上積みをして募る。退職に応じれば働かずに上積み金を貰える訳だから魅力を感じる労働者もいるだろう。しかしこれは本来払うべき給料の踏み倒しでしかない。
 そもそも給料の高い高齢者が本当に希望して退職するものだろうか。希望して退職するのは起業やスカウトなどでの優雅な転職者か家庭の事情でやむを得ない人以外では殆んど無かろう。閑職に追い遣られ、周囲の冷たい目に耐えられず希望退職を選ばざるを得ない人が大半ではないだろうか。
 木の幹を守るためには枝は犠牲にならざるを得ないとか、愛社心があるなら共倒れになるのを避けるために身を引けとかいった理屈が罷り通るが、約束を反故にしようとする企業のために自分が犠牲になる必要は無いだろう。但し沈没しそうな船なら賢いネズミは素早く逃げ出そうとするだろう。

生きている

2009-01-20 13:47:59 | Weblog
 私は「手のひらを太陽に」という歌が嫌いだ。楽天的で脳天気な子供騙しの歌詞だと思っている。明るく健全で、しかも何も考えない人に好かれそうな歌だ。この歌を知らない人もいるだろうからこの歌詞を掲載する。
              *             *
 僕等はみんな生きている 生きているから歌うんだ
 僕等はみんな生きている 生きているから悲しいんだ
 手のひらを太陽に透かしてみれば 真っ赤に流れる僕の血潮
 ミミズだってオケラだってアメンボだって みんなみんな生きているんだ 友達なんだ
              *             *
 この歌の最後のフレーズが許せない。「ミミズだってオケラだってアメンボだって」のところを「ゲジゲジだってムカデだってゴキブリだって」に変えたらどう感じるだろうか。とても「友達」とは思えないだろう。
 もっと極端に「ペストだってコレラだって水虫だって」と変えたらどうだろうか。ウィルスも細菌も生きている。そんなものと「友達」になどなれるものだろうか。
 あるいは犯罪の被害者の遺族なら加害者が「生きている」ということ怒りを感じるだろう。「生きている」ことだけを共通項にして「友達」になれる訳が無い。
 この歌詞には胡散臭さを感じる。それは「世界は一家 人類は兄弟」とか「世界人類が平和でありますように」といったお題目を見たときに感じるのと同じものだ。 

非正規雇用労働者

2009-01-20 13:33:57 | Weblog
 派遣労働者の問題にばかりマスコミは注目するがパートやアルバイトという労働弱者もいる。
 派遣労働という仕組みはマスコミが言っているような格差を拡大する仕組みとは言い切れない。むしろアルバイトこそ低賃金と不安定雇用の温床だ。
 派遣という仕組みが無くなったら企業はどう対応するだろうか。使い捨てのアルバイトを増やすだろう。派遣のほうがアルバイトよりも賃金が良いのは労働者派遣企業がそれなりに頑張って存在意義を持っているからだと思う。
 今回の不況で「派遣切り」が問題となったが「派遣」というシステムが消滅すればアルバイトや日雇いといったもっと悪い仕組みがはびこるだけだ。
 多くの企業が新卒採用という姿勢を取り続ける限り、雇用と労働のミスマッチは避けられない。一方には人材不足に悩む企業があり、また一方には意欲も能力もありながら就労できない個人がいる。このミスマッチを解消する方法として派遣労働制度は意義がある。試用雇用が認められない企業が優秀な派遣労働者を自社の正社員にすることは、その企業にとっても個人にとっても大きなメリットがある。実際、派遣労働者から正社員になった人も少なくない。
 問題があれば破壊すれば良いと安易に考える人が多いが破壊によって問題が一層大きくなる恐れがあるということを忘れてはならない。

男は実験体

2009-01-20 13:15:56 | Weblog
 人間の本来の形態は女だろう。女が完成体であって男は「実験体」でしかない。英語でmanからwomanが派生したり、聖書でアダムからイヴが生まれるのは間違いだ。本来の人間は女であり男は有性生殖を通じて進化を促すための実験体でしかない。より優れた種族へと進化するための道具に過ぎない。
 男である私にとって自らを実験動物のような存在とするような考え方は受け入れたくない。しかし残念ながら事実と認めざるを得ない。
 胎児の股には総て「割れ目」がある。女はそのまま成長し、男は割れ目を継ぎ合わせる。頭蓋骨以外で継ぎ目があるのは男性性器だけだろう。
 男を実験体と考えれば多くのことが納得できる。男のほうが個体のバラツキが大きいことや男のほうが死にやすいことなどの特徴は男が所詮、実験体でしかないからだ。実験体は多様なほうが進化の可能性が高まる。
 本来の人間である女は危険な変異などをする必要は無い。変異は実験体(男)に押し付けて自分は現状でのベストを維持すれば良い。女のほうが個体差が小さいのはこんな事情からだろう。
 変異は適応を生む場合も不適応を生む場合もあるが、不具合を招く場合のほうが多いだろう。変異によって現状以上に適応した個体になる可能性は多分1%以下だろう。しかしそれでも充分だ。運良く環境に適応した実験体は生殖をする機会を与えられて子孫を残し、不適応となった実験体は淘汰される。下手な鉄砲も数打てば当たる。これが人類の進化を促す。

地球温暖化(2)

2009-01-17 15:52:06 | Weblog
 冬になると「地球温暖化」の話を余り聞かなくなる。多分、寒い冬には「もっと暖かくなってほしい」と考える人が多いので温暖化がポジティブに受け取られる恐れがあるからだろう。
 しかしこのやり方はずるい。環境問題はあくまで理性に対してロジカルに訴えるべきであり、感性に対して感情的に訴えるべきではない。
 私が「地球温暖化」を眉唾ものの似非科学だと感じるのはこんなやり方をして恥じないからだ。理論として正しいなら夏だけではなく年中、堂々と主張すべきだ。大衆の感情に訴えるやり方は霊感商法や催眠商法と同じ卑劣な手口だ。
 理論的整合性を欠いているからこそ論理を避けて感情に訴えようとする。根拠の乏しい理論ほど人の感情のブレを利用しようとする。これはヒットラーが夕刻に的を絞って演説したのと同じ手口だ。
 本当に地球温暖化が危険ならこんな姑息な手段を使わずちゃんと筋道を通して説明すべきだ。「南洋の島が水没する」と彼らは騒ぐが日本の潮位が上がったという話は全く聞かない。島が沈むほど海水量が増えれば日本の海岸線も大きく変化する筈だがそんな兆候は見えない。環境活動家たちはシーシェパードと同様、良い嘘なら許されると考えているのだろうか。

病気

2009-01-17 15:41:00 | Weblog
 「代理ミュンハウゼン症候群」という聞き慣れない病名が報道されている。これは京大病院で、自分の子の点滴に異物を混入した母親に与えられた病名だ。つまり一所懸命に世話をする親を演じるために子供の病気を悪化させることも厭わないという病気らしい。今後、裁判になれば弁護士は「病気なのだから罪は無い」と主張するだろう。
 名付けただけで分かったつもりになる人間の性癖のくだらない実例だ。
 もし父親殺しを「エディプスコプレックスにより」とか少女暴行を「ロリータコンプレックスにより」行われた犯罪として無罪を主張して誰が納得するだろうか。
 人間の心は分かりにくい。しばしば不合理な行動をする。それを理解するために多種多様な「コンプレックス」や「症候群」が想定されるがこれらは単なる「解釈」であって「病気」ではない。
 そういう例があったということだけを根拠にして安易に病気をでっち上げるべきではない。「無差別殺人症候群」といった病名が捏造されたら裁判は一体どうなることだろうか。

殺生

2009-01-17 15:28:55 | Weblog
 殆んどの宗教は殺生を嫌う。殺生を否定することはそれなりに正しい。しかし「生きるために殺生をしなければならないから人間は罪を背負っている」と言われると「戯言を言うな!」と声を荒げたくなる。
 人間は動物か植物を食べなければ生きて行けない。常食される鉱物は多分、塩(塩化ナトリウム)だけではないだろうか。
 人間が生きるためにせざるを得ないことを「罪」と主張するのは犯罪的なほど不合理だ。これは「便を出すから人間は本質的に汚い」とか「排泄器を使うから生殖は醜い」とか主張するようなものだ。
 このこと以上に怒りを感じるのは彼らの隠された意図の存在だ。唯一実在する「この世」を誹謗中傷することによって彼らの説く「架空世界」の魅力を高めようとするからだ。彼らの撒き散らかした戯言のせいで「この世」を否定しようとする人は決して少なくない。
 殺生を戒めるだけなら構わない。いや大いに結構だ。しかしそれを利用して妄想の世界へと人を引きずり込むのは止めてもらいたい。

易姓革命

2009-01-13 13:33:51 | Weblog
 中国には易姓革命という思想がある。統治者が「徳」を失うとそれが天災や飢饉を招く。平安を取り戻すためには現在の王朝を倒して新しい王朝を立てねばならないという考えだ。
 勿論、王の徳と天災とは何の因果関係も無い。庶民のやり場の無い怒りに乗じて野心家が権力を奪おうとするだけのことだ。
 麻生内閣の不人気もこれに似ている。麻生内閣はまだ何もしていない。何かしようとしても民主党の抵抗に会うから何もできないと言ったほうが適切かも知れない。多数の失言と放言はあるが失政はまだ無い。従来からの路線に乗っているだけだ。
 勿論、何もしないからダメだという見方は可能だ。解散はしないし雇用対策も不充分だ。しかし韓国などの多くの国のような通貨暴落という事態には陥っていないだけマシだ。通貨が暴落した国では不況下のインフレという悲惨な事態を招いている。もし日本の通貨が値下がりすれば、食料自給率40%の日本では食品の値上がりで生活は無茶苦茶になる。
 サブプライム問題をきっかけにした景気の低迷の責任を現在の統治者に押し付けることは決して合理的ではなく、少しだけだが可哀そうな気がする。