俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

退職後農家

2013-03-30 09:15:54 | Weblog
 現在65歳と言われている専業農家の平均年齢は今後更に高齢化すると予想されている。私もそう考える。但し、一般に言われているのとは全然違った事情が原因だ。
 今年80歳の私の叔父は専業農家だ。しかし60歳までは高校の教師をしていた。本業は教師の兼業農家だったのだが定年退職をしたために定年の無い専業農家になった。
 実は農林水産省の統計で専業農家とされている人の9割ほどをこういった退職後農家が占めているらしい。農地を持たないサラリーマンが定年を迎えれば無職になるが、農地を持つ人は専業農家になる。この人達を専業農家と位置付けているからあらゆる統計や対策が歪なものになっている。
 従来60歳だったサラリーマンの定年が65歳まで延長されつつある。これが専業農家の高齢化を促す。これまでは60歳から専業農家になっていた人が65歳までサラリーマンを続ける。専業農家になるのは65歳以降だ。従って専業農家はますます高齢化する。
 とは言えこれはあくまで統計上での話だ。今後5年間、専業農家が減り兼業農家が増えるのも統計上でのマジックに過ぎない。5年経ったら専業農家が増えて高齢化が進むことも統計上でのことだ。実態は何も変わらない。
 将来の日本の農業を考える場合、本当の専業農家と退職後農家とを区別して考える必要がある。将来を担うのは本当の専業農家であって、圧倒的多数を占める退職後農家ではない。補助や補償の対象を絞り込んで本当の活性化を目指すべきだろう。

抗鬱剤

2013-03-30 08:49:37 | Weblog
 他の大半の病気と同様、鬱病も薬では治らない。対症療法に過ぎないからだ。SSRIなどの抗鬱剤は脳に直接働いて一時的に気分を快適にするだけだ。麻薬と大差は無い。こんな薬を長期間服用していれば依存症になってしまう。
 抗鬱剤は鎮痛剤に似ている。関節炎を起こした時に治療をせずに鎮痛剤で痛みを誤魔化していれば炎症は悪化する。たまに鎮痛剤で治ったように錯覚するのは、痛みを誤魔化している間に自然治癒力が働いたからに過ぎない。同様に抗鬱剤で気分だけを良くしていても治療効果は無い。薬で誤魔化している間に自然治癒力が働かなければ、本当の原因に対処する必要がある。
 本当の原因を無視して偽りの安楽を得ようとすることはオカルトと似ている。医療をオカルト扱いすることは極論と思われるかも知れないが、病気の原因を宿業や祟りと考えて御祓いをするのと、抗鬱剤で一時的な安楽を得るのは同じようなものではないだろうか。どちらも迷信だ。もしかしたら医学という形式を纏っている分、抗鬱剤のほうが一層悪質なのかも知れない。科学を装うオカルトはタチが悪い。
 本当の原因はPTSD(心的外傷後ストレス障害)であったり家庭や職場の問題であったり様々だ。これらの原因は必ずしも解決可能な訳ではないが、少なくとも薬で誤魔化して実質的には放置するよりはマシだろう。もし問題を正視して克服できたなら大きな成長に繋がるし、克服できなくても意識化するだけで神経症的な反応は軽減されるだろう。
 昨日(29日)厚生労働省が、18歳未満に対する抗鬱剤の投与を慎重に検討するよう指示したが、大人に対する投与も見直すべきだろう。抗鬱剤は治療薬ではないのだから、その場凌ぎのカンフル剤としての使用が望ましい。

都会と地方

2013-03-28 09:13:24 | Weblog
 1票の格差の違憲判決が相次いでいる時だからこそ敢えて逆の意見を書く。1票の格差はあるべきだ。そうでなければ都会と地方の格差は広がる一方だ。
 違憲との判決は正当だ。憲法や法律に従う限り1票の格差は認められない。だからこそ憲法も法律も改正されるべきだ。
 例えば沖縄の人口は約140万人で東京の人口は約1300万人だが、東京に沖縄の10倍の国会議員が必要だろうか。人数だけで決めれば地方は差別される。沖縄のように在日米軍基地などの特殊な事情を抱える地域が有権者数相応の発言権しか持てないのは悪平等だ。アメリカの上院の1票の格差は66倍もあるそうだ。これは州の代表と位置付けられているからであり、日本の国会議員も都道府県の代表と人口比例の代表という2種類があって然るべきだろう。
 マスコミは東京偏重だ。東京に豪雨や雪があればニュースは東京一辺倒になる。他地域の住民はニュースを見る楽しみが奪われる。これは権利の侵害だ。他地域の住民にとっては東京の降雪などニューヨークの降雪と同程度のニュースバリューしか無い。
 法律も都会偏重だ。飲酒運転の厳罰化は都会生活者の事情しか考えていない。電車のある都会人は外食店で飲酒をしても良いが電車の無い田舎者は家で飲めという法律は地方人に不便を強いる差別だ。
 何でも頭数で決めようとするのは多数者による横暴だ。人数だけで決めるのは決して民主主義ではない。人数は1つの重要な要素に過ぎずそれだけを基準にすべきではない。
 都会は地方に比べて圧倒的に便利だ。交通も買物も情報も娯楽も都会と地方では大きな差がある。これだけ優遇されていて地方と同等の1票の重みを要求するのは厚かまし過ぎる。単純に1票の価値を同等にすることは実は不平等の拡大だ。地方住民に対する軽視だ。

自己評価

2013-03-28 08:46:42 | Weblog
 自己評価は極度に主観的なものにならざるを得ない。マナーが悪いとか言葉遣いが悪いとかいった自己評価をすることは殆んどあり得ない。人は自分の価値基準に基いて行動しているのだから自分の行動に対して否定的な評価をしない。行動が招いた結果が悪かった時に初めて反省する。
 くわえ煙草で街を歩く男も電車で化粧をする女も、自分がマナーから外れた行動をしているとは思っていない。本人の価値基準においてはどちらも正当な行為だからだ。もしマナー違反を注意されたら逆ギレするかも知れない。言葉遣いにしても本人が最も使い慣れた言葉を使っているのだから、それを下品だとか乱暴だとか言われても承服できないだろう。
 それ以上に評価が難しいのは自分の匂いだ。人は自分の匂いを知覚できない。あるいは表情や仕種のような癖も自分では分からない。他人に指摘されて初めて気付く。
 一部の犯罪者も悪いことをしたとは思っていないのではないだろうか。家族を養うために万引きをすることはたとえ刑法上の犯罪ではあっても人道には背いていないと考えるのではないだろうか。
 更に困ったことに人は自己是認をする方向に情報まで歪めてしまう。自分の考えと合致することしか耳に入らず合致しないものは門前払いをしてしまって意識には届かない。人は自分の知りたいことだけを知るものだ。
 西洋人の70%が自分は平均より賢く明るく繊細だと考えているらしい。謙遜を美徳とする日本人はそこまで自信過剰にはならないだろうが、自己評価の高過ぎる人は周囲にとっては迷惑だ。
 その反面、自己評価の甘さは人を幸せな気分にさせる。正し過ぎる自己評価のせいで鬱病に苦しんでいる人もいるのだから、甘い自己評価は生存のために必要な性質なのかも知れない。
 正しく自己を評価することは難しい。自分のことは自分が一番よく分かっているなんて幻想だ。自分を知るためには他人の意見に頼らざるを得ない。

攻撃

2013-03-26 10:45:10 | Weblog
 動物界における「適者生存」とはどういう意味だろうか。多くの人は「弱肉強食」で強い者が生き残るというイメージを持つがそれは誤りだ。周囲を見れば多くの弱い動物が生きている。現存する動物は総て厳しい生存競争を生き抜いた適者だ。動物の適応方法は様々だ。
 適者はまず種族内と種族外で分けて考える必要がある。種族内競争において強者は餌や縄張りの獲得において有利だが、それよりも重要なのは繁殖能力だ。鳥類で際立った例が多数観察されるメスによるオス選びで勝てなければ子孫を残せない。
 種族外競争でも強ければ良いという訳ではない。戦えば自分も怪我をする恐れがあるから、むしろ戦わずに済む逃げ足の早さのほうが有利だろう。
 他の個体を殺さねば生きられない肉食動物は決して好戦的な獣ではない。必要最小限の殺戮しかしない。種族内であれ種族外であれ、肉食動物同士で戦うことは少ない。戦えば怪我をするからだ。
 コンラート・ローレンツの報告に拠れば、狼同士の喧嘩には歯止めがあるが、ハトの喧嘩には歯止めが無いそうだ。ハトは一旦喧嘩をすれば徹底的に情け容赦なく相手を痛め付けてしまうそうだ。狼のような殺傷力の高い動物には種族内での殺戮を抑制する本能が備わっているが、草食動物などのように強力な武器を持たない動物には本能としての抑止力が備わっていないようだ。
 人類も多分草食動物から雑食動物へと進化したものと思われる。そのために攻撃に対する抑止力が本能として備わっていない。だから無用な戦争や殺戮が無くならない。今更、進化を遡ることなどできないのだから、抑止力を欠いた困った動物であることを理解した上で、社会としての仕組みを作る必要がある。強い武器を獲得した弱い動物だからこそ人類は無用の争いをしてお互いを傷付けてしまう。

健康食品

2013-03-26 10:42:08 | Weblog
 最近、健康食品の売上が低下しているそうだ。当然のことだろう。効果を謳う健康食品ほど詐欺紛いの商品は無いからだ。
 そもそもなぜ薬ではなく健康食品と名乗らざるを得ないのか。それは非常に簡単な理由であり、有効性が無いことが証明されているからだ。もし本当に効果があれば薬として売れる。薬効が無いから美辞麗句で飾り立てて健康食品と称しているだけだ。これを消費者が「薬ではなく自然食品だから安全だ」と誤解しても誤解したほうが悪い。業者は特異な例を挙げて効果があるかのように見せかけるがその内容は曖昧であり、これは詐欺師が「消防署のほうから来ました」と言って消防署の職員と勘違いさせるのと同じ手口だ。
 科学的に否定された偽薬は何らかの付加価値を付けなければ売れない。それが馬鹿高い価格だ。世の中にはお目出度い人がいて高い物なら良い物に違いないと勝手に考える。こんな人を騙すために非常識なほど高い価格を設定してボロ儲けをする。数が捌けなくても粗利益額が多ければ充分にビジネスとして成立する。
 薬ではなく自然食品だから安全だ、実際に薬効のあった人がいる、高価だ、これらは総て錯覚に導くための詐欺紛いの手法だ。
 逆に健康食品が原因とされる健康被害は多発している。特にダイエット系の食品で頻発しているそうだ。痩せることは易しい。病気に罹れば大抵痩せる。内蔵機能に障害を与える有害物を食べさせればほぼ確実に痩せる。これを健康食品の効果だと彼らは嘘を言う。
 最近では詐欺紛いから更に進化して本当の詐欺にまで手を出すようになった。老人宅に着払いで送り付けるという手口だ。実は私の母のところにも送り付けられたので受け取りを拒否した。元々詐欺紛いの商売だったのだから一線を越えるためのハードルは低かったようだ。

自転車事故

2013-03-24 09:48:19 | Weblog
 昨日(23日)の朝刊の全面広告には驚いた。「知ってるかな。自転車事故の2/3は、自転車側の違反なんです。」という見出しだった。そのとおりだとは思うがなぜJA共済がこんな広告を掲載するのか分からないし、変な文章だと思う。「知ってますか」とすべきだろう。しかも違反の例も頂けない。「一時停止、無視」と「二人乗り」と「二台並んで」と「夜に、無灯火」が挙げられているが、一番の原因と思われる「信号無視」が抜けている。
 田舎に引っ越してから、毎日1時間ほど自転車に乗るようになり、自転車族の生態を否応無く見ているが、歩行者として見ていた時以上にその酷さを痛感する毎日だ。一部の自転車は交通ルールを守ろうとする気さえ見られない。多分ルールが存在することさえ知らないのではないかと思えるほどの傍若無人ぶりだ。子供の頃に道路交通法の存在さえ知らないまま自転車を乗り回して、その延長で乗っているように思える。まるでジャングルの奥地から出て来た野蛮人が街で勝手気ままに振舞っているようなものだ。
 今月4日に大阪の阿倍野筋で自転車同士の衝突事故があり、女性教諭が頭を打って死んだ。被害者を鞭打たないという日本独特のルールからこの事故の原因は曖昧にされているが、女性の信号無視が原因だろう。
 自転車の危険性についてこれまでに何度も書いたが、もうそんな贅沢は言っていられないという気分だ。他のことはどうでも良いから自転車の信号無視を早急になんとかすべきだろう。今の状態は文明国に野生動物が放たれているようなものだ。ルール無用で道路に飛び出す獣を撥ねる自動車に罪は無い。自転車の信号無視を無くすだけで自転車事故は半減するだろう。

麦の自給率

2013-03-24 09:17:27 | Weblog
 13日に「麦の関税」を書いた時点ではマスコミや野党に期待していた。僅か10%程度の自給率しか無い麦の関税を守ろうとする自民党の欺瞞性をどこかが暴いてくれるだろうと期待していた。あれから10日以上経つがまだ誰も指摘していない。
 国民は麦の自給率が10%程度でしかも大半が粗悪品であることなど知らないのだから批判しなくても当然だ。知らなければ批判はできない。
 しかし野党もマスコミも国産麦の品質や自給率、あるいは農林水産省の省益追及について知っている筈だ。もし知らないのならこれもまた困ったことだ。知っているのに国民に知らしめようとしないことに私は絶望感を覚える。社会そのものが腐っているということだからだ。農水省と農協の悪事を指摘することはこの国ではタブーになっているのだろうか。
 多分、国産の麦の半分程は北海道などで真面目に作られている作物だろう。残りの半分は米の転作地のアリバイ作りに使われているクズ麦だろう。転作地では麦ではなくアリバイが作られている。
 もし前者を守ろうとしているのなら、国内市場の僅か5%を占めるに過ぎない麦を聖域化しようという暴挙だろう。後者は全く守るに値しない。他の作物に切り替えれば済むことだ。どちらにしても聖域化する理由は無い。守られているのは農水省と農協の利権だけだ。
 繰り返して主張する。麦は元々10%程度の自給率しか無い。こんな物を関税によって守って国民負担を増やす必要は全く無い。もっと守るべきものはあるだろうし、これは農水省の利権の維持にしかならない。国民は官僚と政治家に騙されている。

詐病

2013-03-22 11:01:56 | Weblog
 2018年4月から精神障害者の雇用が義務付けられるようだ。昨日(21日)、厚生労働省は障害者雇用促進法改正案をこの4月にも国会に提出すると発表したが、こんな法律は間違い無くザル法になり、精神障害者の雇用には全く結び付かないだけではなく医療財政を更に悪化させるだけだ。見直しが急務だ。
 精神障害者の大半は、脳波や心電図や血液を検査しても識別できない。自己申告に頼るしか無い。従って幾らでも詐病が可能だ。
 企業側としては、重度の障害者を雇って酷い目に会いたくないから、少しでも軽症の障害者を雇いたがる。ここで詐病者と企業の利害が一致する。詐病者は元々病気ではないのだから健常者と全く変わらない。企業としても限りなく健常者に近い障害者は大歓迎だ。こうやって精神障害者の雇用枠が埋められる。
 詐病者は2つの顔を使い分ける必要がある。企業に向けては健常者として、病院に向けては病人としての顔だ。
 主に2つの病気が選ばれるだろう。睡眠障害と鬱病だ。睡眠障害かどうかは同居する家族にしかチェックできない。従って「眠れない」と申告するだけで病人として認定される。鬱病も同様だ。鬱病らしい症状を訴えさえすれば鬱病と診断される。
 詐病が増えれば健康保険の無駄遣いも増える。元々必要の無い薬なのだから処方された薬はゴミ箱へと直行するだけだ。こうしてゴミまで増える。
 こんな馬鹿げた事態を招くのはルールが悪いからだ。雇用を義務付けるから企業も個人も抜け道を探す。雇用の義務付けではなく雇用を奨励して奨励金を支給するように改めればここまで酷いことにはなるまい。

異性の匂い

2013-03-22 10:32:21 | Weblog
 「パパは臭い」という言葉を使ったCMが幾つかある。可愛い娘から臭いと思われたくないのはどの父親にとっても共通の思いであり、娘に嫌われたくない父親は体臭を改善しようと心掛ける。しかし娘にとって父が、息子にとって母が臭く感じるのは良いことだ。近親相姦を防ぐために役立っているからだ。
 どんな動物にとっても親子や兄弟・姉妹を異性と感じることは好ましくない。近親交配が頻発するからだ。近親交配は種としても個体としても不都合を招く。
 種としては多様性を損なうことだ。多様性を欠いた種は変化に弱い。均質化した種は現在の環境に過度に適応しているために環境が変われば絶滅しかねない。多少バラついていればその変化に強い個体がいるので種としての絶滅を免れられる。
 個体としての不都合は劣性遺伝が発現してしまうことだ。「劣性」とは決して劣っているという意味ではない。最近では「不顕性遺伝」という言葉も使われているように、遺伝子が重ならない限り発現されない特性だ。人類では血液型のO型や金髪や一重瞼などが劣性遺伝だ。但し血友病や色盲のように不都合な遺伝もありこれらの場合は生存競争において不利だ。
 私は長年、なぜ動物界で近親交配が起こりにくいのか不思議だった。子供にとって最も身近な異性は親であり、近親交配を防いでいるのは年齢差なのかとぼんやりと考えていた。しかしこれでは兄弟・姉妹による近親交配を防げない。どうやら匂いに秘密があるらしい。本来、好ましい筈の異性のフェロモンが近親者の場合は不快に感じられるように本能に組み込まれているようだ。このことが最近、異性の汗の染みたシャツを嗅ぎ比べる実験によって確認された。
 自然界の仕組みの巧妙さに改めて感心する。そのために娘にはパパは臭く感じられるのだから、種族の繁栄のためと思って諦めるしか無かろう。