俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

不戦

2016-01-04 10:43:44 | Weblog
 ガンジーは非暴力を貫いてインドの独立を勝ち取ったと学校では教わったが、肝腎のもう1つの柱が無視されている。それは「不服従」だ。ガンジーの独立運動は決して「無抵抗主義」ではなかった。同様にウィグル族であれクルド族であれ、綺麗ごとで現状を改めることはできない。
 「話せばわかる」は幻想だ。利害が対立すれば話し合っても分かり合えない。暴力団の横暴を抑止できるのは話し合いではなく国家権力の暴力装置だ。
 国際社会において国際警察など存在しない。国際司法裁判所でさえ碌に機能しない現状で警察力による秩序などあり得ない、それぞれの国が自国民を守らねばならない。
 抵抗しない児童はいじめの対象にされる。たとえ微力であっても抵抗することによっていじめは抑制される。
 国のレベルで「応戦しない」と宣言することは気違い沙汰だ。いざとなれば応戦するという意思を表示することが抑止力になる。全然好ましいことではないが、核兵器を相互に持つことも抑止力になっている。お互いに喉元に匕首を突き付け合った状態であればどちらも攻撃できない。不幸な形ではあるがガラスの平和が維持されている。
 年末年始のお節料番組でAKB48の「僕たちは戦わない」を初めて聞いて何と能天気な歌かと呆れた。所詮子供の歌だから本気で問題にする値打ちなど無いが、歴史から何も学んでいない。
 なぜ第二次世界大戦が起こったのか。これはあくまで通説だが、ナチス・ドイツがオーストリアを併合し、更にチェコスロバキアやポーランドに侵略したからだ。この間、英仏はどう対応していたか?口先介入の弱腰外交に終始した。余りにも悲惨だった第一次世界大戦後の厭戦気分が蔓延していたために何としても戦争を回避しようとした。その間にドイツは戦力を充実させてヨーロッパ全土を制圧しそうになり、その時ようやく英仏が宣戦布告をした。しかし時既に遅く、ドイツ軍の前にフランスまで降伏をする破目に陥った。
 英仏はどこで誤ったのか?手に負えなくなるほど強力になる前に叩くべきだった。火種の内に鎮火を図るべきだった。そうしていれば局地戦争で収まっていた。戦争回避の姿勢が第二次世界大戦を招いてしまった。
 どんなスポーツであれ、不戦を申し入れれば不戦敗になる。引き分けや不戦勝になることなど無い。戦わないためには露骨に厭戦を示さずいつでも戦えるという強気の姿勢を誇示して相手の戦意を抑えねばならない。
 スプラトリー(南沙)諸島に中国が人工島を作って実効支配をすることになったのは、フィリピンが戦わなかったからだ。勝ち目の無い戦いを避けることはその国にとっては正しい判断だが、このことによって中国の横暴はますます酷くなった。窮鼠が猫を噛むこともあり得るということを態度で示さなければ悪党が増長する。
 

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