俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

育児(2)

2014-10-31 09:47:39 | Weblog
 昔と比べて家事は随分楽になった。炊事・洗濯・掃除は家電などによって極端に省力化された。外食と中食が発達したお蔭で男の一人暮らしでも食事に困らない。洗濯で人力が必要なのは干して畳むことぐらいだ。掃除に至ってはロボットまで登場した。このように家事が楽になったから主婦業も楽になったと思われ勝ちだがそれは大切な要素を見落としている。機械化できない育児は昔よりも却って大変になっているからだ。だからこそ女性の6割が第一子出産を機に退職している。これは決してマタハラだけが原因ではなく本人の意向でもあるだろう。
 昔なら駄々をこねる子供に対して親が「お巡りさんを呼ぶよ」と脅したものだが、今では泣き止まない子供がいれば近隣住民が通報して親が児童虐待で処罰されかねない。子供のために有害と思える情報も親が遮断できずパソコンやスマホからフリーパスの状態だ。こんな状況で親は責任を果たせるものだろうか。知育・体育・徳育・食育のどれも困難になっているが、特に徳育は不可能に近い。宗教を持たない現代の日本には道徳の規範が無い。せいぜい「優しく親切」とか「誰からも好かれる」とかいったことしか指導できない。こんな八方美人が理想になり得るのだろうか。大人になってから角が取れるのなら良いことだが、こんな個性の乏しい老成した「良い子」は多分、成熟できまい。
 こんな状況で最も大切なことは親が模範を示すことだ。カルガモの親子に見られるように鳥類のヒナは生まれて初めて見た大きな動くものに従う。これを「刷り込み」と言うが、人類にも似た性質が備わっているようで子は親の模倣をしたがるものだ。女児のママゴトがその典型例だが、親が良い模範にならなければ子は悪い物真似をする。3世代が同居していれば父母が祖父母を大切にすることを見せることもできようが、核家族化すればそれは困難だ。
 他の家事とは違って育児は機械化できないしマニュアル化も不可能であり臨機応変に対応することが必要だ。仕事と育児の両立など無理だ。外で働くことばかりを推奨する現在の風潮は育児放棄の奨励と思えてならない。育児こそ人が全身全霊を注ぎ込むに値する最もクリエイティブな仕事だろう。息子を育てることに全力を注ぐ父親を描いた少年漫画は飛雄馬を育てた星一徹(「巨人の星」)など意外に多い。

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