俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

客観的事実

2012-10-22 10:55:34 | Weblog
 当り前の話だが知覚は主観的なものだ。主観的な情報を客観的な情報にするためには他者からの情報が欠かせない。自分が持っている情報と他者から得た情報を統合することによって客観的情報が得られると無邪気に信じられ勝ちだ。しかし他者の情報も所詮は他者の主観的情報に過ぎない。
 例えば地平線近くの月は天空にある月よりも大きく見える。これは人類に共通した錯覚だ。皆がそう言うからと言って、月が地平線近くで大きくなる訳でもなければ、地平線近くで地球に接近する楕円軌道を描いている訳でもない。このように全員が同じように知覚するからと言ってそれが正しいとは限らない。「地平線近くの月は大きい」は誤りであり「地平線近くの月は大きく見える」が正しい。地動説や進化論が長い間否定されたのも同じような事情からだ。
 このように多くの人の主観が一致しても客観的事実にはならない。増してや現代人はマスコミに騙され勝ちだ。視聴者は2種類しかいないようにさえ思える。マスコミの報道を鵜呑みにする人と、最初から信用していないので「またか」という思いで空騒ぎを無視する人だ。このままではマスコミは嘘を垂れ流し続ける。多少青臭く、蟷螂の斧のような虚しい行為かも知れないが真面目にマスコミ批判を続けることが必要だろう。

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