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俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

「ある」の証明

2013-05-18 09:51:52 | Weblog
 16日付けの「証明責任」で、「ある」か「ない」かの証明責任は「ある」の側にあると書いたが、「ある」の証明が簡単過ぎるために誤った情報が蔓延している。効果、危険、副作用などだ。
 健康食品の宣伝で「私はこれで○○が治りました」という体験談が多く使われる。元々嘘なら論外だが、多くは事実に基づく。しかしこれは証明とは言えない。他の要因が余りにも多過ぎるからだ。これは「日本人は米を主食にしているから長寿だ」と決め付けるのと同様、非科学的だ。きっちりとエビデンス(統計的証拠)に基づくべきだ。
 事故についても騒ぎ過ぎる。たったの1例では危険性が証明されたことにはならない。事故が起こる度に公園からは遊具が撤去されている。これでは砂場しか残らない。「△△は有害だ」という記事もしばしば目にするが、これのどうしようもなく駄目な点は「量」を無視していることだ。かつてコゲに発癌性があると騒がれたことがあった。あとから調べて分かったことだが、毎日コゲだけを食べ続けて初めて幾らか危険になるというレベルだった。ダイオキシンも微量なら全く有害ではない。もし騒ぎ立てたほどに有害だったら焼き鳥屋も鰻屋も病気になる。水を1度に10ℓ飲めば危険だが、これを根拠にして水を有害と言うようなものだ。
 副作用も空騒ぎが多い。そもそも薬は人体に異常反応を起こさせる劇物なのだから副作用があって当然だ。大半の薬にはメリットもデメリットもあるのだからその両者を秤に掛けることが必要だ。抗癌剤のイレッサや抗インフルエンザ薬のタミフルは副作用ばかりが騒がれたが、他の薬と比べてメリットが多くてデメリットが少ないのなら、それを使うことは誤りではない。
 「ある」ということの証明は余りにも易しいだけに、「ある」ということだけを根拠にした情報には充分な注意が必要だ。

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