俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

民主的

2016-10-12 09:52:13 | Weblog
 10日付けの朝日新聞の「天声人語」は国民投票の問題点について書いていた。日本の「文化人」を代表する朝日新聞として、6月のイギリスでのEU離脱や今月2日のコロンビアでの内戦和平合意の否決といった許し難い事態が続くことに対して黙っていられなかったのだろう。あるいは投票率が43.35%と50%に満たなかったために不成立になったもののハンガリーでは難民の受け入れ反対が何と98%を占めていたし、アメリカでは共和党の大統領候補にトランプ氏が選ばれた。こういう状況に対してリベラルを代表してガツンと言わなければ気が済まなかったのだろう。
 天声人語は「複雑な問題をイエスかノーかで問う手法は、危険を伴う」とし「気に入らないのは中身の一部でも白か黒かの決着しかない」ことを根拠にして国民投票という制度に対して明確に否定的な見解を示している。酷い結果を招いたのは国民投票という制度に問題があったからであり決して社会がこんな変な方向へと向かっている訳ではないと言いたげだ。
 しかしこれは国民投票という制度の問題ではあるまい。同じ記事の中で「国民投票はきわめて民主的である」と書いているとおり、逆に国民投票という制度こそ民主主義の典型的な姿であり、国民投票において露呈した問題点は民主主義の欠陥そのものだ。本当に危険なのは「多数決」という仕組みなのだが、民主主義の擁護者を自認する朝日新聞としては民主主義と多数決の欠陥を不問にして、国民投票という制度の欠陥と主張せざるを得ないのだろう。この辺りが首尾一貫して変わらない朝日新聞の嫌らしさであり実に滑稽だ。
 事実から目を背けることに終始して綺麗ごとに執着することなどもういい加減に諦めたらどうなのだろうかと思う。本音におけるエリート主義とタテマエにおける民意尊重のギャップは最早埋まらないほど拡大してしまっている。トランプ氏のように露悪的な姿勢を示す必要などあるまいが、民意など所詮偏差値50程度の凡庸な人々の総意に過ぎない。そんな低レベルな意見ではなく偏差値80のエリート集団が熟慮して導き出した結論を鵜呑みにせよと言いたくても言い出せず、ヒステリーを起こしているのではないかと思えるほど支離滅裂になりつつある。
 人は個々の案件についての正しい判断などできなくても、明らかに差がある二人の優劣の判定ぐらいなら下せる。それさえ困難な人でも既存政党が推薦した人の名前を書くぐらいならできる。その意味で間接民主制のほうが安全な政治制度だ。直接民主制では民意がフィルターを通さずに表明されるからとんでもない結論も現れ得る。今尚民主政治とは衆愚政治の同義語だ。その事実を隠蔽し続けているからこそ民主主義に対する幻想が生き残っている。このギャップが肥大して取り返しが付かなくなるまでに一度や二度破綻したほうが良かろう。それを妨害していれば単なる破綻では済まずに恐ろしいカタストロフィに向かうということにもなりかねない。