ひとり語り 劇車銀河鐵道 いちかわあつき

 ひとり語りの口演や、絵本の読み語りなどの活動をしています。
 何処へでも出前口演致します。

もうすぐ1月が・・・・・・。

2011-01-31 23:31:19 | Weblog
 もうあとわずかで1月が終わり、2月が始まります。今書き込みをしているのですがこれが終わる頃には、きっと2月です。

 ここのところ連日雪かきをしています。朝起きてみると辺りは白一色になって、坂の道には新聞配達の人の足跡と、我が家の猫テトが付けていった足跡が仲良く二つ並び、その行き先がかなりなところまで確認できるのです。

 日の当たらない坂が根雪になったり凍りついたりしないように、こまめに雪を払います。それでも、すぐに車が出せないといけないので、車は隣りのお店の駐車場に止めさせてもらっています。

 もう雪の峠は越えたようで、明日は少しばかり暖かくなりそうです。
 サッカーのアジアカップは見事日本の優勝に終わり、まだその余韻の覚めやらないところですが、明日からはプロ野球のキャンプが開幕します。
 
 世の中は日ハムの斉藤祐樹投手フィーバーで熱い報道が続きますが、ほかの有望な新人選手も多くいて、プロ野球ファンとしては期待大の年になりそうです。
 ジャイアンツの沢村拓一投手、この選手は注目度ナンバー1です。
 すでにプロとして活躍している人も多くいるこの世代、何か新しいプロ野球の時代がやってきたように感じます。

 最後は野球の話題になってしまいました。今日もあと7分になりました。おやすみなさい。

大人と子供の境目に・・・・・・。

2011-01-28 13:17:52 | Weblog
 私は一人息子の子育ての頃から絵本に親しみ、今も子供たちに絵本を読んでいるのですが、最近面白いことがあったので、書いてみようと思います。

 桂米朝・上方落語・地獄八景より たじまゆきひこ・作「じごくのそうべえ」という絵本があります。
 初版が刊行されてから33年、私がはじめて手にして読んでからも、もう20数年が経つ絵本です。

 先日その絵本を、私が携わっている朗読グループの大人の方々(年齢からして私より先輩の方々です)がやられることになり、朗読をされたのですが、この絵本の中に登場する「じんどんき」が子供たちにわかるだろうか? とおっしゃられました。え? と私は思いました。そんなことこれまでに一度も思ったことがなかったからです。
「じんどんき」は「じんどんき」じゃないんですか? と思いながら聞いていました。
 すると一人の方がおっしゃられました。
「じんどんきは、人を呑む鬼で人呑鬼でしょう。実際にそうやってるからわかるんじゃない?」
 なるほどそうだ、そうですよねえ。ちょっと考えればすぐわかることです。でも、これまでその漢字を当ててみるという発想がありませんでした。
「じんどんき」はその じん・どん・き という音の響きが面白く、歯を抜かれたりオナラをしたりすることが、ただ面白くて読んでいたのです。

 もしこれが絵本ではなくて、小説だったり大人のものであったりしたら、私はやっぱり漢字で考え、漢字を当てはめて読んでいたでしょう。が、絵本ではそれをしません。いや、出来ないんです。意味が先に来るのではなく音が先にあって、意味はあくまであとからついて来るもののようです。

 私をそうさせる大人と子供の境目、ポイントの切り替えはどこにあるんでしょう?
 自分でも謎です。

さらに読書について

2011-01-26 14:42:23 | Weblog
 世に読書家と呼ばれる人があり、文芸評論家、はたまた近頃では書評家と呼ばれるジャンルの人もいたりして、単に本というものは書かれたり読まれたりしているだけではないのですが、私なんぞはただ市井の読書好き、読書人に過ぎないわけで、それ故に備忘録としての読書ノォトは書きはするものの、別に感想なんてあらたまって書かなくてもいいかな?
 と、近頃は思っている次第です。

 とにかく読書というものは、その読んでいる時がすべてというようなところがあって、そりゃあ読後感とか、知識や教養を得るといった勉学的要素もあるんでしょうが、若い時期の読書と違い、蓄積ということにおいては、はるかに用量が小さくなっているわけで、想像力も子供のときのような無限大のものには及びようもありません。

 しかし、理解度や解釈の度合いは経験値に比例してその幅を有するようになっているので、素晴らしく紡がれた言葉の構築、つまり文体を味わうテイスティング力には長けているわけです。

 美味しい珈琲を味わうように、その文章を味わい至福の時を過ごす。
 堀江敏幸著「河岸忘日抄」を読みながら思うことです。
 あれ? これって感想の範疇です? しまった!!

最近の読書

2011-01-24 11:01:58 | Weblog
 2011年を迎え、その1月も早や24日となって、あと1週間すれば2月になってしまいます。

 この1月に何冊本を読めるかが、どうも1年を通しての読書量を占うようなところがあって重要なところなのですが、相変わらず遅読でして、どこやらのスーパー読書家さんのように1日1冊なんて具合には到底いきません。もう引っかかり取っ掛かりしながら読むんですが、それでも熟読度理解度が同じ、もしくはこっちのほうが劣っているとしたらたまりませんね。

 しかし、別にそれでもかまいません。読書はもちろん人と比べたり競ったりするものではないのですから。自分の能力に応じた読み方をすればいいのです。

 ちなみに今は堀江敏幸著「河岸忘日抄」と、黒沼ユリ子著「わが祖国の大地よ」- ドボルジャーク物語 -の2冊を併読しています。

 この2冊を読み終えたら、いよいよあの作品に取り掛かろうと、先日まず2冊だけ購入してきました。
 そう「あの作品」です。

イタリア映画「ひまわり」

2011-01-23 14:42:43 | Weblog
 先日NHKハイビジョンで、ヴィットリオ・デ・シーカ監督ソフィア・ローレン マルチェロ・マストロヤンニ主演の映画「ひまわり」を久々に観ました。

 30数年ぶりだったでしょうか? 若い時には文句なしに名作反戦映画だと思っていました。
 が、久方ぶりに観直してみると、あれっ? というくらいに印象が違いました。

 確かに映像は綺麗ですし、ヘンリー・マンシーニの曲も素晴らしいのですが、作品としてはずいぶん荒いなと思ってしまいました。
 一場面一場面はとっても美しくピクチャーとしては最高級です。しかし、ストーリーは案外荒削りで、戦争によって引き裂かれた二人ありきで展開されていくのは否めませんし、アントーニオのロシアでの妻、リュドミラ・サベリィーエワ演ずる彼女がなぜ雪原の中で死に掛けていた彼を必死で助けたのかが説明されていません。
 ですから、案外覚めた目で観ると壮大なメロドラマという印象で終わってしまいます。

 しかし、この映画が当時(1970年)の日本人に受けたのは、やはりイタリアと同じく日本も敗戦国であり、敗戦国には敗戦国にしかわからない痛みがあったからではないでしょうか。あの主人公たちの気持ちがわかる人たちが多く存在したからだと思います(厳密には多々理由があるでしょうが)。

 その点でいえば、デ・シーカ監督にしろ製作者のカルロ・ポンティにしろ、かなりな思い入れのあった作品だったと思います。
 ロシア戦線で命を失った多くの同胞たちに対する鎮魂の思いや、未だ癒えぬ戦争の傷跡をああいったかたちで映像化したかったのだと思います。
 
 その思い入れの強さが強すぎて、ディテールにまで気が回らなかったのかもしれません。

 私はこの作品を名作じゃないとはいいません。当時西側のキャメラが、あんなに克明にソビエト領内を映し出していて、その映像が美しいとくればそれだけでも貴重です。

 けれど、この映画が日本以外ではヒットしなかったというのは、うなずけなくもありません。もちろん、思想信条的(東西冷戦下だったので)なことも配慮しなければいけませんが……。

立春に向かうこころ

2011-01-21 10:32:32 | Weblog
 寒い日がつづきますが、思いはもう春に向けて歩き出しています。
 町の和菓子屋さんの店先に、さくら餅の張り紙もあらわれ、融け残った雪にまみれながらも、木々はしっかりと芽を結んで、春の陽射しを待ちわびています。

 大寒を過ぎてまずは立春を待つ心は、日本人の中に培われてきた二十四の節目に分けられた季節の趣。
 人は移り変わる季節に佇み、時の緩やかな移ろいに身を任せて遥かな営みを続けてきたのです。

今日は大寒です。

2011-01-20 14:05:24 | Weblog
 今日は暦の上での二十四節気のひとつ、大寒です。
 そんなこともあって、昨日急いで寒中見舞いを書いてポストに投函しました。
 今日中に届けばなんとかセーフです。
 なんてね、かたいこといえば寒中見舞いは小寒から大寒の間でっていうことですが、まあ過ぎたところで寒い日は続くわけですから、

「寒い日が続きますが風邪など引かれませんように、お身体大切になさってください」
 と、お便り出してもいいですよね。

 そんな寒い大寒の朝、今日は付知の保育園さんまで出かけました。
 同じ市内なんですが、ちょっと景色が・・・・・・そう雪の量が違いますね。主要道路をはずれて細い道に入ると真っ白だったり、路肩や山にも雪は積もっていました。

 東濃地方といっても付知・加子母は、東濃の奥座敷という感がありまして、舞台峠を越えて下呂の地に足を踏み入れるとそこはもう飛騨の玄関口となります。

 ああ、下呂にもずいぶん行っていません。なんか昨年末から旅番組など観て、温泉行きたいなと思っているんですが、近場の日帰り温泉にも行けていません。

 家のお風呂に、○○温泉の元なんていうのの入浴剤を買ってきて、我慢しますか・・・・・・。

昨日は多治見方面へ・・・・・・。

2011-01-19 09:56:06 | Weblog
 昨日は朝から仕事で多治見方面に向かったのですが、普段の倍の所要時間がかかりました。
 家を出て最初の2キロほどは国道にも路面に雪が残っていて、ノロノロ運転だったのですが次第に解消されて、これなら大丈夫だと恵那の市外を抜けたまきがね辺りからまた渋滞しだしました。
 武並で乗用車が反対車線のガードレールに突っ込んで、その事故処理のための渋滞でした。ここで30分以上のロスが出て、結局10分遅刻して目的地に着く羽目となってしまいました。

 さて、一昨日の夜芥川賞と直木賞の発表がありました。
 ことに芥川賞を受賞された朝吹真理子さんには前から興味がありましたので、やっぱりなという感じでした。
 受賞作「きことわ」そして最近作「流跡」期待大の作家さんです。

 いえいえ、26歳の美人なお嬢さんだからじゃありませんよ。あくまで中身ですよ。
 でも、ルックスに左右されてしまうのはどうしようもないところです。善いとも悪いともいえません。
 この朝吹真理子さんのおばあさまが翻訳家の朝吹登水子さんとは知りませんでした。
 若い頃、サガンの小説よく読みました。
 ええ? と思われるかもしれませんが、フランソワ-ズ・サガン好きだったんです。

この冬はじめての雪かき

2011-01-17 14:01:48 | Weblog
 今年は本当に寒くて、各地に大雪が降っていますが、この辺りは不思議とそのエリアから外れて、どちらかというと例年より雪は少なかったんです。

 ですから一昨日昨日、そして今日の雪はようやくまとまった量となって、はじめて家の前の坂道の雪かきをしました。

 それでもニュースなんか見ていると、名古屋の方の太平洋側の平野部の方が積雪量が多かったようで、今年の冬はいったいどんな天候なんだろうと思ってしまいます。

 私の兄は奥美濃の豪雪地域に住んでいますので、雪かきといっても半端じゃなくて、大雪に見舞われると本当に泣きたくなるとこぼしたことがありました。
 私も冬に遊びに行ったときなど手伝ったことがあるんですが、雪かきの道具にしてもこの辺りのものと違い、一輪車のタイヤのないようなので大量に掬って、裏の川へと捨てに行ったり、大きなシャベルで屋根の上の雪を掻き下ろし、それをまた捨てに行く。または邪魔にならない場所に積み上げておくのです。
 一時間くらいやってもさほどに量は変わらなくて、こりゃ泣けるはなぁ~と思ったことがあります。

 それでも最近は根雪になって春まで地面が見えないというようなことはなくなったといっていましたんで、ずいぶん事情は変わってきたようです。
 
 大量の融雪剤など、除雪が盛んに行われること。またアスファルトやコンクリートが増え、土の地面(道路)が減ったこと。そしてやっぱり温暖化の所為なんでしょうか? 

 それでもどうぞ、凍った路面での車の運転には十分お気を付けくださいね。スタッドレスタイヤを履いていても油断ならないのが雪道、凍面道路です。
 普段のようなスピードは出さないで、車間距離をとってブレーキのかけ方にお気を付けください。
 滑り出したらその滑る方にハンドルを切るとよくいわれますが、なかなか咄嗟に出来るもんじゃありません。でも、実際にやってみるとなるほどと思えるものです。

文学作品を映像化するということ。

2011-01-15 10:55:46 | Weblog
 先日映画「ノルウェーの森」を観て来ました。予想以上にいい作品だったと思います。
 村上春樹ファンとしては、賛否さまざまあると思いますが、まあそれはそれとして・・・・・・。

 創り手がどれだけ原作を読み込めているか、そして原作者の意を汲んでどれだけ映像という独立した世界を創作し得るか。この点をクリア出来ている作品だったと思います。

 いくら完全映画化を謳った場合でも、原作通りというのは無理な話で、映画という作品の中で完結させなければいけないものがあると思います。

 原作を読んで映画を観ればよりいっそう楽しめるのではないでしょうか。どこが違い、どこが省略されていてどこが増やされているか。
 
 登場人物の永沢という男の魅力や、れいこさんについての詳しい身の上は原作を読まなければわかりませんし、昔読まれただけなら、観る前に再読するのをおすすめします。

 結構若いカップルが映画館内に目立ち、また私たちのようなミドルの夫婦も見受けられました。是非若い恋人同士で観られるといいと思います。官能的なシーンばかりに気を取られないで(といって村上作品にけるセックス描写はたいへん重要なんですが)この作品全体に流れるもの、浮び上がってくるものを観てほしいと思います(これはお節介な意見ですね、ごめんなさい)。