ひとり語り 劇車銀河鐵道 いちかわあつき

 ひとり語りの口演や、絵本の読み語りなどの活動をしています。
 何処へでも出前口演致します。

2010年12月31日(金)、今年最後のブログ記事です。

2010-12-31 16:50:31 | Weblog
 あと7時間ちょっとで、今年も終わりですねえ。
 昨日今日と、買い物お節づくり掃除にと精を出して、今ようやくひと息いれて座ったところです。

 ブログ記事今年の最後には、私も今年読んできた本の中のベスト3っていうものを選んでみたいと思います。
 
 といっても、私の読むものに新刊本は少なく、かなり前のものだったりするものが多いのですが、まあとりあえず選んでみたいと思います。

 結局今年の正式の読書数は47冊に止まりました(絵本や雑誌、また読みかじったものは省かれています)。

 まず1冊目は、平出隆著「伊良子清白 日光抄/月光抄」の2冊。明治時代の詩人伊良子清白の一生を独自の筆致で描き切り、忘れ去られていた詩人を現代に甦らせた力作でした。
 主人公伊良子清白の心理描写を一切排除した文体が、かえってその人本人を浮かび上がらせ秀逸でした。

 今1冊は、島村利正著「妙高の秋」。この作家のこの作品を教えてくれた堀江敏幸著「いつか王子駅で」もベスト3の中に入れたいですが、ここは敢えてこの本で知った「妙高の秋」を揚げたいと思います。
 文章日本語の美しさを朗読して、音声日本語としてその美しさを発語する楽しさは、私の音読読書の醍醐味でもあります(すべてを音読している訳ではありません)。そんな私の趣味に適った1冊でした。

 最後はやはりこの1冊かな? 堀田善衛著「若き日の詩人たちの肖像」。
 この作品に関しては今更に感想など言いません。堀田文学のいちファンとして、すべての作品をこれからも網羅するべく、読み続けて行きたいと思います。

 そのほか村上春樹作品もいくつか読みましたが、まだ「1Q84」には辿り着いていません。来年早々には読もうと思っています。
「ノルウェーの森」に登場する永沢が言うように、物故作家のものしか読まないという言葉には大いに共感するところです(私は今の作家さんのものも読みますが)。

 2010年、このとりとめのないブログをお読みいただきありがとうございました。
 来年もよろしくお願い致します。

 それでは何方様も、良いお年をお迎えください。

2010年を振り返って PARTⅡ

2010-12-29 09:30:54 | Weblog
 昨日に引きつづいて、今年を振り返ります。
 
 今年は一年を通して、芝居の稽古に明け暮れたという年でした。といっても毎日ではありませんが、この猛暑の夏も週一で稽古日を設けそれは11月のはじめまで続きました。

 そんな中農作業の方もチョコチョコですがやりました。家庭菜園程度なんですが、サヤエンドウきゅうりとトマト、それにオクラ大根人参と作ってみました。葉ものにも挑戦しましたがこれは失敗しました。ほうれん草の収穫はほんの少ししかできませんでした。
 
 きゅうりとトマトはそこそこ採れました。が、トマトは最後のほうで病気になってしまって、実がズクズクになってしまうようになりダメでした。
 オクラは、去年とっておいた種が発芽せず、あらためて苗を購入して作りました。
 大根人参に関しては、土つくりや耕し方が不十分であまり生育がよくありませんでした。
 よって来年の課題は耕地面積分の土つくりです。いかにお金をかけないでよい堆肥を作るかにかかっています。

 私のあり方は手間隙をかけることではないかと思います。文化の継承なんていうと大げさですが、面倒なことを厭わないこと。これが私の仕事の基本精神につながることだと考えています。
 
 毎日の生活、料理つくり農作業掃除、読み書きに至るまで手抜きなくこなしていけるようにしたいと思います。

 時間に追われないで時間を無駄にしない。そんな充実したライフスタイルを、来年は確立していけたらいいなぁと思っています。
 

2010年を振り返ってPARTⅠ

2010-12-28 14:22:32 | Weblog
 さあ、今日が28日で今年も残すところ後わずかになりました。そろそろこの1年のしめとして、反省なりしてみたいと思います。

 仕事内容としては昨年とほぼ同じ数の仕事をこなしました。絶対数としてはまだまだ少なく、余力を残しての1年の仕事納めとなった感がありますが、まあそれもそれです。

 この1年2本の戯曲を書き、2つの演劇の舞台を上演にこぎつける事が出来ました。
 1本は例年通りの演劇ユニット マーシュマロウの公演。今ひとつはこれも例年通りの馬籠よもぎやさんでの公演と、恵那ひし屋資料館さんでの公演ですが、この2箇所での公演は、例年ではひとり語りや一人芝居を試みてきましたが、今年ははじめて二人芝居にチャレンジし、その同じ出し物をこの二つの会場で上演しました。

 お客様の感想はどうだったか? そこはまだまだわからないところがありますが、私としては手応えを感じられる舞台が創れたのではないかと、自負しています。

 毎年同じようにやってはいますが、それでも少しづつステップアップはしていると思うのですが、さあこれは手前味噌なんでしょうか?

 齢50歳に到達した今年、お世辞にも若くはなくなりましたが、それでもスタートラインが遅く、たかだか15年目なので、まだまだ駆け出しの部類なのです。
 さまざまな失敗もしながら、それでも少しでも上手くなろうと日々歩んでいます。でも、まだまだ努力のほどが足りないと反省しています。実働日数が倍増となるように頑張らねばいけません。

 その努力内容のひとつには、ここのところひとり語りの口演数が減っていること。また、レパートリーも増えていないことです。
 芝居創りには精出して、毎年オリジナル作品を演っていますが、いまだ語り物のオリジナル作品を持っていません。
 これは来年への課題だと考えています。そして、より語りのほうも充実させていくことを心がけて行きたいと思います。これは私の原点なのですから・・・・・・。

 それからもうひとつが、絵本の読み語りということ。これは仕事という範疇を越えて、未来を担う子供たちのために、ひとつのライフワークとして積み重ねていきたいものと思っています。

雪はすぐそこまで・・・・・・。

2010-12-27 09:08:33 | Weblog
 寒波到来も、私の住む地域は微妙な位置にあって、山のすぐ麓まで雪は来ていますが、町にはまだ積もるほどの積雪はなく、ちらほら程度でおさまっています。

 寒波の波が蛇行しているんですねえ。
 同じ市内でも下呂に接している加子母地区では大雪になっているようで、別世界の感があります。

 結局ホワイト・クリスマスとはいかなかったんですが、かなり寒いこの週末でした。
 昨日は日の当たっている少しの間だけ、外回りの片付け物をし、まだ途中になっています。いっぺんにではなく徐々に徐々に掃除していこうと思うんですが、そうそう、まだ年賀状にも着手できていません。
 25日を過ぎて、焦ってはじめる例年のパターンとなりました。元旦に間に合わなかったらごめんなさい。

「坂の上の雲」 ― その弐 ―

2010-12-24 16:02:01 | Weblog
 司馬遼太郎著「坂の上の雲」は、去年と今年にかけてNHKのスペシャルドラマとして放映されています。

 詳しいことはわかりませんが、司馬さんご存命の頃からNHKさんは何度も、この「坂の上の雲」を大河ドラマにと企画されてきたんだと伺っていますが、どうしても実現しなかった。
 司馬さんご自身が、この作品を原作通りにドラマ化するのは無理だろうとお考えになっていたんだったのでしょうか? それから時を経て映像技術も遥かに進み、事情もかわって来ました。

 まあ、そのほかにも司馬さん原作の作品はしばしば大河ドラマになっているんですが、「国盗り物語」「花神」「翔ぶが如く」どれも、ドラマとしては面白かったんですが、原作の持っているものを伝え切るということは至難の技で、それは不可能に近いことだったと思います。
 しかし、それを承知の上で許可されていたんだと思います。が、こと「坂の上の雲」にかんしては、思い入れのある作品ですし、また読みよう描きようによっては誤解されかねない要素のある作品だけに、慎重になられていたんだと推測します。

 ドラマ「坂の上の雲」を拝見していて思うのは、NHKのこのドラマに関わっておられるすべての方々が、司馬さんご本人に見せても恥ずかしくないものを創ろうとした気概が伝わってくるということです。私はそう思うのですが、いかがでしょうか?

 おそらくこの作品に深い思い入れをもっている方は数多くおられると思いますが、私もそのうちの一人として、そんなことを感じた次第です。
 一年に及んで大河「龍馬伝」を観せてもらった後に、この「坂の上の雲」第2部を観ることは、たいへん意味のあることだと考えています。

 司馬さんは生前、だいたいどんなシステムも50年を過ぎると、制度疲労を起こすものだといわれています。
 戦後ももう50年をとっくに過ぎて、今年で65年。政治も経済もなかなかにうまくはいっていないようです。
 誰が悪いのでもなく、制度疲労を起こしているともいえると思います。
 そして、なにより無私の心をもって命懸けでこの国をよくしようとするリーダーを持つことのできない国になってしまいました。
 おそらく坂本龍馬が現代に現れても、彼は活躍する場を与えられないでしょう。
 国の草創期、黎明期に活躍したような人たちは浮かび上がれないひとつのシステムが、強固につくり上げられているように思えてならないのです。
 

 

「坂の上の雲」について ― その壱 ―

2010-12-22 13:53:37 | Weblog
 司馬遼太郎著「坂の上の雲」を10代から20代にかけて読めたことは幸運だったと思います。

 司馬さんが最も好きだといわれる正岡子規。私もあの彼の生き方、あの在り方に深い感銘を受け、ここまでやって来れたんではないかと思うことがあります。

 どんな状況にも真正面に立ち向かい、逃げないで自分の出来る事に挑む。
 苦しい闘病の中で、時に死にたいと思うことがあったとしても、その思いとも闘って生きようとする姿に、私は人間本来の有り様を見出します。
 泣きたかったら泣けばいい。苦しかったら苦しいといえばいいのです。


 原作では第5巻くらいで正岡子規は亡くなります。まるで肉親をなくしたように嘆き悲しみ、しばらくはつづきを読めなかった若い頃の自分を思い出します。

 当然のこと、この小説のあと2人の主人公、秋山好古秋山真之(さねゆき)兄弟も魅力的です。その在りかた生き方は立場こそ違え、子規となんらかわりません。

 好古の言葉「男子一生のうちに一事を成せば足る」は私の座右の銘にさせてもらったくらいです。

 彼ら2人を日露戦争時のヒーローだとは、私は思っていませんし、原作もそんな風には描いていません。
 明治という黎明期において、自分のやらなければならないことに対して全力で挑んでいった先人のその生き様に、私たちは大いに学び反省しなければならないのだと思って読みました。

 もちろん司馬さんの小説は、司馬さんが22歳の自分(昭和20年の終戦時)に宛てて書いた手紙であることは常に念頭に置かなくてはなりません。
 それは転じて21世紀を生きる私たちへの手紙でもあります。

 よく司馬文学を司馬史観と呼びんだり、史実とは違うと指摘したり、新たな資料の発見によって小説細部の誤謬を揶揄するような向きがありますが、あくまで司馬文学は時代小説であり、歴史小説なのです。小説という閾を一歩も出ているものではないのです。ですから、そこに描かれている登場人物は理想を生きます。こうあってほしいという希望を込められて・・・・・・。
 また左翼系の方に司馬遼太郎は嫌い、彼は戦争賛美者ではないかと誤解されている向きがあると思いますが、これは全くの誤解だと思います。
 今年亡くなられた井上ひさし氏が、司馬さんを深く敬愛しておられたことを考えてもそれは歴然です。

 右でも左でもなく、一歩下がって世の中を見る。「中庸の徳」ということを説かれた司馬遼太郎さんは、多感な時代の私の人間形成に大きな影響を与えてくれた方でした。そして、その中でも「坂の上の雲」は最も強く感動した作品でありました。
 
 


 

真夜中のブログ更新。

2010-12-20 00:29:29 | Weblog
 現在時、12月20日(月)午前0時30分です。

 18日19日の両日は、岐阜県立中津川工業高等学校吹奏楽部の定期演奏会の司会を勤めさせてもらっていました。

 縁あってこの仕事をやらせてもらうようになったのですが、一年を通して司会という仕事はここのみです。それだけにどうしても緊張してしまうというのか、普段の私ではなくなんとなく、余所行きの私がそこにあるようで、もっとリラックスしてやればいいのに、そう思えば思うほどに意識してしまうようです。

 お仕事としてお引き受けしたからにはこれはプロの仕事。生徒さんたちが気持ちよく演奏会を進められるように、バックアップしていく縁の下の力持ちとしての役割を果たさなければいけません。
 そこへ行くとまだまだ及第点はやれない出来です。

 毎年多彩なゲストさんを迎えての演奏会、今年は世界的に活躍されるクラリネット奏者赤坂達三さんでした。
 第一線で活躍されるプロの演奏を間近にお聴きすることが出来、またインタビューまでさせていただきながら、自らの至らなさを様々に学ばせてもらうことの出来た2日間した。
 若い人たちとともに、生涯一書生としての私は、この勉強の場をお仕事としていただけたことに深く感謝するとともに、これからよりいっそう精進せねばと感じ入りました。
 本当にありがとうございました。

女の子との再会。

2010-12-17 15:23:47 | Weblog
 9月に演劇CAMPin中津川というイベントで、子供たちと「人魚姫」のお芝居を一緒に創ったのでしたが、その時親しくなった3~4年生くらいの女の子と、とあるスーパーマーケットで出会いました。

 集団の中で、とても元気のいい活発な女の子たちのひとりで、もう私なんか彼女たちの相手をしていて、タジタジしてしまいました。
 
 が、このスーパーでお母さんらしき人と買い物をしていたときのこの子は、少し様子が違って、おとなしくておしとやかで、私が「やあ!」と軽く右手を上げて挨拶すると、彼女も同じようにかえして、かすかに微笑を作って答えてくれましたが、それがなんとも大人の女性のような表情としぐさで、思わず私はドギマギしてしまいました。

 まるで、母親には知られたくない相手との再会をしたように、秘密めいた素振りで応対してくれたのでした。
 なので、「久しぶりだね、元気だった? 今日はお母さんと買い物? いいねえ」というような、用意された言葉を飲み込んで、私はその場を立ち去りました。

 父親として、娘を持ったことがないのでなんともわかりませんが、さぞかし娘を持つ今どきの親御さんは心配なのかなと思ってしまいました。

 私などもし娘を持っていたら、もうちょっとプライベートの時でも緊張感を保っていないと、ダメだろうなと思います。いなくてよかった。
 でも、他所のお子さんでも充分心配になっちゃいます。
 
 子供たちと関わるということはそういうことなんですね。あらためて思います「みんな我が子」という言葉を・・・・・・。

川上弘美句集「機嫌のいい犬」を読む。

2010-12-16 13:38:47 | Weblog
 私も実は何十年も前から密かに俳句やら短歌を作ったりはしていますが、どこどこの会に参加するとか句会に出るとかということはしたことがありません。

 ひところ自由律俳句に凝ったり、また定型にもどったり、一行詩をつくってみたりと気ままにやっています。
 1人でやってて何がおもしろいかとも思いますが、それもそれかな?
 最近ではフォト575なんていうのもBS放送でやっていますよねえ。なかなか面白いのあります。

 表題の川上弘美句集「機嫌のいい犬」も面白かった。さらっと読めていいです(あたり前か)。いえいえ、けっして年末の読書冊数増やしの一冊ではありません(かな?)。

 私はほんとうに、こころから正岡子規という人が好きなものですから、その影響で若い頃から手慰みに作ってみたのでして・・・・・・ああ、「坂の上の雲」についてはまた後日詳しく書こうと思っています。

 ちなみに私は芭蕉俳句より、与謝蕪村の俳句の方が好きです。

ルドルフが居なくなって・・・・・・。

2010-12-15 15:01:21 | Weblog
 愛猫ルドルフが天に召されて、2週間以上が経ちました。
 私と彼は必ずしも仲のいい飼い主と飼い猫ではなかったかもしれないので、愛猫などと表現すると、彼は嫌がるかもわかりませんが、10年という歳月を同じ屋根の下で暮らした家族でしたから、やはり彼の存在のぽっかりと開いた穴はたしかにあって、寂しくないといえばうそになります。

 それでももう一匹の愛猫テトの存在がそれを埋めてくれていて、テトがいてくれてよかったと思います。
 ルドルフは喧嘩っ早い気の荒い猫でしたが、普段は物静かで外から帰還して窓辺にたたずんでも、開けてくれといって鳴くこともせず、あまりに気付かずにいると前足でガリガリするという猫でした。

 それにくらべてテトは、もう開けるまで鳴き続け、エサがほしいときも出て行きたいときも、自分の欲求が満たされるまで鳴き続けるとてもおしゃべりな猫です。

 またこの2匹の猫がとても対照的なのは、ルドルフはお客さんが好きで、どんな初対面の人にも摺り寄って甘える猫でしたが、テトは家の者以外の人が訪れると、火が付いたようにあわてて逃げ出していきます。

 そのくせルドルフは触られることが嫌いで、ちょっとでもぬれた身体を拭いてやろうとすると、爪を立て牙をむくように怒りました。
 それにくらべてこのテトは、何をしても怒りません。されるがままです。ただ、じっと抱かれていることは苦手なようです。

 何でこうも正反対な猫なのかと笑えてしまうくらいでした。
 上の写真は、仔猫の頃のテトです。5歳になった今も仔猫の面影のぬけない彼は、ルドルフ亡き後の我が家を、我がもの顔で歩いています。