ひとり語り 劇車銀河鐵道 いちかわあつき

 ひとり語りの口演や、絵本の読み語りなどの活動をしています。
 何処へでも出前口演致します。

美しく生きたいと思う、今日このごろ。

2012-03-28 11:23:18 | Weblog
 美しくありたいと思う、立ち居振る舞い。
 美しくありたいと思う、言葉遣い。
 美しくありたいと思う、居住空間。
 美しくありたいと思う、生活環境。
 美しくありたいと思う、人と人との繋がり。

 歳を重ねれば重ねるほどに、人は美しくなり得ると思う。
 それは決して見た目にではない。
 心根に宿る美しさだ。
 そぎ落とすもの、捨てるもの。
 手放してこそ得られるものは数多、無限にあるのだと思う。

 腹を立てない、怒らない。
 悲しみに暮れない、嘆かない。
 すべてを美の中に塗りこめて、美しく生きたいと思う。

 そう在りたいと思う、今日このごろ。
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週刊ブック・レヴューの最終回。

2012-03-22 16:00:37 | Weblog
 先週土曜朝の放送で、NHKBSプレミアム「週刊ブック・レヴュー」が最終回となってしまいました。
 放送時間が朝6時半になってからは、なかなかその時間帯に起きることが出来ず、書評コーナーを見逃すことがしばしばでしたが(再放送もなかなか時間帯として見られませんでした)、本好きな人間にとっては、この最終回は淋しい限りでした。

 21年。思えば如月小春さんの司会のころから観ていたんです。
 どうしても何といっても、この番組の顔は児玉清さんでした。大黒柱を失ったことは大きかったでしょうか・・・・・・。

 4月からの新番組に、本に関する情報番組はあるとは聞いていますが、まだ詳しい情報は知りません。

 出版界全体の方向は、わかり易いもの。刺激的なものに主流がおかれ、エンターティメント系が幅を利かし、純文学も話題性の高い芥川賞受賞作がベストセラーに名を連ねるのみという淋しい状況です。
 本は様々あっていいです。どこからでも活字に親しむ習慣を身に付けることが大切です。でも、難解でわかりづらい作品を簡単に敬遠したり、排除したりしないでほしいなぁと思います。
 もちろんビジネス的に成立たなければいけないでしょうが、文化芸術的役割を大いに担うのもこの分野の責任としてはありますから、売れる売れないだけでは、それこそ文学は滅びたか、というような論議が常に生まれてくることになります。

 カルチャーあってのサブカルチャー。両輪のようになければならないものなのではないでしょうか?

 迎合からは、教養は見出せません。文化も教育も偏らないでその存在価値を高めていく。そこにこそ未来は拓かれて行くのではないのでしょうか?
 
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文化の中央志向。

2012-03-19 15:10:04 | Weblog
 地方の時代といわれはじめた1980年代、私はまさにその時を20代に過ごし、中央志向からの転換を図ろうと考えたことを憶えています。
 そして近年、地方分権という動きはかなり目に見えたカタチで現れはじめて来ているのだとは、感じます。

 しかし、文化的なものの中央志向はやはりあまり変化はなく、というか変わりようもかわり映えもないまま、据え置かれているのじゃないでしょうか?

 いやいや、そう簡単に一概にいえるものじゃなく、それはお前の偏見だろうというご意見はあろうことかと思います。
 しかし、メジャーなものはメジャーなものであって、しっかりとした資本とネームバリューに支えられ、また中味もしっかりしたものが、その中心にあることは疑う余地はありません(そうでないものも含まれていたりもしますが)。
 都会のもの有名なものをありがたがる傾向はおおいにありますし、それを当然のように思っているメジャーなところで活躍している人たちの思いも、暗に感じられることがあります。そういった構図のままでいいんだろうかと、常々考えてしまいます。

 地方発信を謳い、それなりに創り上げようとしても、それはそれなりのものとしてしかみられない。所詮はたかが田舎の小規模の、狭い範囲でのものと・・・・・・。

 けれど、まあそれはそれでいいのではないか。どう評価されようとやり続けることが大事なんだ。そう言い聞かせながら、日々前に進んでいくしかない。

 たまにはこんなことも呟いてみたくなる、そんな3月の午後であります(平たく言えば愚痴ですね。誰に向けてというものでない)。
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春めいてくると・・・・・・。

2012-03-18 12:30:26 | Weblog
 山にはまだ雪があり、風も冷たく、この辺りでは梅の開花さえ今一歩というところなんですが、それでももう春の彼岸となって日一日と春めいては来ています。

 そうなってくると、ちょっと旅に出てみたいという気分になりますね。
 いえいえ、そんなに遠出しなくても近場でもいいんです。ふらっと春めく町や野山を散歩したんです。そう思ったりとかしませんか?

 たとえば岩村町の城下町でお雛様を見て歩くとか(まだやってますよね)。少し足を伸ばして、中馬街道足助あたりまで足を伸ばせればまたそれもよし。
 それで、日帰りの温泉なんかに入って、ちょっとしたランチなんか食べて帰ってくるなんて、出来たらいいなぁ〜。
 
 
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演劇ユニット マーシュマロウ 第7回公演は「ユーモレスク」。

2012-03-17 10:10:20 | Weblog
 毎年多治見市まなびパークたじみ7Fホールで公演している演劇ユニット マーシュマロウ の公演も今年で7回目となります。
 私が書き下ろしてきたオリジナルの戯曲も、このユニットでも7本目。他のものも加えるともう10本以上書いたことになりますか? なんか最初のころのものは拙くて、いや今でもなかなか納得のいくものとまではいきませんが、それでもとにかく書いてそれを形にしてして上演してこれたのだなと思うと、一緒に創ってきてくれた方々に感謝するしかありません。

 さて、今年の上演作品「ユーモレスク」〜すべて世は事もなし〜は、これまでの作品とは少し毛色が違うといいますか、ちょっと雰囲気の異なった作品になりそうです。

 まだまだ稽古はこれからですので、どうなっていくのかはこの先が勝負となっていきますが、いい舞台が出来るように心と身体を充分に注ぎ込んで、本番へと挑んでいきたいと思います。

日時 2012年6月3日(日) AM11:;00〜PM15:00〜(2回公演)
場所 まなびパークたじみ7階ホール
チケット 一般前売り1800円 当日2000円

問合せ 090‐7025-0038(いちかわ迄)
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吉本隆明さんが亡くなられました。

2012-03-16 15:32:53 | Weblog
 今日未明に吉本隆明さんが亡くなられたようです。
 私は近年になっての遅まきながらの愛読者ですが、いろいろと読ませてもらいました。
「共同幻想論」もっと若いときに一度読んでおくべきだったと思いましたが、それも致し方ありません。

 この国に何か起こった折に、この人はどう考えているのかと意見を聞きたい人がまたひとり向こうに旅立たれたという思いが、今の率直な気持ちです。
 でも、娘さんに「最高の父でした」といってもらえるお父さん、幸福ですね。
 
 心よりのご冥福をお祈り致します。どうぞ、安らかにお眠りください。
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久しぶりの外仕事。

2012-03-15 13:17:29 | Weblog
 寒さの厳しい冬場は、どうしても外仕事を敬遠してしまいがちですが、少しずつ春めいて寒さがほころんで来ると、これまでやりたかったことがやりたくなって、今朝方やり始めたのですが、風は強いは花粉もひどく飛んでいるのでしょう、くしゃみは止まらないはで大変でした。

 それでも1時間半くらい作業して家の中に入りました。中に入るとくしゃみも鼻水もとまりました。
 10代の頃から花粉症ひどかったんですが、ここ10年くらいは症状は軽減しています。目が痒いときに目薬は差しますが、飲み薬などは一切飲んでいません。

 何事も闘わないことを信条にしていますが、花粉とも闘わずに受け入れていこうと思いはじめたのはいつごろからだったでしょうか?

 話は大きく飛躍するかもしれませんが、正義正論を勝ち取るために闘うことは、とてもカッコいい事のように見えますが、結局は戦争の論理を受け入れることになるのじゃないか? いえ、極論かもしれませんけれど人というものはそういった危うさも兼ね備えていますので、極力用心した方が無難です。

 歴史的に見てナチスドイツの台頭も、もとはといえば一般民衆の民意から生まれ出たものですし、日本が太平洋戦争に突き進む過程も、軍の台頭や世界情勢など様々あるでしょうが、世論というものだってそこに加味されていたことは否定できないと思います(それは日露戦争以後のということを付け加えておきますが・・・・・・)。
 ですから、民意イコール正義、あるいは民主主義という図式は、短絡的には受け入れられません。もちろん、政治的腐敗や旧態的な行政の体質を見直していくことは大事なことです。しかし、民主主義というのは一定のルールの下に機能すべきものです。

 なんか、外仕事から話が大きく逸れましたね。このへんでやめておきましょう。 
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3月14日に思うこと。

2012-03-14 13:48:09 | Weblog
 今日3月14日は、誰ひとり知らない人はいないであろうと思う、ホワイト・デー。
 つまりバレンタインの返礼の日です。関係ないという人もおありでしょうが・・・・・・。

 義理にしろ本命にしろ、頂いたお返しには何かを差し上げねばいけません。頂いたものと同額程度のもの、またはそれに見合ったものを・・・・・・。

 バレンタインはおおかたチョコレートであることが多いですが、ホワイト・デーはややバラエティーに富んでいるようにも思えます(気のせいかな?)。
 むかしは、マシュマロかキャンディーかということでしたが、今は相手がもらってうれしいもの、少しなりとも喜んでもらえるものという感じでしょうか。

 贈り物のやり取りというものは、なんであれ楽しいものです。もちろん懐具合と相談はしなくてはならないですが、それなりの楽しさを相手に感じてもらえるものを選びたいものだと思います。

 さて、3月14日。3・14と記されると、どうしても円周率が頭に浮かんでしまいます。そこで調べてみると、やはり今日は数学の日、パイの日でもあるそうで、日本パイ協会という協会もあるとのことで、はあ〜と納得しました。

 ちなみに、マシュマロの日キャンディーの日でもあるようで、そういえば去年は某所で七輪に起こった炭火の火で、マシュマロを焼いて食べたぞ、と思い出しました(チーズやソーセージなども)。ああ、キャンプだけじゃないんだって思いましたねぇ。
 子供のころはあのスヌーピーとウッドストックが、マシュマロを焼いて食べているのが美味しそうでたまりませんでした。あの幼少のころはマシュマロがああいうものだとも知らなかったんです(初めて食べたときは少しがっかりもしました。焼いたらそれなりに旨かったですけど)。

 頬っぺたが落ちそうに旨そうだと、食べ物を見て思う感覚は久しくなくなりましたねえ。本当に子供のころは食い意地が張っていたようです(貧しかったからかな?)。
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絶対音感ならぬ絶対語感。

2012-03-12 09:17:46 | Weblog
 音楽の世界に絶対音感があるように、演劇の世界に絶対語感あるいは絶対言語感というものがあるのではないかと考えています。
 
 耳がいい耳が悪いとか言ったりしますが、微妙なニュアンスの言葉を聞き分ける能力が備わっている人がいるということです。
 たとえば、様々な方言を聞いただけでその違いを聞き取れて、そのうえそれを体現できたりとかできること。
 
 あらゆる音を音符として聞き入れるというのではありませんが、高低強弱によってその感情の度合いを理解し、その言葉としての音の出所を探ることの出来る能力も、この絶対語感というものには含まれているのだと思います。

 先天的なスキルとして身に備えている場合、また後天的に訓練によってある程度までは獲得できる場合、いろいろかとも思いますが、それは個々人の意識や目的、意志などにもよって内在的なもので終わるのか、表出するかは分かれます。

 もちろん、言葉はその音の聞き分けが出来たとしても、それだけには止まりません。
 どこから発せられどこに向かい、何を誰に言うのかというベクトルがはっきり定められ、尚かつ説得力や明解さなどが付随してきます。またそこにはその個々人の経験値や個性、癖や声質なども加味されます。

 このようなことを総合的に意識において、演劇というものを鑑賞すると、違ったものが観えてくるのではないでしょうか。たんなる発声練習やセリフ術だけでは表現しえないものがそこにはあります。
 まあ、感覚的な世界ではあるので様々な捉え方はあるでしょうが、音楽を楽しむようにまた絵画を楽しむように芝居を楽しむ楽しみ方も一考かと。
 

 演劇はアートであるということを、忘れないようにするために。
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むかし話をするということ。

2012-03-10 09:29:04 | Weblog
 母は今年の1月で87歳となり、物忘れはありますがまだまだしっかりとしていて、肌の色艶もよく、昨日も冗談半分に70代の頃より元気がいいんじゃないの? といってしまったのですが、確かに60代なかばに父を介護し看取ってからの母は、ますます元気になっていくように息子の目には映ります。

 町中の家に一人暮らしをしていますが、何より自由気ままに環境を変えないで今の暮らしを維持できるかが大事なことではないかと思っています。
 昨日も夕方立ち寄ると、いつものように隣家の友人と午後のティータイム中で、なぜか私の結婚式のときの集合写真を取り出してきて二人で見ていました。

 久しぶりに見るその写真に写っている親戚知人の面々、すでに故人となった人が8人ほどを数えたのを機に、私も懐かしさがこみ上げ、妻の親戚の人たちのあらためての紹介やら、随分あっていない人の消息やらを話していきました。

 その後話は町内の話題にうつり、今はもうこの町内に住んでいない人たちの消息、かつて暮らしていて、すでに鬼籍に移った人たちの話に花が咲きました。
 さすがに私のうまれる前、50年以上も前のことになると話に加わる余地はなくなっていきましたが、それでもかすかな記憶と、昭和40年代の町の住宅地図を頭の中に描いて会話の中に挟まりました。

「むかしむかし・・・・・・」と、お年寄りから民話や伝承を聴かなくても、こういった世間話の延長線上のむかし話を聴くことも、大事なことではないかとあらためて思いました。
 お年よりはむかし話に花が咲くと生き生きしてきます。私ももうすでにそんなに若いとはいえない年齢なのかもしれませんが、しかし親の世代の話に耳傾けて、過去と繋がっていくことは貴重なことだと考えています。

 振り返ってみれば、子供のころからそんな大人の話に耳傾ける子供だったなぁ、と今更ながらに思い至るそんなひと時でした。
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