凡人だって悟れるもん

自我は幻、大体そんな感じ。

悟りってなあに

2013年10月28日 | 悟りのこと
さてさて、実際に悟りについて書いていきますよ。

まずは、大前提について考えてみましょう。
そもそも悟りってなんでしょうか?

悟り -Wikipediaへのリンク

悟り(コスプレ)というのが非常に気になりますが、気にせず読み進めましょう。

悟り(さとり)は知らなかったことを知ること、気がつくこと、感づくことを言い覚りとも書く。

なるほど、何せ新しい事を知る、気づく、感づくことのようですね。
下のほうに行くと各宗教ごとに詳しく説明をしてくれています。


うーんなんだか難しそうですね。


「悟り」というとなんだか大仰でとても遠い存在になる事のような感覚を覚える人もいるかもしれません。
というのも僕も最初はそうでしたからよく分かります。


例えば悟りという言葉のイメージは、僕にはこんな感じでした・・・


『――時は平安、場所は人知れぬ山奥、霞がかかったその山頂に一人の僧侶が、微動だにせず座禅をしている。
人の気配はおろか獣の気すらない山奥に、雨が降り、やがて嵐となる。そして、しまいには雷まで鳴り始めた。
しかし僧侶は一向に周りの景色を気に留めることなく一心不乱に座禅を続けている。
どれだけの時が経ったことだろうか・・、ある瞬間雷が木に落ちる!光る雷をバックに突然僧侶は目を見開き叫んだッ!

「真理見つけたりっ!」

そしてゆっくりと僧侶は立ち上がる。
その姿はまばゆいばかりで、どこからか後光が差し、ついでに頭も光っていた・・・。』


・・・・。


はいすいません。


でも本当これくらい困難で、一般人には程遠いイメージだったんですってば!(汗


そんな僕でも気づきを経ると、悟ることへのイメージは変わりました。


例えるなら僕にとって「悟り」とは
飯食って歯磨きして悟ってから寝る。とかそんな程度のもんです。


大したことじゃあ全然ありません。
修行もお金も才能も何も必要ありません。もちろんそれは皆さんだって同じことなんです。



つづく

哲学・思想 ブログランキングへ ←真理見つけたり!


最新の画像もっと見る

コメントを投稿