後世への最大遺物・デンマルク国の話岩波書店このアイテムの詳細を見る |
昨日の就寝時、明治・大正期を代表するキリスト者、内村鑑三の『後世への最大遺物』を読んでいたら、心に響く文章があった。
ちなみに『後世への最大遺物』は、内村鑑三の講演録である。
「しかるに今われわれは世界というこの学校を去りまするときに、、われわれは何もここに遺さずに往くのでございますか。その点からいうとやはり私には千載青史に列することを得んという望みが残っている。私は何かこの地球にMementoを置いて逝きたい、私がこの地球を愛した証拠を置いて逝きたい、私が同胞を愛した記念碑を置いて逝きたい。それゆえにお互いにここに生まれてきた以上は、われわれが喜ばしい国に往くかも知れませぬけれども、しかしわれわれがこの世の中にあるあいだは、少しなりともこの世の中を善くして逝きたいです。この世の中にわれわれのMememtoを遺して逝きたいです」
ここには、「少しでもこの世の中をベターにして死にゆく」という内村鑑三の強烈な願望と決意が述べられている。
そして、私もまたこの一点こそが、私たちの人生のスタートであり、ゴールなのではないだろうかと強く思うのである。
ここを見失ってしまうと、私たちの生は虚しいものになる。
だが同時に、はたして「世界をベターにして逝く」などという大それたことが、凡愚な自分にできるのかと自問せざるを得ないだろう。
内村は言う。
「今年は後世のためにこれだけの金を溜めたというのも結構、今年は後世のためにこれだけの事業をなしたというのも結構、また私の思想を雑誌の一論文に書いて遺したというのも結構、しかしそれよりもいっそう良いのは後世のために私は弱いものを助けてやった、後世のために私はこれだけの艱難に打ち勝ってみた、後世のために私はこれだけの品性を修練してみた、後世のために私はこれだけの義侠心を実行してみた、後世のために私はこれだけの情実に勝ってみた、という話を持ってふたたびここに集まりたいと考えます。この心がけをもってわれわれが毎年毎日進みましたならば、われわれの生涯はけっして五十年や六十年の生涯にはあらずして、実に水のほとりに植えたる樹のようなもので、だんだんと芽を萌き枝を生じてゆくものであると思います。」
(中略)
「われわれに後世遺すものは何もなくとも、われわれに後世の人にこれぞと覚えられるべきものはなにもなくとも、アノ人はこの世の中に活きているあいだは真面目なる生涯を送った人であるといわれるだけのことを後世の人に遺したいと思います。」
上記の言葉を以下のように解釈した。
後世に遺すものは、なにも物質的なものに限らない。
内村鑑三が述べているように、むしろそれより一層良いのは、その人の美しい生き様を後世に遺すということである。
市井の人であれば、後世の人々の記憶には残らないかもしれない。
歴史に名を残すこともないであろう。
しかし、人の美しい生き様は、必ずや種となり、芽を出し、いつかは大樹となろう。
唯識の言葉を借りれば「一生を懸けて世界を少しでもベターな方向に薫習する」ということ。
その時、たとえ人間の書いた千載青史には名を連ねくとも、宇宙の千載青史に名は刻まれているのだ。
たかだか100歳までの人生ではない。
そこに、人生の無限の広がりが生まれる。
「私」という束縛が乗り越えられる。
美しく生きるか、エゴに埋没して生きるか。
一瞬一瞬、間断なく選択を迫られているような気がしてならない。
また、「陰徳」という言葉がある。
美しい生き方は、余人の評価を期待した上での行いではない。
人が見ていようといまいと、ただ仏行を行じてゆく。
それが、「自己を包摂した全宇宙を荘厳してゆく」ということであろう。
※内村鑑三
1861~1930
明治・大正期のキリスト教の代表的指導者。
足尾銅山事件の糾弾運動者の一人。幸徳秋水らとともに日露戦争に反対。
以後、自宅で活発な聖書研究会を開き、伝道・研究・著述生活に入る。
特定の教派・神学を持たず、聖書にのみ基づく信仰<無教会主義>を唱え、学問的聖書研究と武士道的エートスと深い人格的結合によって、強烈な福音主義的思想を形成し、一部知識人に深い影響を与えた。(参照『コンサイス日本人名事典』)
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