一顆明珠~住職の記録~

尽十方世界一顆明珠。日々これ修行です。いち住職の気ままなブログ。ときどき真面目です。

地に足つけないと・・・

2006年02月17日 | 
悟りと解脱―宗教と科学の真理について

法蔵館

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最近、仏教書や、哲学書の類ばかり読んでいるからか、なんだか頭の中が腑抜けになったように感じる・・・
頭が重いような、軽いような、体全体がフワフワして仕事になかなか集中できない。

完全に分別知先行・・・。

これはマズイ。

観念的世界、抽象的世界、イデア的世界に思いが飛翔している。

理由が思い当たった。

特に、今読んでいる、『「悟りと解脱」玉城康四郎 法蔵館』という本。

本書の内容がスゴイ・・・。

ダンマが顕わになるとか、ダンマが業熟体に通徹するとか・・・。

氏は、釈迦、イエス、ソクラテス、孔子の言動を、ダンマ「かたちなき永遠のいのち」の現われとして、まったく同質であると断言している。

突拍子もない内容。

眩暈さえ覚える。

だが、玉城先生が言うことは、虚偽ではない・・・幻想でもない・・・

真実である。

正直、本書を読むまで、氏の語る体験にはいささかの疑念を抱いていた。

もしかしたら、とんでもない大ホラ吹きなのかもしれないと警戒もしていた。

しかしその疑惑は氷解した。

掲載されていた著者の写真を見て、ハッキリと確信したのだ。

パッと見はヒョロヒョロのおじいちゃんである。

だが、そんな印象はすぐに驚嘆の念に変わった。

覗いたら吸い込まれそうな、透明な眼差し。

エゴの痕跡さえ認められない・・・。

この人はダンマを確信し、ダンマに満たされている。

今の未熟な私には、玉城先生の説くところの思索を超越した絶対的体験を、いきなり活字からインプットするとクラクラしてしまう・・・

なんにしろ、全宇宙の深みを知ってしまうということは、恐ろしいことでもある。

知らなければ、なにも考えずに楽に生きられただろうに・・・とも思う。

知ってしまった以上は、そこに人生の照準が合わせられるからだ。

それは果てしない高みである。

その高さに尻込みする。

眩暈がする・・・。


しっかり地に足つけよう。

私に必要なことは、

日常底における、いま一歩一歩の積み重ね。

ゆっくりと歩みを確かめながら歩くこと。

歩こう歩こう私は元気♪

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ありがとうございました!


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2 コメント

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拝読いたしました (風月)
2006-02-24 11:02:19
熱いご意見、印刷しまして拝読させて頂きました。私は気楽なので申し訳ないのですが、

私の自戒としましても時々に読み返させて頂きましょう。

私の師匠の言ですが、一言付け加えさせて下さい。「個人崇拝は気をつけろ、儂を崇拝するようなことはするな。法を大事にして生きていけ」と。

りょうさんのこのブログは保存版にさせて頂きます。
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コメントありがとうございます (りょう)
2006-02-24 21:48:58
>風月さん

風月さん、こんばんは。いつもコメント有り難うございます。

私も貴ブログいつも興味深く拝読しております。「輪廻転生」の記事にコメントしようと思いつつ、考えがまとまらず・・・

胸に抱えているものは、熱いのですが、なかなかそれが現実の生活に反映されないところに、ジレンマを感じます。

>「個人崇拝は気をつけろ、儂を崇拝するようなことはするな。法を大事にして生きていけ」

とのご指摘。

まさにその通りですね。

お釈迦様も、私を拠りどころとするのではなく、私の説いた真理「法」を拠りどころとせよ、と仰いました。

個人を崇拝すると、ろくな結果にならないことは歴史も証明しています。

その言葉、しかと胸に刻みとうございます。



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