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四季折々の花の写真を残したい

 奈良県大和郡山市 歴史民俗探訪の見どころ  香川県歴史研究会長多田豊美

2012-03-18 16:22:45 | Weblog

●大和郡山(やまとこおりやま)城址公園

郡山城は織田信長の支援により、天正八年(1560)筒井順慶が筒井城から郡山に入り郡山城築城と城下町の整備をした。順慶は志なかばで亡くなり、天正十三年(1585)八月、天下人豊臣秀吉の弟秀長が大和、紀伊、和泉で百万石を与えられて入り、本格的に築城した。
 郡山は大坂城を守るため重要な土地だったので近世城郭づくりで壮大な高石垣、荒々しい野面(のづら)積(つ)みで寺院の礎石、庭石、五輪塔、石地蔵などが用いられている。特に天守台裏側のさかさ地蔵はめずらしい。
 秀長は城下町繁栄のため奈良や堺の商人達を郡山に呼び寄せ商売上の持権を与え町の繁栄と組織づくりにつとめた。秀長が亡くなり増田長盛が二十万石で入城し、秋篠川の付け替えや溜池をつないで外堀を完成させた。
 徳川時代になって、水野勝成、松平忠明、本多政勝、松平信之、本多忠平など徳川家譜代の城主の後、享保九年(1724)柳沢吉保の子、吉里が甲府から十五万石で入城して六代百四十五年間在城し、明治二年(1869)柳沢保申が藩籍を奉還し明治六年(1873)明治政府の方針により売却され解体された。
 現在は復元された追手門、隅櫓などが往事の面影をしのばせている。天守からは、東に東大寺、北に薬師寺の塔が望める。園内には春日造りの本殿をもつ柳沢神社、資料を展示する柳沢文庫がある。春の桜は御殿の桜とよばれ『桜の名所百選の地』に選ばれ満開の桜の下でお城まつりが盛大に開催される。

●柳沢文庫
文庫は郡山城址の毘沙門郭跡にある。最後の藩主柳沢保申の後を継いだ保(やす)恵(とし)が明治三十五年(1902)四月開設、三室に歴代藩主の書、和歌集など展示し、郷土の教育振興のため一般に公開した。入館して見学すると柳沢氏の在りし日が偲ばれる。収蔵庫には徳川将軍家の古文書類など数万点が保管され公開して歴史民俗研究者や、市民の文化学習に役立てている。

●金魚資料館
  資料館は、金魚の養殖池が集まっている新木町にあり、30個の水槽に金魚の原種から高級金魚まで展示してある。展示館には江戸時代から近年までの金魚の飼育方法や図書、金魚に関するあらゆる資料がある。
 金魚の歴史は今から約二千年前中国南部地方で野生のフナの中から赤色の魚が発見され、これを原種にして今日の金魚に至っている。
  日本には文亀二年(1502)室町時代中頃中国から渡来したといわれる。大和郡山市での金魚の養殖の由来は享保九年(1724)に柳沢吉保が甲斐の国(山梨県)から大和郡山に入られた時からはじまると伝えられている。
 現在は養殖農家約六十戸養殖面積約90ヘクタール。年間、金魚約5800万匹が生産されている。

●茶道石州流発祥わびの寺 「慈光院」臨済宗大徳寺派 石州流宗 
  わびの寺は大和郡山市小泉町にあります。
 徳川将軍家の茶道指南をしていた片桐石州(豊臣家の武将、片桐且元の甥)が父親貞隆の菩提寺として寛文三年(663)建立された寺院です。
  日本で最古の書院風茶席であり、東広縁から南にかけて生垣越しに大和盆地が一望できます。この風景を眺めながら一服のお茶をすするとき心から開放されたくつろぎを感じます。
  門より庭までの道、建物、万葉借景を茶席の三要素として考え、あまりの絶景に京都金閣寺の鳳林和尚が八景の詩を詠んだという庭は刈り込みによる石の少ない枯れ山水で日本では珍しい造りです。茅葺き入母屋造りの書院、茶室、手水鉢、つくばいは、国、重要文化財になっています。
 ・このお茶席で当日お茶をいただきます。
 ・慈光院尾関館長様にご法話をお願いしています。

●『あわじ花さじき』 当日は菜の花やむらさきなばなが見頃です。
「あわじ花さじき」は明石海峡・大阪湾を背景に花の大パノラマが展開し、季節により変わる愛らしい花々が夢の世界に誘います。

 ※ 平成24年4月15日(日)実施の大和郡山市の歴史民俗探訪は見どころの多い研修ですので早めにお申し込み下さい。