秋の研修は「大本山千手院」と「朝護孫子寺」「生駒聖天宝山寺」へ行きます
平成19年11月11日 香川県歴史研究会
歴史と観光、信仰の名山
『信貴山、生駒山を訪ねて』
河内音頭に歌い込まれている名山
金剛山(葛城山)標高1125メートル
二上山 標高517メートル
信貴山 標高437メートル
生駒山 標高642メートル
この四連山は役(えんの)行者(ぎょうじゃ)小角(おずぬ)がお開きになり、讃岐が生
んだ名僧弘法大師空海もこの山に登り修行をしたといわれている。
《 見どころなど 》
● 大本山 千手院
千手院は信貴山を代表する住職の宿坊である。
昼食はここで精進料理をいただく。
千手院の前庭では、山伏が大護摩祈祷をしている。
※ 小堀(こぼり)遠州(えんしゅう)造園(ぞうえん)の庭
千手院の庭園は枯山水でここに咲く沙羅(さら)双樹(そうじゅ)(夏椿)が有名で
ある。
小堀遠州は近江国(滋賀県)小堀村で天正七年小堀正次の長男として生まれ26
歳で備中松山城一万四千石の城主となり、高梁市の頼久寺の庭を造る。
夏の陣の後、徳川家康に仕え伏見奉行となり従五位下遠江守(とうとうみのかみ)
に任ぜられた。
遠州は武将であり茶道・歌道・陶芸・造園などに造詣が深く、遠州の作事指図に
よるという茶席や庭園は、各所にあるが千手院の庭園も昔からその一つと言われて
きた。
● 朝(ちょう)護(ご)孫子寺(そんしじ)
聖徳太子が寅の年・寅の日・寅の刻にこの山で毘沙門天を感得したことにより創
建された寺である。
舞台作りの本堂から見る眺望がすばらしい。
国宝の信貴山縁起絵巻は、年一回公開されるが普段は模写したものが展示されて
いる。
○ この寺で家内安全・無病息災・延命の大般若祈祷をお願いしている。
※ 信貴山城跡
戦国時代、松永久秀の居城であった
松永久秀は永正7年(1559)阿波の国(徳島県)三好長慶に仕えて家宰に昇
進して勢力をもち信貴山城を築いた。三好長慶の母の妹が久秀に嫁している。
三好長慶の弟、高松市十川城主十河(そごう)一存(かずまさ)は、松永久秀の謀略
により有馬温泉で落馬して怪死した。
天正三年(1573)松永久秀は織田信長に背いたため明智光秀、細川忠興に攻
められ城は炎上し落城した。松永久秀は城中で自害した。
※ 信貴生駒山スカイライン
信貴山から生駒山の尾根を走る全長20.9キロメートルのドライブウェイ、か
たや大阪平野かたや奈良平野が一望できる大展望のドライブウェイである。
※ 暗(くらがり)峠(とうげ)
奈良と大阪を結ぶ昔の峠道、全道が石畳で風情たっぷりの峠道である。
● 生駒聖天 宝山寺
生駒の聖天さんで親しまれ、歓喜天をお祀りしてある
商売繁盛や、どんな願い事にもご利益のある、庶民信仰の厚い聖天さんである
聖天さんのご紋は大根二本と宝袋である
高松市の八栗寺の聖天さんのご紋と同じである
● 説話
宝山寺・資料室長の築部章三先生より生駒の歴史などについてお話があります。
平成19年11月11日 香川県歴史研究会
歴史と観光、信仰の名山
『信貴山、生駒山を訪ねて』
河内音頭に歌い込まれている名山
金剛山(葛城山)標高1125メートル
二上山 標高517メートル
信貴山 標高437メートル
生駒山 標高642メートル
この四連山は役(えんの)行者(ぎょうじゃ)小角(おずぬ)がお開きになり、讃岐が生
んだ名僧弘法大師空海もこの山に登り修行をしたといわれている。
《 見どころなど 》
● 大本山 千手院
千手院は信貴山を代表する住職の宿坊である。
昼食はここで精進料理をいただく。
千手院の前庭では、山伏が大護摩祈祷をしている。
※ 小堀(こぼり)遠州(えんしゅう)造園(ぞうえん)の庭
千手院の庭園は枯山水でここに咲く沙羅(さら)双樹(そうじゅ)(夏椿)が有名で
ある。
小堀遠州は近江国(滋賀県)小堀村で天正七年小堀正次の長男として生まれ26
歳で備中松山城一万四千石の城主となり、高梁市の頼久寺の庭を造る。
夏の陣の後、徳川家康に仕え伏見奉行となり従五位下遠江守(とうとうみのかみ)
に任ぜられた。
遠州は武将であり茶道・歌道・陶芸・造園などに造詣が深く、遠州の作事指図に
よるという茶席や庭園は、各所にあるが千手院の庭園も昔からその一つと言われて
きた。
● 朝(ちょう)護(ご)孫子寺(そんしじ)
聖徳太子が寅の年・寅の日・寅の刻にこの山で毘沙門天を感得したことにより創
建された寺である。
舞台作りの本堂から見る眺望がすばらしい。
国宝の信貴山縁起絵巻は、年一回公開されるが普段は模写したものが展示されて
いる。
○ この寺で家内安全・無病息災・延命の大般若祈祷をお願いしている。
※ 信貴山城跡
戦国時代、松永久秀の居城であった
松永久秀は永正7年(1559)阿波の国(徳島県)三好長慶に仕えて家宰に昇
進して勢力をもち信貴山城を築いた。三好長慶の母の妹が久秀に嫁している。
三好長慶の弟、高松市十川城主十河(そごう)一存(かずまさ)は、松永久秀の謀略
により有馬温泉で落馬して怪死した。
天正三年(1573)松永久秀は織田信長に背いたため明智光秀、細川忠興に攻
められ城は炎上し落城した。松永久秀は城中で自害した。
※ 信貴生駒山スカイライン
信貴山から生駒山の尾根を走る全長20.9キロメートルのドライブウェイ、か
たや大阪平野かたや奈良平野が一望できる大展望のドライブウェイである。
※ 暗(くらがり)峠(とうげ)
奈良と大阪を結ぶ昔の峠道、全道が石畳で風情たっぷりの峠道である。
● 生駒聖天 宝山寺
生駒の聖天さんで親しまれ、歓喜天をお祀りしてある
商売繁盛や、どんな願い事にもご利益のある、庶民信仰の厚い聖天さんである
聖天さんのご紋は大根二本と宝袋である
高松市の八栗寺の聖天さんのご紋と同じである
● 説話
宝山寺・資料室長の築部章三先生より生駒の歴史などについてお話があります。
お彼岸のお墓掃除の帰りに撮りました。5時30分頃でした。
落ち着かずに撮ったので見苦しいです。こんな色もあるのを見てください。
ぼやけたり、咲き終わった花があったり・・・
落ち着かずに撮ったので見苦しいです。こんな色もあるのを見てください。
ぼやけたり、咲き終わった花があったり・・・