mugifumi日誌

海外旅行の体験のほか園芸、料理などの生活雑感を思いつくままに綴っています。

トルコ一周とカッパドキアの旅

2017年05月27日 | 旅行記
 毎日、畑に大豆を植えることができないで、気をもんでいますが、そのお陰で「Mugifumi夫婦の海外旅行」の執筆が進んでいます。
 現在、2010年に訪問した「トルコ一周とカッパドキアの旅」を執筆していて、旅行8日目(13日間の旅です。)の「トロイ遺跡」に差し掛かっています。

 トロイ遺跡は、エジプトのピラミッドなどとともに学校で学習したからでしょうか?名前は聞いたことがあったのです。
 そして、実際に訪問したのですが、ここがどうして世界遺産に登録されたのか?理解できませんでした。
 といいますのも、小さな丘陵のようなところに「ガラクタのような岩などが転がっている。」という表現がぴったりのような光景が広がっていたからです。
 だから、「なあんだ、がっかり!だな」などとと思いながら見学したことを思い出します。

 ところが、旅行記を書いていますと、そんなことを思ってはいけない素晴らしい遺跡だったことが分かったのです。
 何しろ、その歴史を見ますと、BC3000年~ごろからはじまっているというのですから驚きです。
 「長い期間に町が重なって卵型に出来上がったヒサルクの丘の遺構は、時代ごとに9つの市に分けられていて」、この遺構が「トロイ」だというのが大勢だそうです。
 なぜ、このように奥歯にものが挟まったような言い方になるかといいますと、これまでの発掘からは、それを明確に証拠立てる、土地や王の名を記した碑文などはいっさい見つかっていない、からだそうです。

 さて、その9つの市(時代?)は、次のように分類されています。
 Ⅰ(1)市 B.C3000年ごろ~ 初期青銅器時代。石壁と長屋のような集落小屋が残る。
 Ⅱ(2)市 B.C2800年ごろ~ 最初の繁栄期。城門、傾斜路などを持つ城塞都市。シュリーマンが財宝を発掘したのはこの層。
 Ⅲ(3)~Ⅳ(4)市 B.C2200年ごろ~ 詳細不詳。停滞またはゆるやかな発展。異民族侵入?
 Ⅴ(5)市 B.C1800年ごろ~ 繁栄期。塔を持つ城壁、宮殿らしい複数のメガロンのある城塞都市。ミケナイとの交流を示す陶器など。
 Ⅵ(6)市a B.C1280年ごろ~ 1200年頃、火災と都市壊滅。トロイ戦争はこの時期か。
 Ⅶ(7)市b B.C1200年ごろ~ 都市は引き継がれるが衰退。廃墟が放置された。
 Ⅷ(8)市 B.C700年ごろ~ ギリシャ人入植者による城塞都市再建。大きな神殿などが建設され、町はイリオンと呼ばれた。ホメロスはこのころの人。アレクサンドロスも訪れた。
 Ⅸ(9)市 B.C85年、ローマの攻撃による炎上。ローマによる再建で、劇場、浴場などが造られた。5世紀末の地震により放棄。

 小生が、ここでなぜトロイ遺跡の歴史を申し上げたのかといいますと、この分類に従って遺跡を見学したからではありません。
 6のB.C1280年ごろにある「トロイ戦争」という記述が気になるからです。
 そして、この「トロイ戦争」を描いたのが8のB.C700年ごろにある「ホメロス」という人なのです。

 そこで、小生は、ホームページの旅行記にこの「トロイ戦争」のことを記事にしてみたい!と悪戦苦闘しながら執筆をすすめています。
 このブログでもそこのところを例によって夫婦の会話形式で記事にしてみたいと思ったのですが、時間がなくなってきました。

 <トロイの木馬> 


 <入口付近の植物>


 <入口付近に猫が!>


 
 トロイ遺跡の木馬などの写真を掲載して、これにて失礼します。
 トロイ戦争とホメロスについては、次の機会にお伝えします。
 


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