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日本でイスラムが敬遠される理由 その①

2009-01-09 21:22:43 | 世相(日本)
 石油なくして到底現代文明は成立しないが、21世紀に到っても一般に日本ではイスラム圏への関心はかなり低い。マスコミも中東情勢が喧しい時だけ取り上げながら、その後すぐ忘れ去られる。この地域に関心を持つ者など、少数の変わり者やらへそ曲がり程度という始末。イスラムのイメージが悪いのはイスラム諸国自身の問題ばかりでなく、日本の知識人及びシンパ、日本人ムスリムにも責任がある。日本の「親イスラム」の人々が、反ってネガティブな印象を与える行いをしているのは、皮肉な現象である。

 一昔前なら日本人“親イスラム”とは、“親アラブ”が殆どだった。彼らは中東におけるアメリカ、イスラエルの覇権主義を糾弾、反帝国主義をがなりたてていたものだ。この2ヶ国の専横は人道上非難されて当然だが、ならば“親アラブ”を自称する人たちはイスラム世界に精通しているかと思いきや、主張からその知識のお粗末さ、認識度の低さが知れる者も少なくない。
 そして“親イスラム”の最も不可解なのは、パレスチナ(最近これにアフガン、イラクも加わる)の惨状は主張しても、ウイグル、チェチェンなどの人権蹂躙にはまず触れないことである。ある親米を自称するブロガー氏は欧米批判者を過激左派と決め付けていたが、そう疑われても当然の輩だろう。本当に“親イスラム”ならば、非欧米国家のムスリム弾圧にも声を上げる筈だ。“親イスラム”の衣をまとった共産主義と見なされたのは一切彼らに責任がある。

 私がブログで度々引用する『イスラムからの発想』(大島直政著、講談社現代新書629)は、初版が昭和56(1981)年、実に四半世紀以上も昔に書かれた本である。しかし、その内容は未だに色あせず、“親イスラム”に限らず我国の知識人の姿勢は、あまり変化しないと痛感させられる。この本の「はじめに」から一部を紹介したい。

これまでイスラム世界について同胞が書いたものを読むと、その大半が自分の印象だけを基にして「感情論」を語り、「イスラムべったり派」と「反イスラム派」の二極に分かれているようである。つまり、我々とイスラム世界との社会構造や精神構造の差に注目して、なるべく感情を抑えて論じたものは少ない。そして、「相互理解」の前提には「相互認識」が必要であり、そこに到るのがいかに困難かを正直に告白している「識者」は殆どいない…
 したがって、イスラム教徒である異国人が日本人向けに書いた著書や、イスラムかぶれした同胞の書物に、我々が違和感や抵抗を覚えて当然なのである。何故なら、結局のところ、イラスム教徒にはイスラム教徒としての考え方しか出来ないし、日本人には日本人としての考え方しか出来ないからである。だから、互いに自分の考え方を提示することは当然の権利だが、それを相手に押し付ける権利などはありはしない…


 この本が出版された'80年代はまだ冷戦中であり、共産主義への魅力は色褪せてはきたものの、依然いわゆる“進歩的文化人”が言論界を牛耳っていた。彼らの多くが“イスラムべったり派”だったのは言うまでもなく、それを見越した大島氏は「あとがき」で、「本書を読むとイラスムべったり派は、明らかにイラスム教に反感を持たせる目的で書いたものだと激怒するであろう」と述べている。氏はさらに続けて“イスラムべったり派”への批判を書く。

「日本教徒」であるくせに、さも「世界教徒」であるかのように振舞っている識者たちを苦々しく思っている。特に「イスラム教の本来の姿」と「現実のイスラム教徒」の矛盾を、安易なヒューマニズムの感情論で誤魔化している人々には、結果として日本を誤らせるものだと怒りさえ覚えてしまうのである…我々は島国という条件のせいか、異質の社会や文化を理想化してしまい、それに幻想を抱くという傾向があるけれど、幻想はあくまで幻想でしかなく、「事実」というのは常に冷酷なものなのである…

 最近のアラブ研究者には池内恵氏のように、イスラムの思想や世界を過度に理想化した過去の学者たちのへの批判を行う方も出てきたのは、結構なことだと思う。もちろん池内氏の著書は物議を醸し、それに対する批判は少なくない。
 同時に改宗した日本人ムスリムの中には、中田考が典型だが完全なイスラムかぶれもおり、その言動はイスラムへの好感どころか、嫌悪と疑念、敵意を掻きたてるために尽力しているかのようだ。改宗者ゆえボーンムスリム(生まれながらのムスリム)より教条的だが、所詮は居心地のよい偶像崇拝の国に居住している厚かましい寄生者に過ぎない。来日したロシア人留学生の言葉を借りれば、「美味いビールを飲み、共産主義の夢を語っていた」日本のマルキストと同類である。このような人物が日本人ムスリムの指導的立場にあるのならば、かつてのキリシタンと同じ轍を踏むであろう。
その②に続く

◆関連記事:「相互理解
 「悪魔の詩
 「ネットに見える日本人ムスリム

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