トーキング・マイノリティ

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オオカミは嘘をつく 13/イスラエル

2015-06-27 20:40:16 | 映画

 原題:Big Bad Wolves、日本では公開の珍しいイスラエル映画。チラシには「何が正義で何が悪か」「予想を裏切る衝撃のラストにあなたの価値観が崩される―!!!」のコピーがあり、ストーリーをこう紹介していた。

森の中で起こったある凄惨な少女暴行殺人事件。刑事ミッキは捜査を進めていくうちに、最重要容疑者を特定する。それは一見温厚に見える宗教学の教師ドロールだった。ミッキは不法な取り調べを行い、その動画を偶然ネット上に流されたため捜査は中止に。しかしドロールへの追跡を止めないミッキ。そこへ割り込んできたのは、犠牲者である少女の父親ギディだった。彼は法律で裁かれないドロールを自らの手で裁くために周到な復讐計画を練っていたのだった――。
 物語は徐々に取り返しのつかない方向へと進み、3人の男たちは破滅へと向かう。そして最後の1カット、その衝撃はあなたの想像を必ず裏切るだろう。

 バイオレンスやホラー映画なら他国でも量産されているが、作品はいかにもイスラエルらしい展開だった。ミッキの行った“不法な”取り調べとは暴力による自白強要であり、平たく言えば拷問なのだ。ミッキ自身も電話帳を使った殴打は効果的と言っており、それを同僚や上司も認めている節がある。イスラエル警察にはナチス同然の暴力刑事がいるのやら。
 主要登場人物3人の中で、最も過激なのは娘を殺されたギディ。年端もいかぬ娘を犯されただけでなく手の指を全て折られ、足の爪を剝された上にのこぎりで首を切断されたのだ。遺体は森の中で椅子に縛られた姿で発見されたが、頭部はなかった。ギディはアラブ人居住区近くの家を買い、そこで拉致してきたドロールに娘と同じやり方で復讐を始める。

 ミッキはギディの復讐に巻き込まれる羽目になるのだが、後者も一応は堅気の40代半ばの男なのだ。粗暴なミッキさえドロールへの拷問はやり過ぎと思ったが、いくら暴行を受けてもドロールは自分は少女殺しをやっていないと繰り返す。
 その場に現れたのがギディの父親。さすがにギディも復讐実行は両親に黙っていたが、不審に思った老父は地下室に降りていき、事情を全て知る。そしてギディの老父までもが復讐に加わるのだ。老父は息子に尋問のひとつとして火責めを挙げ、お前も軍隊経験で習っただろう…と諭す。イスラエル軍では火を使う“尋問”が日常的に行われているとすれば、この時点でナチス親衛隊を超えている。

 父の意見に従い、バーナーを持ち出してドロールの胸部を焼くギディ。人肉の焼けるにおいに、まるで焼肉のようだ、と興奮するギディ父子。それでもドロールは無実を訴え続け、彼自身にも娘はいたのだ。
 映画では2度、騎乗姿のアラブ青年が登場するが、付近に住んでいる人物である。隙を見てギディの地下室から脱走したミッキにもフレンドリーな態度で接し、持っているスマホを貸す。このアラブ人が映画の中では最もマトモな登場人物というのも皮肉だった。

 スマホで連絡を取ったミッキだが、彼の娘が行方知れずになっていたことを知る。チラシのストーリ紹介にあるとおり、最後の1カットは衝撃的だった。警察がドロールの家の捜索をしており、少女が横たわっているシーンで幕となる。ミッキの行方不明になった娘を連想させられるし、この少女の生死は不明のままなのだ。
 結局のところ、凄惨な少女暴行殺人事件の犯人がドロールだったのかは明示しないオチとなっている。たとえこの事件の犯人でなかったにせよ、家に少女を監禁していただけでドロールも犯罪者なのだ。娘がいて、近所の老人には優しい教師が変質者という設定も怖い。

 2013年の第18回釜山国際映画祭で、飛び入り参加したクエンティン・タランティーノ監督がこの映画を絶賛したことがチラシに載っていたが、さもありなん。復讐劇としても終始陰惨だったが、興味深いシーンもある。
 ギディの母は中年になった息子にも過干渉であり、よく電話をかけてくる。息子夫婦の不仲を心配、「私たちの時代には結婚したら最後まで連れ添ったものだ…」と説教する。孫娘を惨殺され息子の復讐に加担したギディの父は、妻のスープを持って息子の家を訪ねている所からも、家族関係はよいことが伺える。家族の結束の強さで知られるユダヤ人だが、家族を虐殺されたことに対する復讐心ではアラブ人に負けない。アパルトヘイト時代の南アフリカとナチス、イスラム過激派を融合させたのが現代イスラエルだが、これにひたすらニコニコ奉仕する日本人もいる。

 ギディの復讐を狂気と感じた日本人も多いだろうが、ユダヤ教ではきちんと復讐は認められている。認められているというより、神に命じられていると解釈するユダヤ人も少なくないし、旧約聖書にはこの一節がある。
だれでも、人を撃ち殺した者は、必ず殺されなければならないレビ記24-17



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2 コメント

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復讐と「廃墟の零年」 (madi)
2015-06-28 01:55:01
イアン・ブルマ「廃墟の零年」は1945年を戦争終結からの復興の0年としてヨーロッパとアジアでなにがおこったかをえがいたものです。勝者となった復讐者の残酷な行為もわりととりあげています。別のところに書いた簡単な紹介を転載しておきます。かたい出版社からのものですし、図書館には歴史書としていれてくれるとおもいます。岡山県立図書館には原書もありました。

2015年5月16日の朝日新聞朝刊・天声人語で引用されていました。進歩的文化人に分類されるひとということなのでしょう。1945年を復活の零年として、その後日独になにがおきたかを描いていきます。
2013年の英語圏でよく売れた本が2015年に翻訳されました。
戦勝国側の残酷な行為がわりと表にでてきています。

ポーランドにドイツ人がいないのはなぜか?殺すか追放するかしたから。

イギリスはニュルンベルク戦争裁判に最初は反対していたのはなぜか?どさくさで必要な人間の処刑を裁判ぬきでやればいいと考えていたから。

ソ連はなぜ満州や北方領土で火事場泥棒をはたらいたのか。ドイツでも世界中でもやっているのであり、やらないことはありえない。

国際連合結成中のポーランドの自由主義者のスターリンによる粛清はなぜほかの国からみすごされたのか。

ソ連崩壊後明らかになったこととかアメリカの情報公開の結果も反映されています。



廃墟の零年1945
2015年1月20日 印刷
2015年2月5日 発行
著 者 イアン・ブルマ
訳 者 Ⓒ三浦 元博(みうら もとひろ)
    Ⓒ軍司 泰史(ぐんじ やすし)
装丁者 日下充典
発行者 及川直志
発行所 株式会社 白水社
ISBN978-4-560-08411-3
C0022

目次

プロローグ

第1部 解放コンプレックス
 第1章 歓喜
 第2章 飢餓
 第3章 報復
 
第2部 瓦礫を片付けて
 第4章 帰郷
 第5章 毒を抜く
 第6章 法の支配
 
第3部 二度と再び
 第7章 明るく確信に満ちた朝
 第8章 蛮人を文明化する
 第9章 一つの世界

エピローグ
訳者あとがき

図版クレジット
原注
主要人名索引

返信する
Re:復讐と「廃墟の零年」 (mugi)
2015-06-28 22:54:17
>madi さん、

 イアン・ブルマという人物は初耳ですが、元はジャーナリストで現代はハーバード大教授だそうですね。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%9E

「廃墟の零年」も検索したら、今年1月に出版された単行本とか。面白そうな本の紹介を有難うございました!そしてコラムやブログでも興味深い書評があります。
http://kiyomiya-masaaki.hatenablog.com/entry/2015/04/01/105144
http://mainichi.jp/shimen/news/20150215ddm015070005000c.html

 毎日新聞の書評サイトには、戦勝国側での戦時中に敵国に協力した自国民への激しい迫害行為が載っており、その箇所を引用します。
「たとえばフランスでは1945年5月以降、約4000人の男女が暴力的な粛清で亡くなったという。興味深いのは「『ドイツ(フィユ・)野郎の女(ド・ボッシュ)』を一番熱心に迫害したのは通常、戦時中に勇敢な行動で際立っていた人びとではなかった」ことだ…」

 戦後のフランスで独軍に協力した男は即刻縛り首にされ、女達は丸坊主にされて町を行進させられたことは知っていましたが、虐殺された女も少なくなかったのでしょう。尤もこのようなケースはいつの時代も何処でも起きることです。以前記事に描きましたが、イタリア映画
『マレーナ』のヒロインは戦後、女達によりリンチを受けていました。
http://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/7fa973e1dff339d77abbed931bf2d149

 著者は「進歩的文化人」に分類される人物なのでしょうか?戦勝国側の残酷な行為がわりと表に出しているのは、戦勝国側は絶対に裁かれないという事情を熟知しているからでしょうね。
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