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インド三国志

2005-09-19 20:12:05 | 読書/インド史
 歴史上の著名人を主人公とするのは著者がその人物に入れ込んだか、または好感は持てなくともその時代を描くのに最適の人物だからだ。著者の 舜臣 氏は明らかに後者の理由で『インド三国志』を書いている。ムガル帝国6代皇帝アウラングゼーブ(在位1658-1707)がその主人公。彼の父である5代皇帝はタージ・マハルを建てたので有名なシャー・ジャハーン。

 インド“三国志”としてるのは、アウラングゼーブのムガル帝国、ヒンドゥーのシヴァージー・ボンスラ(1627~1680)のマラーター王国、イギリス東インド会社を便宜上三国としたから。しかし、もっぱら戦いはムガルとマラーターが中心で、イギリスの方はまだ17世紀は強大な基盤は築いてない。

 父帝から“ナマージ(祈る人)”と呼ばれたアウラングゼーブはイスラム教スンニ派の敬虔な、しかも教条主義的信者だった。このような人物が異教徒に寛容になるはずがない。大帝アクバル(在位1556-1605)以来続いていたヒンドゥーはじめ他宗教との融和政策を基本から否定し、ジズヤ(人頭税)を復活、ヒンドゥーはもちろんシーア派も弾圧、その寺院の破壊を強行する。破壊されなかった寺院の修繕は禁止される。当然ヒンドゥー、シク教徒が激しい反乱を頻発させ、ムガルは衰退していく。

 長子相続が決まってなかったため、血生臭い兄弟間の争いがムガルの皇位継承の伝統だった。タージ・マハルでロマンチストの愛妻家のイメージが強いシャー・ジャハーンも、盲目の兄を毒殺し、弟を捕え目を潰し地下牢に投げ込むことをしている。
 カエルの子は何とやらで、アウラングゼーブも同腹の兄弟には惨い殺害を行った。優れた学者であり父の寵愛を一身に受けていた長兄ダーラー・シコーは、弟との戦いに敗れて2番目の息子と共にボロを着せられ泥まみれの象に乗せられ、デリーの街を引き回した後、殺害された。「イスラムに対する背教」が、他宗教に寛容でインドの聖典ウパニシャッドをペルシア語に翻訳した兄への処刑宣告だった。陳氏は嫌悪感も露わに「残虐というも愚かである」と結んでいる。
 まだ、ひと思いに殺された方が残虐でなかった。捕われたダーラーの長子のスレイマーンはポーストという飲み物を与えられたが、これはケシを潰して1晩水に漬けたものだ。恰幅のよい美男で宮廷の貴婦人の憧れだった彼は変わり果てた姿で死亡した。

 アウラングゼーブの異教徒への弾圧は逆に強力な敵を作り出す。ヒンドゥーの誇り高き戦士ラージュプート族ばかりか、西ガーツ山岳地帯に住むマラーター族も結束させた。マラーターを率いムガルにゲリラ戦を挑み続けたのがヒンドゥーのシヴァージー・ボンスラ。彼は「組織の天才、作戦の神」と詠われ、敵のムガル皇帝には“山ネズミ”と呼ばれる。
 シヴァージーの戦いぶりや悲願の王国を建設するのは読んでいて痛快だ。ヒンドゥーからすれば、ムガルは憎むべきムレッチャである。ムレッチャは“夷狄” と訳されるが、「汚れた血を持つもの」という意味もある。彼は今でもヒンドゥーからは人気の高い英雄で、ムンバイ(旧ボンベイ)には馬上姿の像があり、敵を威嚇するかのようにアラビア海のかなたを見据えている。

 優れた英雄として描かれているシヴァージーに対し、作者はアウラングゼーブにはかなり辛辣だ。「その過熱した宗教心によって、強力な軍事力を失い、戦わないでもすむ敵を懸命に量産するという、愚劣なことをしていた」ので、「政治家としてみた場合、アウラングゼーブ帝の行動は狂気という他はない。また、優れた宗教人なら、もっと寛容なはずだ。政治家としても宗教家としてもアウラングゼーブ帝は落第生」が著者の評価。
 陳氏だけでなく、ヒンドゥー史家はもちろん日欧の研究者も一様に彼への評価は低い。ただ、インドのムスリム史家はそうでなく、むしろ一般のムスリムは大帝アクバルより人気が高い。異教徒からの批判に対し、ムスリム史家は「アウラングゼーブは実はヒンドゥーとの協調を求めていた」など、何やらヒトラーを庇い立てするドイツの歴史修正主義者のようなことを発言するのでますます信用されなくなる。
 ただ、アウラングゼーブの時代にいきなり保守反動になったのではなく、父帝は1633年にヒンドゥー寺院を新しく建てることと、古い寺院の修理を禁じる。さらに翌年にはパンジャブやカシミールで一般的になりつつあったヒンドゥーとムスリムとの結婚も禁止した。両者とも似てきた服装を厳格に分けるように命じ、イスラムへの集団改宗を強制することもあったので、すでに反動の兆しはあった。

 それでもアウラングゼーブは軍事的手腕には恵まれていたので、50年ものあいだ皇帝でいられたが、むしろ著者に言わせれば、「ムガル王朝の悲劇」だった。彼の死後、すっかり弱体化したムガルに隣国アフシャール朝ペルシア(1736-95)が侵攻、大打撃を被り、フランス勢力を駆逐したイギリスが領土を蚕食していく。

 いつの時代も世界は弱肉強食の場であり、条約など空手形、洋の東西問わず弱体化した国はハゲタカを惹きつけるのだ。


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