トーキング・マイノリティ

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女とキリスト教 その二

2013-12-25 21:10:43 | 世相(日本)

その一の続き
 再び「りり」氏から「天国だとか地獄だとか」というタイトルでの書込みがあり、これも一部引用したい。

私もまだ教会にちゃんと通っていた頃、「死ぬ時に、神のいる世界を目の当たりにすることで、『ああ、こんな素晴らしい世界なのに、神という存在はこんなに素晴らしいのに、何故私は信じなかったんだろう、もっと信じればよかった』と(その世界に行けない自分に対して) 誰もが後悔するんですよ」と説教の中で脅されたことがあります。
 そして、この死後の自分の運命への不安からキリスト教を信じるのをやめられずにいましたが、彼らの言う天国のほうが私には地獄かも知れないなと最近思うようになりました。  

 だって天国ってAさんのご主人みたいな立派な方は入れなくて、Aさんの信者仲間や、関
連記事に登場してきた宣教師やブログ主みたいな人たちが、わんさかいるところなんですよね?きっと…。しかも「天国に入れた」ことで、ますます傲慢になっていることでしょう。そんな中に行きたいとは正直思わなくなりました。

 Aさんの件ですが、ネットなのでぼかして書いていたのですが、宗教活動そのものというよりは、キリスト教系福祉施設のボランティアですので、Aさんのご主人も「社会貢献」のつもりで協力していたのかもしれませんね。交通費を出すと言って出さなかったのは、施設の連中ですしね。
 ただAさんが今後出来ることがあるとすれば、その者達の本性を知ったことですし、一切その人たちとは手を切って、その人たちに利用されて注いできてしまった分、立派なご主人を今まで以上に大切にすることでしょうね。(それが出来ないのがクリスチャンかもしれませんが)

 ただ、Aさんはお金の件もご主人に許可を取り、「ご主人のおかげで…」という気持ちがあるだけ、クリスチャン主婦の中ではまだマシなように思います。教会には、結婚後に洗礼を受け、それを許してくれたご主人が稼いだお金を教会に使い、教会の活動のために休日ろくに家事もしない癖に、信者じゃない夫を見下している中高年の女性たちが少なからずいました。夫婦仲がうまくいかないのは自分の言動のせいなのに、「夫も信仰があれば…」とか、とんちんかんなことを考えていたり…。(この典型が私の母なのです…情けないです)

 有閑マダムが宗教に入れ込むと、夫や子供が犠牲になります。救われるのは本人だけ。身近な家族を犠牲にし、自分だけが救われて幸せでいられる時点で既に、「そこに愛はないんじゃないの?」と言いたくなります。

 私の母は典型的な“無信仰”日本人で、宗教にハマる人間を頭から毛嫌いしている。「お祈りしても世の中は変わらない」が口癖で、クリスチャン主婦から見ればさぞ冷たく愛もなく、意識の低い女となろう。しかし、上記のようなコメントを見ただけでそんな母を持ったことを幸せに思う。もっとも私の父なら、宗教活動で休日でもろくに家事もしない妻なら叩きだしていただろう。「男子、厨房に入るべからず」を実践していた昭和一桁男は、Aさんの夫のように優しくはない。

 有閑マダムが宗教にハマれば、キリスト教に限らず他宗教信者でも似たような言動となるはずだ。我が家にもよく土日早朝、宗派は不明だがキリスト教徒の女が勧誘に来る。あれも教団への一種のボランティアかもしれないが、金と暇がなければやれないはず。ドアホン越しに断っても、カラーのパンフレットをポストに入れていく厚かましさ。全く紙の無駄としか思えない。クリスチャンホームに生まれ育ち、今は棄教した女性ブロガーが意味深いことを言っている
それから、今から考えれば、大人のクリスチャンの多くは、女性は主婦が圧倒的に多く、男性は公務員、定年退職者が多かったです。要するに、宗教とは生活にゆとりのある人の趣味なのです

 殊に日本の女はメディアの影響を受けやすく、欧米人の信仰する宗教というだけで憧れの念を抱く者が少なくないはず。そんな同性たちを冷笑する私のような女はマイノリティの変わり者なのだ。私は今まで死後の自分の運命への不安を感じたことは全くないし、このような者は宗教に懐疑的になるのだろうか。
 一般に日本人には狂信者は少ないと思われがちだが、元クリスチャンのブロガー氏の記事にあった一文は妙に考えさせられた。
日本人は宗教的な感覚が淡白であるように言われることがありますが、一旦はまるとキチガイになってしまう人も多いのです

◆関連記事:「キリスト教嫌いの私見
人を幸福にするはずの宗教?
思想の法廷―J.ネルーの宗教観

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2 コメント

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Unknown (クッキングホイル)
2013-12-25 22:24:49
「宗教」というのは、キリスト教、天理教、創価学会、統一教会、オウム真理教、といったようなもののことであります。ですから、日本の神社、お寺は宗教ではなくて「社会的施設」なのです。ですから、確かに日本人は宗教に免疫がありません。日本人が宗教にハマると基地外になってしまう。これは仕方のないことかもしれません。
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クッキングホイルさんへ (mugi)
2013-12-26 21:17:50
 日本の神社、お寺は宗教ではなくて「社会的施設」という見方はユニークですね。かつては宗教施設だったにせよ、今はそうなりました。例外もありますが、基本的にヒンドゥー教の寺院に異教徒は入れません。昔の日本のお寺では西欧人はもちろん女人さえ禁制でした。それが宗教施設なのです。

 宗教に免役のあるはずの他国人でも、棄教して新たな宗教に入信すると基地外になってしまうケースもありますよね。まして日本人なら大変です。キリスト教を止めても他のカルトにすがりつき、そこでもうまくいかず宗教ジプシーになる。宗教にハマらないためには、宗教への知識を付けることでしょう。
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