トーキング・マイノリティ

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クソ坊主 その一

2014-04-06 21:10:17 | マスコミ、ネット

 のっけから暴言で恐縮だが、先日思わず、“このクソ坊主”と毒づいたことがあったので、ブログタイトルにすることにした。3月30日付の河北新報第5面の「持論・時論」のコラムに、宮城県大和町(たいわちょう)の遠藤龍地(67歳)なる住職が投稿しており、中央の大見出しには「中国に助言、真の友好を」。その左隣にはそれより小さめの「大気汚染と原発の危険性」の見出しがある。以下の色字は“クソ坊主”の投稿全文。

3月5日、中国の李克強首相は大気汚染対策を強力に推し進める方針を示した。中国は世界の石炭の半分を消費し、その半分は家庭のストーブで用いられているため、微小粒子状物質(PM2.5)による大気汚染が急速に進んでいる。その影響で、日本にあるPM2.5の半分は中国からやってくる。今、日本国内では中国への嫌悪感が拡大し、PM2.5についても「加害者」である中国への厳しい視線がある。しかし、加害者を攻撃するだけが問題解決の方法だろうか。
 日本にも、かつて工場と車の急速な膨張により大気汚染に苦しんだ時代があった。全国民を挙げて大気汚染に打ち勝った日本は、中国に対して先輩ならではの適切なアドバイスをすべきではなかろうか。マスクを手放せない中国人も日本人と同じく人間であり、しかも隣人である。まして、中国がこの難問を解決するならば、それは日本の危機回避の道ともなるのである。

 危機管理という観点では、中国の原発から目を離せない。中国は2050年までに4億kwの電力を確保しようとしており、そのためには400基もの原発が必要となる。今でも計画中のものを合わせれば50基に近いが、それらは全て東部の海岸や河川沿いにある。しかも、この地域は有数の地震地帯である。一旦原発事故が起きれば、日本全体が「非難指定区域」になりかねない。それは日本の滅亡を意味するのではないか。
 そうならないという保証はどこにもない。福島第一原発の現実と中国の現状を考えれば、「現実的な危険」であると言わざるを得ない。千年万年単位で「豊芦原瑞穂の国」を守るため、隣国の中国を守るために、必要なのは原発先進国の日本が率先して原発を廃棄し、世界中の国々が原発を用いなくなるよう粘り強い行動を続けることではないだろうか。

 2月14日、メキシコにおいて第2回「核兵器の非人道性に関する国際会議」が開催された。「過去、兵器は法的に禁止された後に廃絶されてきた。これこそが核無き世界を成し遂げる道だ」。メキシコのゴメス・ロブレド外務次官の言である。次回の会議が予定されているオーストリアは声明を発表した。「パラダイム転換は遅きに失したくらいだ」。命あるものへ牙をむき、自然を破壊する核は許されないという人類全体の強い決意が求められる。

 スリーマイル島チェルノブイリの事故を踏まえ万全を期していたはずの日本が、大事故を起こした。あの時、米国は自国民を日本から脱出させ、空母を派遣した。外国人だけでなく日本人も福島県や東北地方、或いは東京からも続々と離れた。原発廃絶は、政治論、経済論のみならず、文明論、国防論としても大事な視点である。原爆を落とされ、原発事故を起こした日本人が決して見失ってはならない目標であり続けるのではなかろうか。

 かつて、上杉謙信は宿敵武田信玄へ塩を送り窮地を救った。日本文化の基底をなしている仏教は、殆どが中国経由でもたらされた。仏の慈悲は決して相手を選ばない。今、日本と中国は緊張関係にあるが、大気汚染という中国国民の現実的な苦しみに手を差し伸べ、原発の拡大という文明への危険因子を取り除く手助けをして、隣人隣国として真の友好を目指すべきである

 上記のコラムを読み感銘を受けた者もいるだろうが、私にはバカバカしいの一言だった。相も変わらずバカの一つ覚え丸出しで、未だに隣国との「真の友好」を繰り返す寝言同然のスローガン。日本のキリスト教聖職者にはこの類の考えの持ち主が珍しくないが、住職の中にも“赤い僧侶”がいるらしい。ネットしたこともない昭和一桁生まれの私の母さえ、遠藤氏のコラムを見て「この坊さん、おかしいんじゃないの」 と言っていた。
 そして反核と反原発が結び付いているのが改めて伺える。こんなコラムを書く方も書く方だが、載せる新聞も新聞なのだ。尤も河北に限らず日本の地方紙の大半は似た様なスタンスだろうが。
その二に続く

◆関連記事:「反原発主義の胡散臭さ
 「反原発、原発支持者の如何わしさ

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