トーキング・マイノリティ

読書、歴史、映画の話を主に書き綴る電子随想

白人の友人の最後

2009-06-12 21:28:40 | 読書/欧米史
ソルジャー・ブルー』というアメリカ映画がある。映画のあらすじを紹介したサイトもあり、1864年11月29日、コロラド地方で起きたサンドクリークの虐殺事件を、西部劇には珍しく先住民の立場で描いた異色作。この映画が制作された1970年は折りしもベトナム戦争中、ソンミ村虐殺事件(1968年)とも重なる。しかし、サンドクリークの虐殺で生き残ったシャイアン族の長にも係らず、生涯白人との友好を訴えた人物がいたことをネットではじめて知った。せっかくサンドクリークで生き延びた彼もまた、4年後の別の虐殺事件により生涯を終えた。

 私が『ソルジャー・ブルー』を見たのは20年ちかくも前で、最後を除いてストーリーは殆ど憶えていない。若い白人の男女が先住民について議論をしているシーンが延々と続き、退屈に感じた。しかし、ラストシーンでの虐殺場面はやはり圧巻。兵士による輪姦や女子供のような非戦闘員への殺戮、スプラッター映画を思わせる死体損壊などおぞましい映像が繰り広げられる。予めこの映画の顛末は知っていたが、実際に映像を通して見ると印象は又違ってくる。ただ、現実はさらに惨かったようで、以下wikiから引用した箇所は、さすがに映画化されなかった。
指輪を奪うために指を切断し、子どもも合わせた男性の陰嚢は「小物入れにするため」切り取られた。男性器と合わせ、女性の女性器も「記念品として」切り取られ、騎兵隊員たちはそれを帽子の上に乗せて意気揚々とデンバーへ戻った…

 シャイアン族のキャンプを襲撃した白人兵士達は酔っていたそうだが、早朝から昼頃まで虐殺は続いたのだから、飲酒は言い訳にならない。この陸軍騎兵部隊を率いたチヴィントン大佐はそれまでの名声を失い不遇のうちに没したが、享年71歳だから短命ではない。ひとり大佐の命に従わぬ将校サイラス・スーレがおり、スーレの告発により事が発覚する。スーレは後に虐殺に加わったチヴィントンの部下の兵士に殺害された。チヴィントンはスーレを偽証者と糾弾、最後までインディアンの襲撃への対抗と主張し続けたという。ちなみにチヴィントンは牧師でもあり、先住民へ伝道活動もしていた。チヴィントンは刑事責任を問われることはなく、およそ百年後のソンミ村虐殺事件の責任者ウィリアム・カリー中尉が、判決から3年後仮釈放されたことも酷似している。

 ブラック・ケトルというシャイアン族の長がおり、彼は部族の惨殺を目の当たりにしても、白人との和平を望みを捨てなかった。wikiには「非常に温厚で慎重な人物」と記されているが、その人徳は仇となる。
 ブラック・ケトルが死亡したのはサンドクリーク虐殺事件から4年後の1868年11月26日、オクラホマのワシタ川でだった。ワシタ川の川岸に野営していたケトルらシャイアン族を襲撃したのこそ、カスター将軍指揮下の第7騎兵隊。これも先住民が寝静まっている夜明け頃の不意打ちで、女子供を問わない皆殺しとなった。ケトルの死をwikiは以下のように描く。
この時、彼のティピー(テント)には白旗が掲げられていた。彼は必死に「友達だ! 友達だ!」と叫んだが、それは無視され、最新鋭の軽機関銃で蜂の巣となった…

 白人との友好派だったケトルの最後は、悲惨としか言いようがない。白人と敵対せず“非常に温厚”な長であっても、結局蜂の巣の屍となった。白人側は所詮ケトルらを友人とは思ってもいなかったのが、この史実だけで知れる。後知恵で白人を信用したケトルを愚かと批判するのは安易かつ容易だが、この悲劇からも教訓を得られるのではないか。この事件から私は次の様に結論を下す。個人間なら友情も可能だが、集団や国家間では友好などありえない。多文化共生は実現不可能な夢物語であり、異民族、異教徒には心を許さないこと。

 日本の親欧米派文化人、殊にクリスチャンなら、上記のような虐殺事件への弁明はこうなる。「そのような欧米人はキリストの精神を忘れてしまった」「どの宗教にも問題のある聖職者はいる」。ただし彼らで欧米人に、「あなたの行いはキリストの精神に反している」と言える度胸を持つ人物がいるか極めて疑問だが。
 また、虐殺事件を紹介した先住民記念館の例を挙げ、「我々はインディアンの悲劇を決して忘れない」と語ったアメリカ知識人に感銘を受けたと書いていたブロガーもいた。全くアタマの程度が知れるお目出度さ。1世紀後のベトナム戦争やアフガン空爆、現代なお続くイラク戦争だけで、19世紀とアメリカは基本的に変わっていないことも黙殺したいらしい。それとも同じキリスト教徒ゆえ、友達扱いされることを期待しているか。キリスト教に改宗し、人間扱いされたインディアンなどいたのだろうか。

狡兎死して走狗煮らる」という諺がある中国となれば、もっとキツイ。米中に限らず人類史は、ソンミ村虐殺事件のような出来事で今度も埋め尽くされる。歴史上の夥しい虐殺事件は、それを避ける予防知識にある程度役立つのかもしれない。

◆関連記事:「戦争の一種
 「アメリカン・ヒストリー
 「自分が正しいと単純に思う国民

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
銃ではなく人が人を殺す (ユウスケ)
2009-06-14 00:27:27
「だから、銃を持って自警しよう!」、「開拓精神を忘れるな!」…保守系やライフル協会関係のアメリカ人がいまも言い続けてる言葉ですが、裏を返せば、「法治国家にあるまじき警察機関の無能さ」と「建国当時の治安の悪さを引きずる時代錯誤さ」を露呈しているだけで、世界最大の金持ち国家は、世界最大の未開国家もいいところ。野蛮人どもの地上の楽園といったところでしょうか。

お久し振りのユウスケでした。(笑)
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Re:銃ではなく人が人を殺す (mugi)
2009-06-14 21:10:57
>ユウスケさん、いつも鋭いコメントを有難うございます。

 映画『ボーリング・フォー・コロンバイン』で、ムーア監督は自国とカナダを比較し、後者の方が銃の所持者が多いのに何故米国は?と問いかけるシーンがあります。確かに隣国同士でも米国とカナダは違いますね。日本人から見ても何故違いが出るのか、不思議です。

 アメリカのキリスト教原理主義者を紹介したブログ記事もありますが、イスラム過激派といい勝負です。違うのは女性聖職者がいるだけ、十字軍時代と発想は変わりない。アメリカでキリスト教右派が4人に1人ちかくもいるという事実を、日本の文化人は言いたがらない。
http://blogs.yahoo.co.jp/w1919taka/49883193.html
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