トーキング・マイノリティ

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マネークジー・リムジー・ハタリア その①

2006-10-03 21:22:52 | 読書/中東史
 1882年、イランでやっとゾロアスター教徒に対するジズヤ(人頭税)が廃止された。この廃止運動に尽力したのが、パールシー(インドのゾロアスター教徒)のマネークジー・リムジー・ハタリアであり、彼がイランに派遣された1854年から28年間の粘り強い戦いの勝利だった。

 19 世紀半ばまでのイランのゾロアスター教徒の惨状は酷いものだった。常に迫害対象とされ、意味もなく殺害されたり、改宗を強制され虐殺されることもあった。 時に為政者の気紛れで寛大に扱われたり、或いは見世物よろしく好奇の対象として公衆の前に呼び出させられたりする。特に危険なのは、ある王が死んで次の王 が戴冠するまでの間で、地域の当局者がまだ承認されていない時だった。ゾロアスター教徒の地位は不安定になり、教徒がいるヤズトやケルマンでは、狂信者も 悪漢も彼らを襲っては私刑や略奪の対象とした。特に彼らの教典を奪い、燃やすことに熱中する。そのため、アヴェスタ(ゾ教の聖典)は四分の三が消失してい る。

 平時においてさえ、彼らは色染めした繊維で作った服を着るのは禁止され、男は一目でガブル、 つまり不信心者と分かるようにターバンを巻くことも禁じられる。「多神教徒は本当に不浄である(コーラン9章28節)」とばかり、市場で食物に触れるのを 禁じる法もあった。馬に乗ることは許されず、ロバには乗れたが、あいにくムスリムに出会えば降りて歩かねばならなかった。イランに限らずオスマン・トルコ でも、服装による差別やムスリムに会った異教徒は乗物から下りねばならなかった事情は同じである。他国の差別問題を俎上に載せるのが国是としてるかのよう なイギリスのイスラム学者バーナード・ルイスは、イスラム圏の異教徒への対応を「聖なる差別」と皮肉交じりに表現していた。イランで絶え間ない攻撃と屈辱の果て、ゾロアスター教徒は哀れなほど数が減ってしまう。
 ジズヤを支払えば他宗教を認めたことを挙げ、イスラムの寛容さを言う方は、是非ゾロアスター教徒の苦難の歴史を知って頂きたいものだ。貧しい彼らにとっては重税であり、逆さにして鼻血も出ないくらい搾られたのだ。

 1796 年、あるケルマンの人が誘拐すると脅迫された美しい娘ゴレスタンを連れ、密かにインドのボンベイ(現ムンバイ)に逃げるのに成功する。18世紀には既にゾ 教徒の旅行さえ禁止されており、発覚すれば死罪を覚悟での逃避行だった。娘はその地の同教徒の商人の妻となり、夫は妻のため「身体と心とお金」も使い、他 のイランからの難民を助けた。
 1834年、彼らの長子はイランからインドへの難民を助ける基金を設立し、20年後にはもう一人の息子が「ペルシアのゾロアスター教徒の状況改善のための協会」の設立を援助した。この協会はイランに代理人を送ることを決め、その時選ばれたのがマネークジー・リムジー・ハタリアであった。

  マネークジーは商人だったが、信仰心に熱く献身的でしかも機略、忍耐力、勇気に満ちていた。彼はイランに到着後、さっそくゾ教徒数を調べるが、同宗者の数 が激減しているのに愕然とする。1854年、マネークジーの協会への報告によると、イラン全土で7千人を少し上回る程度だった。同時期のボンベイだけで パールシーは11万数千人いたのと対照的に。
 しかし、マネークジーは絶望したくなるような状況にも関らず、強靭な精神で同教徒の長老と活動を開始する。パールシーの彼ばかりではなく、僅かに残ったといえ、イランの同教徒も同じ精神と気性を持っていた。

 マネークジーはまずゾ教に対する圧迫を減らす交渉を行い、それが少し成功するや長老と一緒に荒れ果てた火の寺院やダフマ(沈 黙の塔、ゾ教の鳥葬場)を建て直した。ムガル朝の教条主義皇帝アウラングゼーブ(在位1658-1707年)時代のヒンドゥーと同じく、異教の古い寺院は 修復するのを禁じられていたのだ。さらに仲間の中で最も窮乏した者に援助を惜しまなかった。そのため、現地のムスリムからは非常な非難を受けたばかりでな く、あらゆる圧迫も掛けられるが、決して屈しなかった。
 マネークジーは勇敢にもゾロアスター教徒を殺害した者を裁判所に引き渡すといった努力も する。ただ、彼が引渡しに成功したとしてもその罰は、普通は僅かの罰金でしかなかった。何故なら非ムスリムの死はあまり重大とはされなかったから。逆に正 当防衛でもゾ教徒がムスリムを殺害すれば、まず改宗でもしない限り死刑対象である。時代はカジャール朝(1796-1925年)で、排外主義が極めて強 く、特にマイノリティに対する迫害が頻発していた。地位向上活動をするにはあまりにも不遇な時で、あらゆる困難が待ち受けていた。
その②に続く

※参考:「ゾロアスター教」M.ボイス、P.R.ハーツ著
◆関連記事:「ゾロアスター教」「イランのゾロアスター教徒

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