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マネークジー・リムジー・ハタリア その②

2006-10-04 21:22:08 | 読書/中東史
その①の続き
  マネークジーは外部だけでなく、信徒内部の改革と近代化も着手する。彼のもっとも勇敢な改革はイランのゾロアスター教徒に、西欧式基礎教育を与えるための 学校を建設したことだった。彼は到着後一年以内にこの改革に着手し、まもなくパールシー財団の援助を待って、ヤズトやケルマンやゾロアスター教徒の村の多 くに小学校を建設した。イランのゾ教徒はムスリムを刺激しないように接触を出来るだけ避け、大半が進歩から取り残されたような社会に閉じ込められていたの で、当然のことながらボンベイのパールシーより遥かに保守的であった。教育を受ける機会を得て彼らも変わりはじめ、かつてのパールシー同様その才能や勤勉 さを生かし、正直だという評判に助けられ、富への坂道を登り始めた。
 1865年、マネークジーは小さな寄宿学校をテヘランに開いた。彼は首都に小さな居住地を作ることを奨励したが、ゾ教徒に対する偏見が行き渡っていた昔からの中心地よりも首都の方が、教徒の受ける苦難や迫害が少なかったのがその理由だった。

 マネークジーが最大限の努力を果たした目標はジズヤ(人頭税)を廃止したことだった。イランに限らずイスラム圏でジズヤを納めても、ムスリムより多く課税しているから感謝を受けるどころか、侮蔑と屈辱の証だった。ムガル皇帝アウラングゼーブ(在位1658-1707年)がジズヤを復活した時、ラージプート族が造反する大きな原因ともなる。平たく言えば、ジズヤを収めるのはまともな人間と見なされなかったのだ。現代先進国の異教徒から経済援助を受けても、内心どう感じているか、想像がつく。
 1882年、ついに彼の努力は同胞の限りない喜びと感謝のうちに成功の身を結ぶ。多くの不平等や地域的な迫害はまだ残っていたが、大きな前進だった。20世紀になり、ゾ教徒は金融、教育、技術、そして専門職において活躍するようになる。

  教徒内部の宗教上の改革は牛の供犠(くぎ・いけにえ)の廃止だった。マネークジーはスーラト(インド西部グジャラート州)の近くの村出身だが、イランでこ の習慣を見出した時は困惑した。イラン人はマネークジーに非常に感謝していたので、彼に説得されてこの供犠をやめた。彼はその代わりに羊や山羊を用いるの は反対しなかった。19世紀中頃までは、ボンベイにおいてさえパールシーはこれらの動物を犠牲に献げていたのだ。インド、イランどちらのゾ教徒も動物の供 犠はその後止めている。意外だが仏教以前の紀元前のインドも牛を供犠にしていたし、キリスト教も初期は動物の生贄を奉げている。現代派手にやっているのは イラスムくらいになってしまったが。

 マネークジーにはM.ガンディーのように数億の同胞の協力もなく、キング牧師の ように自分たちの活動に理解を示してくれる最高権力者さえいなかった。にも係らず非暴力で地位向上に尽力する。妹尾河童さんがM.ガンディーを「何としぶ とく、延々と、どこまでも諦めない、したたかな持続するエネルギーを持っていた」と評したが、マネークジーにもその精神が垣間見える。この気力はどこから でてくるのだろう?信仰心の篤さだけではないだろう。

 それにしても、何故ゾロアスター教徒は発祥の国で迫害され続けたのだろう。一神教 の非寛容さもあるが、かつての日本のキリシタン迫害と比べてみたが、どうも様相が違うようだ。キリスト教はほとんどの日本人の精神に受け入れ難い面があ り、キリシタンも南蛮人と結託して犯罪行為もやり、周囲と対立しがちだったが、ゾロアスター教徒が他国の敵対勢力と手を組んだ様子はない。日本に仏教が 入ってきた時、神道のような旧来の宗教勢力と鋭く対立し、抗争、敵対、迫害が双方の力関係で行われたこともあったが、やがて融合していったのは多神教同士 だからだろう。
 これに対し、イスラムとゾロアスター教では融和など絶対出来ないのだ。ムスリムにとってゾ教は過去の忌まわしい精神であり、教徒は生き字引的存在で疎ましかったのかもしれない。何しろ、イスラム以前は基本的にジャーヒリーヤ(暗黒)時代とされているのだから。イランでユダヤ人に関しては西欧より寛大だったが、日本も亡命してきた明の漢族に対する姿勢はキリシタンと全く異なる。

 一方迫害を受けたゾ教徒にしても、彼らを一掃しようとするイラン社会の圧力にも係らず、信仰を守りぬいたのは驚くものがある。日本にも隠れキリシタンがいたように、信仰の力はかくも強いものなのか。信仰心の薄い者からすれば、一番分かりにくい精神だ。
  サファヴィー朝ペルシア(1501-1736年)時代、イランに来た西欧の宣教師はゾ教徒に対し布教活動を行うが結果は思わしくなく、19世紀に訪印した イギリスの宣教師もパールシーやヒンドゥーを対象に布教に力を入れたものの、パールシーはいち早く西洋文明は取り入れこそすれ、改宗者はまずなかったのは 興味深い。
※参考:「ゾロアスター教」M.ボイス、P.R.ハーツ著

◆関連記事:「ゾロアスター教」「イランのゾロアスター教徒

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4 コメント

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はじめまして (とーこ)
2006-10-04 23:08:19
インドに興味を持っているので、ゾロアスター教やパールスィーのことも、いろいろ知りたいな、と思っています。

最近読んだ本(中東イスラム民族史)に、サマーマーン朝は、もともとゾロアスター教の聖職者の家出身だった人が、スンニー派の信仰を持つようになり…云々と書いてあったので、「ほ~」とびっくりしました。

ブログ、まだ全部拝見していませんが、とてもおもしろそうなので、ゆっくり読ませいただきます。
反省だけなら、○でもできる?? (Mars)
2006-10-05 20:32:29
こんばんは、mugiさん。



世の中には、どんなに譲歩して、融合を図ろうとしても、図に乗るだけの傲慢な輩は少ないですね。むしろ、世界にはそういう者がほとんどなのでは、とは思いますが、悲しくも思います。そして、イ教徒に限らず、そういう者のほとんどが、我を省みず、他者の批判・非難ばかり。そもそも、そういうものに頼る位ですから、○○が足らないのは当然かもしれませんが。



個人に限らず、団体にしろ、国家にしろ、自己変革・自浄作用は想像以上に難しいものですが、そうでもしないと死に至るとしても変われないのは凡人の証でしょう。かくいう私も、悪癖を簡単に直せない凡人ですが、イ教徒自身がかこう非寛容など、笑ってしまう位、甘っちょろいものにも思えますが。そういう批判も受け入れられないイ教徒は本当に幸せの苦労知らずに思えます。



逆説的かもしれませんが、世の中の人間すべてが聖者となれば、そもそも、そんな宗教に頼らなくなるのですが。まぁ、そんな自己を持つ事こそ、宗教にとってはタブーなのでしょうけど。

コメント、ありがとうございます (mugi)
2006-10-05 22:55:23
初めまして、とーこさん。

拙ブログにようこそ、お越し下さいました。



私が以前読んだ本「ゾロアスター教」(メアリー・ボイス著、絶版)にホラサーンのサーマーン朝(874-999年)について、サーマーン自身は8世紀末、ホラサーンのアッバース朝の行政官の説得により、ゾロアスター教を捨ててイスラムに改宗したといわれる、とありました。

何故改宗を決意したのかは記されてませんでしたが、イスラムに感銘したというより、勝者の側につきたいという動機もあったかもしれません。インドと違い、イランではイスラムは支配層の改宗に成功してますよね。これがイスラム化に繋がっていった。

この為、ホラサーン南西部の町サンジャーンのゾロアスター教徒がインドに亡命します。彼らこそ、パールシーの祖先です。



同じくインドに関心を持っているもの同士、今後ともよろしくお願い致します。
イスラムは寛容な宗教 (mugi)
2006-10-05 22:58:02
こんばんは、Marsさん。



残念ながら譲歩すればするほど付け入るのが世界の主流です。国家間には謙譲の精神は期待できないのが現実ですね。

常に西欧の犠牲者面するイ教徒は、負けず劣らず加害者の歴史を持っているのに、その負の歴史は絶対顧みない。自分のことは棚に挙げ、他人を非難するのは人間の悪い性ですが、その典型です。イ教徒の他にもその類は東アジアにもいますが。



笑えるのはイ教徒の聖職者が二言目には、「イスラムは寛容な宗教」と、何とかの一つ覚えよろしく、移住先の西欧で繰り返す事。

それほど寛容なら何故非寛容な異教徒世界に移住してくるか、子供さえ嘘を見抜くのに、それを全く恥じない。

そんなにイスラムがいいなら自国へ戻ったら?、と反論されると、キレてこの国もアッラーのものだ、と言う始末。お前のものも俺のもの、とばかりの言い草は、特定アジアの国民そっくりですね。



移民しても、移住先の厄介者に成り果てる民族集団というものが確実にあるのです。

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