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カトリックによる日本侵略 その三

2012-08-07 21:10:49 | 読書/日本史

その一その二の続き
 shiretokoさんは拙ブログで、日本におけるキリシタン迫害の実態についてコメントしており、その箇所を紹介したい。

カトリックの見解によると、キリシタンは、4万人殺されたそうです。しかし、私が調べてみると、

日本の学者の唱える「大殉教」は何万人ものキリシタン殺戮を想像させるが、1612年の禁教令発布から鎖国後の1642年までの30年間に、バテレンとキリシタンを合わせ602名が殺されたに過ぎない。東北から九州まで日本各地で処刑されたキリシタンやバテレンたち、拷問の末死んだ者、「元和の大殉教」と称される22人もすべて含めての話である。これがヨーロッパで起こったことならば地方史の中にさえ入らないが、宗教的に寛容な日本社会では、この30年間のキリシタン政策は前代未聞の凄惨さを帯びて不気味に輝いている。日本の知恵 ヨーロッパの知恵 松原久子著 三笠書房より

また、この著書ではこのようなことも書かれています。

ずっと後になって、日本が鎖国を終える頃、ローマ法王庁はこの時の26人を聖人の列に加え、26の聖人を殺すような「野蛮極まる行為」を日本人に想い起こさせ、開国後、イエズス会以下旧教の宣教師たちが活動しやすい地盤を日本につくることを忘れなかった。また宣教師の中には日本の大学で日欧関係やキリスト教について講義する時、史実を曲げて伝える人も時折みかけた。秀吉時代の日本人がいかに残虐であったか、宗教の自由や個人の人格についての認識がいかに欠如していたか、どこまで国際性に欠けた偏狭な島国根性の持ち主であったかなどと強調するのが常であり、それを聞いた日本人も即座に恐縮して恥じ入るようになった。それがまた進歩的で国際性豊かな人間であるかのごとく勘違いしてしまった。この傾向は今日まで続いている。―」(2010-12-26 22:43)

 キリシタンが4万人殺されたというカトリックの見解だが、たぶん島原の乱を含んでいるのだろう。ただし、この乱でのキリシタン死者数には諸説があり、宗教戦争とばかり呼べない複雑な背景もあった。農民一揆という観点で見れば、島原の乱の一世紀近く前のドイツ農民戦争(1524年)だけで弾圧の激しさはけた違いである。ドイツの例では農民への虐殺者に新教徒が多かったが、14世紀のジャックリーの乱(仏)、ワット・タイラーの乱(英)は旧教徒が旧教の農民を多数虐殺している。島原の乱など西欧諸国の鎮圧に比べれば実に温いとしか見えない。
 キリシタン迫害は19世紀に至っても中国朝鮮では行われており、隣国と比較しても日本のそれはやはり温い。日本にキリスト教を宣教した聖人とされるザビエルだが、来日前インドのゴア異端審問所の設立を提言、ゴアに居住していた数多くのユダヤ人が火炙りにされる原因をつくった人物でもあった。ポルトガル支配前のゴアで君主はヒンドゥー、ムスリム問わず異端審問が行われたことなどなかった。

「フニペロ・セラ」というブログ記事は興味深い。この記事で初めてフニペロ・セラというフランシスコ会修道司祭を知ったが、カリフォルニアの先住民に対し強制改宗と虐殺を重ね、「最後のコンキスタドール」と呼ばれた人物である。コルテスピサロと違いれっきとした聖職者であり、18世紀に至ってもセラのような伝道師がいたのだ。それが「1988年9月25日にローマ教皇ヨハネ・パウロ2世によって列福を受けた」(wiki)とか。さらにwikiには驚愕することも載っている。

1980年代になって、ローマ教会はこのセラ神父を「聖人」に加える予定であると発表した。これに猛反発したのは、セラによる虐殺を生き延びたカリフォルニアのインディアンたちだった。その中の一人であるルパート・コストは、1987年に妻と共に『The Missions of California:a legacy of genocide』を発表。セラの残虐行為の詳細を丹念な分析で追ったこの書籍は、ローマ教会を慌てさせた。結果、ローマ教会は翌年にセラを列福はしたが、「聖人」への列聖は現在も見送られたままである。

 件のブログ管理人さんは、「キリスト教徒は、神と共に、神の命令によって、いかにたくさんの人間をこの世から抹殺してきたかということを自慢しているわけです」と皮肉たっぷりなコメントをしているが、これではそう云われても当たり前ではないか!日本のマスコミでとかく持ち上げられたヨハネ・パウロ2世の列福はさすがカトリックの長だけある。

 カトリックによる日本侵略は過去の出来事だけだろうか?カトリックに限らぬがキリスト教に帰依した現地人を徹底活用、間接統治させたのは近代欧米帝国主義の基本政策だったし、あからさまな軍事示威行動がとれなくなった21世紀でも、教育やメディアなどあらゆる分野でそれが続いているとしか思えない。

◆関連記事:「李氏朝鮮のキリシタン
  「カナダ先住民への文明化教育

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16 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
偶然か、必然か (のらくろ)
2012-08-07 22:33:56
その他案件で忙しいのですが、こちらのブログとの「新旧酷似」がスゴかったので引用します↓
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu269.html

mugiブログの読者のみなさん、並行して読んでいただくと、私の記載した意味をよく味わっていただけるのではないでしょうか。
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トリビア (JRT)
2012-08-08 11:34:46
ゴアではさらに、インドに古くからいたトマス派キリスト教徒が異端として弾圧され典礼が焚書にされたりもしています。主導したのはポルトガル人のゴア大司教Aleixo de Menezes という人です。ポルトガルが来るまでは残っていた貴重な文献がだいぶ失われたらしい。
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RE:偶然か、必然か (mugi)
2012-08-08 23:07:03
>のらくろ さん、

 紹介された「株式日記と経済展望」というサイトは初めて見ました。だから完全な“偶然”ですが、戦国時代と近代の「新旧酷似」は不気味なほど。私がこの記事を書いたのも8月15日がちかいからです。

 上のサイトで広島の犠牲者数が年ごとに増加する背景を解説されており、炯眼というものでしょう。数の捏造は中共のお家芸だけでなくキリスト狂徒も負けていない。聖書にも敵の犠牲者数を捏造したり、誇張する面があった。

 日本も散々やられていますが、WW1敗戦国トルコも大変です。アルメニア人虐殺犠牲者は20世紀では百万人でしたが、今では150万人として米議会で糾弾しています。百万人も誇張ですが、一気に50万もアップしている。これも「新旧酷似」に入るでしょう。
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RE:トリビア (mugi)
2012-08-08 23:14:10
>JRTさん、

 異教徒のユダヤ教徒だけでなく、トマス派キリスト教徒も迫害されましたか。カトリックからすれば完全な異端なので、これは正しい行為でしょう。

 20世紀前半になってもインドの僻地(地名は失念)にはネストリウス派の村があったそうです。もしかすると他の宗派の村もあったのかもしれません。
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Unknown (クッキングホイル)
2012-08-09 22:55:10
ネストリウス派は「景教」という名で中国語圏にも侵出していますね。ネストリウス派が異端であるとされたのは、マリアを「神の母」と呼ぶのは正しくない、と主張したからですが、なんとも言えず細かい話です。

モンゴルが作った城郭には、必ずネストリウス派の寺院を配したのだとか。モンゴル皇帝は宗教に寛容だったといわれていますね。西本願寺にも景教の痕跡をうかがわせる書籍が伝わっているといいます。

また、聖徳太子の母は日中貿易で来朝した外国人から景教の影響を強く受けていたという伝えがあります。少なくとも、そのころ日本にネストリウス派の影響がもたらされていたということは事実です。カトリックよりも前に、日本にはキリスト教が伝えられていたのです。
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横レス失礼 (のらくろ)
2012-08-10 02:35:57
このところの夏風邪に加えて、(既に日付替って昨日だが)人間ドック受診で暫く食べなかったりとの相乗作用か、夕方帰宅してすぐに寝入ってしまったので、こんな時間に目が冴えてカキコしております。

クッキングホイルさん、

>聖徳太子の母は日中貿易で来朝した外国人から景教の影響を強く受けていたという伝えがあります。少なくとも、そのころ日本にネストリウス派の影響がもたらされていたということは事実です。

この話は、2004年か2005年の日テレの年末特番「時空警察」で取り上げられていましたね。まあ、景教(一発変換しない。極めてマイナーな単語ということでしょう)という言葉は、私やmugiさんの高校時代の教科書には単語だけは隅っこに書いてあったので、(今は亡き)共通一次で世界史を選択し、私大入試で国、社、英となった「当時の受験生」は頭の隅には引っかかっているのではと思います。
ただ、ここで聖徳太子と言う名は後世の歴史家がつけた名であって、存命中は(摂政のままついに天皇になることはなく)厩戸皇子(うまやどのみこ)であったというのは、たいへんに衝撃的。皇子=みこは「御子」に音では繋がりますから。

>カトリックよりも前に、日本にはキリスト教が伝えられていたのです。

これ、結構大切な点です。欧米系の歴史観では(そしてNHK的歴史観でも)日本へのキリスト教伝来は戦国時代のザビエルが最初ということになっていますから。特にヨーロッパ系のキリスト教徒が得々とこういうことを抜かしたら、「バーカ、神聖ローマ帝国の誕生前から、日本にキリスト教は伝来しておったわ」とカマしてやりましょう。

少し(というかかなり)話がずれますが、私の押しかけているブログで元防衛官僚のこの人もこういう取り違えをしてます↓
http://blog.ohtan.net/archives/50955113.html
「モーゼ(Moses)に率いられてエジプトを脱出したイスラエルの民は、モーゼの死後、父祖の地に攻め入ります。モーゼの後継者のヨシュア(Joshua)は、二人の部下を敵地エリコ(Jericho)に潜入させて敵情を探らせます。これが文献に残るスパイの初登場の場面です。ところが、この二人のスパイが隠れ家にするのがエリコの売春宿なのです。ですから、売春の方がスパイより前から存在していた、ということになるわけです」と、これまた得々と語って(記載して)おられますが、その後の注書きに売春について創世記に記載があるとしながら、そのストーリーをよくご存じなかったのでしょう↓
http://www.ijournal.org/IsraelTimes/history/tamar.htm
この話は、ヨシュアのエリコ(Jericho)攻略戦の少なくとも400年以上前に生じていた筈ですから、「売春はスパイよりも遥かに長い歴史を持つ職業である」と言えるのに、上記ブログでは、まるでタッチの差で売春が古いみたいにとれてしまうのです。

何が言いたいかというと、外国人の歴史観(ザビエルが最初にキリスト教を日本に伝えた)とか、「偉い」人の歴史観(売春はスパイよりもちょっと歴史が長い)とかが根拠に乏しい、あるいは反証が存在することを、きちんと把握しておきましょうということです。例えば上記に引用したヤコブの子ユダが「かなりトリッキーな方法で」子孫を残したことは、そのままイエスキリストにつながる直系です(少なくとも対ユダヤ人にはマタイ伝でそういうことにしている)から、「キリスト様は処女マリア様から……」なんて得々と語るカトリック修道女などには「マタイ伝にはアブラハムからイエスキリストまで42代の間に、女(≒イエスキリストの“母”系)が4人書かれているけど、この4人ってどういう人?)とイジワルくツッこんでやりましょう。ハントー人宜しくファビョること請け合いです。

と同時に、我が国の古事記にある「国生み」神話や天孫降臨についても、事実として認識するかどうかは別にして、ひととおりは説明できるようにすべきです。なぜならこういうことだからです↓
http://www.youtube.com/watch?v=3dL9O_DNBzk
mugiさん、クッキンギホイルさんには「釈迦に説法」ですが、特に7分辺りから始まる論旨は(「マリアに夫が」あたりの話は、若干不正確だなとは思いますが、こんな話初めて聞く日本人がほとんどでしょうから、インパクトはこれくらいないといけないとも思う)、次の世代に日本を引き継ぐに当たって、心しておかなければならないと思います。
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Unknown (クッキングホイル)
2012-08-10 21:22:37
のらくろさん、ご指摘ありがとうございます。

聖書には「斥候」と書かれていますね。「斥候」って何だろうと思って調べてみたことを思い出します。

異教徒の女性(売春婦だったかも)に助けられたりして、聖書もこの当たりはなかなか魅力的です。

実質上、この異教徒の女性が「メシア=キリスト」扱いされていたり、ペルシャ王もユダヤをバビロンから解放したということでメシア扱いになっています。

このあたりの機微を読み解く力がキリスト教徒に少しでもあれば、また違うものになっていたのかもしれませんよね。
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クッキングホイルさんへ (mugi)
2012-08-10 21:59:25
 貴方もご存知かもしれませんが、8世紀前半の天平時代に李密翳(り・みつえい)というペルシア人が来日しています。この人物は諸説ありますが、景教徒というのもそのひとつです。もっとも宣教はしなかったらしく、したとしても理解されなかったことでしょう。

 西欧では異端とされたネストリウス派ですが、中東ではアッシリア人と呼ばれて生き延びました。悲しいことにWW1では欧米列強との繋がりを疑われ、アルメニア人と同じく迫害、虐殺されました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%A2%E4%BA%BA

 アッシリア人が最も多く住んでいるのはイラクで、バグダッドにあるネストリウス派キリスト教の総本山を取材した朝日新聞記者のサイトもあります。
http://www.asahi.com/travel/hikyou/TKY201012240122.html

 サーサーン朝時代、ネストリウス派亡命者をペルシアは受け入れています。もっともキリスト教徒は当時から過激であり、ゾロアスター教の神殿を破壊するわ神官を殺害するわ等テロを行い、現地人の怒りをかいました。そして処刑されるや、嬉々として殉教話を書き立てるのです。
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RE:横レス失礼 (mugi)
2012-08-10 22:03:10
>のらくろ さん、

 貴方も夏風邪を引かれましたか!ブルガリア研究室長さんもこれに罹ったそうだし、名古屋は猛暑続きなのでお大事に。

 カトリックよりもずっと早く景教が日本に来ていたという説は歴史好きの間では知られています。しかし「神聖ローマ帝国の誕生前から、日本にキリスト教は伝来しておったわ」とカマすことに私は同意できません。欧州系キリスト教徒どもにそれを言えば、日本人は度し難い異端の輩とハントー人以上にファビョること請け合いでは?
 さらに日本人キリスト狂徒ならば旧教、新教問わず、だからこそ日本人は今こそ真の宗教に帰依するべきと力説すると思います。この点はキリスト教徒にはあえて、景教の伝来は知らないフリをした方が有利かもしれません。

 元防衛官僚殿は「これが文献に残るスパイの初登場」と大げさに書いていますが、エジプトの文献にそれが登場していないなら不自然です。古代は何処でも神殿娼婦はいたし、都市国家の興亡が激しかった中東ならばスパイは大勢いたはずです。
「キリスト様は処女マリア様から……」なんて得々と語るカトリック修道女も、実はそれが嘘なのを知っているのかもしれません。異教徒にツッコミを入れられれば、それこそファビョりまくりでしょうけど、性的欲求不満が真の原因かも。

 竹田恒泰氏の動画は興味深いですね。ただ、彼の著作の着想がBBCの調査を素にしているというは少し情けない様な…BBCくらい対日諜報活動ででっち上げを報道した組織もないし、日本をおだて一体何の目的?と勘ぐりたくなります。
 仰る通り動画で竹田氏が、「マリアに夫云々」は私も若干不正確だと感じました。正式な夫はいるし、婚約中に“処女妊娠”した…ということにされている。キリスト教徒にマリアに夫と言っても効果なしのはず。

 ただ、トインビーの言として竹田氏が挙げた「神話を知らない民族は百年で滅びる」はドキッとさせられましたね。まさにその通り!これは学校よりも親が教育するべきかも。学校教育が頼りないなら、学校や教師に求めるのは無駄でしょう。
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Unknown (神聖ローマ帝国)
2012-08-10 22:50:18
mugiさん、「神聖ローマ帝国の誕生前から、日本にキリスト教は伝来しておったわ」、これ、カマシではありません。神聖ローマ帝国は、カトリックがローマ帝国の後継者としてドイツ王に贈ったタイトルです。東西大分裂にまつわる一連の出来事の一つです。(1000年頃のこと)

神聖ローマ帝国(ヨーロッパ至上主義)の萌芽以前に、既に日本にキリスト教が日本に伝えられていた、ということを仰っているのだと思います。
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