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囲碁と魯迅と藤野厳九郎

2010年12月04日 14時16分43秒 | 旅行 美術館博物館など
       
2010年9月11日 三国龍翔館にて撮影
1926年魯迅は「藤野先生」を発表、藤野の名が世に知られるようになった。
魯迅は恩師が世に知られることで 消息不明の彼と
連絡が取れるようになることを期待していたようだが、
結局 藤野が自ら名乗り出ることはなかった。
身内にも固く口止めしていたという。
北京医科大学から教授として招請されたこともあったが、
これも固辞した。ただ魯迅の死後、
藤野の居場所を知った新聞記者が彼を取材しており、その時のインタビューが残っている。
藤野厳九郎葉1874年、敦賀県坂井郡村(現福井県あわら市)で、代々続く医者の家に生まれた。
終戦の直前の1945年8月11日、往診先で倒れ亡くなった。享年73。

2010年12月4日 しとしと雨降りです。
おはようございます。お元気ですか。
今日は魯迅と藤野厳九郎をご紹介します。

魯 迅(ろ じん、ルーシュン、1881年9月25日 - 1936年10月19日)は、
中国の小説家、翻訳家、思想家。本名は周樹人(ピンイン:Zhōu Shùrén)で、字は豫才。
ペンネームの魯は母親の姓だという。浙江省紹興市出身。
弟に文学者・日本文化研究者の周作人、生物学者の周建人(1888-1984)がいる。

代表作に『阿Q正伝』、『狂人日記』など。
短編作である『狂人日記』は、被害妄想狂の心理を実にリアルに描写する点において画期的だった。
なお、魯迅の中学校の時の良友に本物の迫害妄想患者が存在し、
彼を観察したことが、この作品を着想するヒントとなったと言われている。

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