「日本文学の革命」の日々

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電子同人雑誌の可能性 269 「コンピュータの本質ー数学とは何か 16 」

2024-05-15 02:34:11 | 日本文学の革命
外界は「計算」によって支配することができるかも知れない。そこには確かに何らかの法則性や周期性があるし、しかもそれらは厳密な数量性や計量性を持っていて数的に把握できるものである。外界のこの法則性を見抜き、数的に掌握できたなら、外界を思うがままに操作できるかも知れない。この世界の根源にあるものを洞察し、その秘密の原理をあばき出すことにより、この世界を知的に支配することができるかも知れない。人間の巨大に発達した「計算」能力をもってすればそれが可能かも知れないのである

確かにその可能性はあるかも知れないが、しかし我々人間が見ている外界とは実は「人間にとっての外界」だけなのである。人間の感覚器官が捕えることができるもの、人間にとって役に立ち人間が必要としているもの、人間にとって興味関心が湧いてくるようなもの、そのようなもののみで成り立っている「人間にとっての外界」なのである。それ以外の対象は通常目にも耳にも入らないし、存在すら感知されないのだ

例えば海中にたくさん存在しているプランクトンは人間は通常目にすることはないし、直接食べれるものでもないので興味関心もない、人間にとって存在しないも同然の生物である。ところがこれが鯨の場合は、まさにこれこそが主食であり、美味しくてたまらない食物であり、大洋の果てから果てまで泳ぎ回って追い求めているほどの限りなく貴重な存在なのである。このプランクトンを認識し見つけ出す独特の感覚器官が鯨にはあるに違いなく、プランクトンを見つけ出し飲み込んでいる時は鯨にとってこの上ない至福の快楽を味わっている筈である

地磁気や磁場なども通常人間は感知することができず、長いこと人間にとって存在しないのも同然のものであった。地磁気を指し示す羅針盤なども長いこと面白いおもちゃぐらいにしか思わなかったろう。ところが鳩はどうもこの地磁気を認識できる独特の感覚器官を持っているらしい。彼らにはこの地磁気が有り有りとした存在として感じ取れるのであり、おそらく空に張り巡らされた道路標識みたいに見えるのであり、彼らがどんな遠方から放たれても自分の巣に正確に戻って来れるのはこの感覚器官があるからなのだろう。人間が地磁気や磁場の存在にようやく気づいたのは大航海時代になってからのことであり、果ても見えない大洋の中で行先を見つけ出すのに地磁気を指し示す羅針盤が大活躍してからである。まさにこの切実な必要性こそが地磁気や磁場の存在を認識させたのであり、この外界に実在する不可思議な存在の正体を探る努力を人間にさせるようになったのである

犬が感じ取っている外界も人間とは大きく異なっている。犬にとって最も重要な感覚器官とは「匂い」なのである。我々人間のお粗末な嗅覚とは比べ物にならないほど鋭敏な嗅覚を持つ犬たちは、外界を匂いによって峻別している筈である。飼い主を始め一人一人の人間を匂いによって明確に区別し、外界のさまざまな生物や物質も匂いで認識し、目に見えない遥か遠くの事物まで匂いによってアリアリと感知してしまう。おそらく人間のように知的に事物を認識しているのではなく、感性的肉体的レベルで事物を感受しているのだろう。しかも匂いだからすべてが混ざり合って独特のハーモニーを成している筈である。一つ一つが明確でありながらすべてが混ざり合った「匂い」の世界、生命に満ち溢れた香しくて美しいハーモニーの世界、そんな世界を犬たちは生きているのだろう。もし犬の哲学者がいたら「万物は匂いである」と人間の哲学者をズッコケさせるような判断を下してもおかしくない。彼らにとって世界はまさに「匂い」で出来ているからである
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