「日本文学の革命」の日々

「日本文学の革命」というホームページを出してます。「日本文学の革命」で検索すれば出てきますので、見てください

小沢の正体見たり枯れススキ

2010-09-15 23:30:21 | 日本文学の革命
先日の民主党代表戦 菅総理が勝ってまずは良かった

民主党代表戦は僕も大いに興味があったのだが、テレビが壊れたこともあって(また暇がないために)最近ニュースや討論番組をほとんど見ていないので、微妙なところはよく分からないのだが、ともかく小沢がまたもや敗北したらしい
単に代表戦に負けたというだけでなく、政治的にも大きな敗北を喫したようなのだ

小沢は今回総理候補として立候補した(小沢本人ははじめから総理になるつもりはなく、民主党を分裂させる前段階として行ったのだろう)
ところが総理候補となると、当然厳しい社会的審査を受けることになる
いままで「影の実力者」として裏に隠れていたのだが、表舞台に引っ張り出されて、質疑応答を受けなければならない
しかしどうやら小沢はそれに答えられなかったようだ

今回の代表戦で国民が小沢から受けた印象は「正体見たり 枯れススキ」というものではなかったろうか

小沢の時代遅れな政策
小沢の枯れた人柄(もう68歳である)
小沢のしょうもない側近たち
表舞台に引っ張り出されたときの魅力のなさ

それらが国民の目の前に赤裸々にされたのだ
国民が「小沢総理」に総すかんを食らわせたのも、当然だろう

しかしまあ 94年以来この小沢によって日本の政治はかき回されてきたのだが、もうそれもここらで終わらせるべきだろう
今回の代表戦が、その契機になるはずだ
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「日本文学の革命」が出来たとき

2010-09-05 18:36:59 | 日本文学の革命
何をもって「日本文学の革命」の実現とするのか
それを厳密に知りたいようですが
僕の答えは、「新しい文学」を書けるようになったとき、です

新しい独自の様式の文学が書けるようになったとき
日本文学の“後半部”を具体的に切り開けるようになったとき
漱石が目指した「則天去私の文学」が生み出せたとき
そのときが「日本文学の革命」が実現したときだと考えています

「日本文学の革命」といっても、目指しているのは要するに日本文学の復活なんですよ
今 日本文学は衰亡しつつあります
今の文学界は精神的に死んでいます
また構造的な出版不況で経済的にも息の根をとめられようとしています
このままでは日本文学は、自己の中にまだ眠っている大きな可能性を実現できないまま、文化として滅びてしまうでしょう

それをなんとか阻止して、日本文学を復活させたいんです
日本文学の中に眠っている巨大な可能性を切り開いて、日本文学を新たな発展軌道に乗せたい
できればV時回復させたい
そのために行っているのが「日本文学の革命」なのです

しかし「やりたい」「やるやる」だけでは、ただの希望や願望に過ぎません
評論や掲示板でいくら「やるやる」と書いても、それはいわゆるただの言葉に過ぎないでしょう
それを“実際に”やらなければなりません
“実際にやること” それこそが創作なのです
「新しい文学」が書けるようになり、実際に日本文学の“後半部”を切り開けるような創作ができるようになったとき、そのときまさに日本文学の復活が現実のものとなるのです
日本文学のこれ以上の衰退を食い止め、ふたたび前へと推し進めてゆくこと、それが実現するのです

ただ うまく創作ができるようになっても、僕にどこまで前へ進めるかは分かりませんよ(笑
二葉亭四迷のように端緒だけ切り開いておしまい、ということになるかも知れません
別にそれでも構わないんですけどね
新たな発展軌道への端緒を切り開く、これが出来ただけでも僕のちっぽけな人生、大満足です

ともかく 今現実の問題として日本文学は急速に衰亡しつつあります
これを全力をあげて阻止して、新たな発展軌道を切り開きたい
それが僕に与えられた使命だと思っています
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