「日本文学の革命」の日々

「日本文学の革命」というホームページを出してます。「日本文学の革命」で検索すれば出てきますので、見てください

電子同人雑誌の可能性 134 「同人雑誌の本質」

2017-11-21 07:38:25 | 日本文学の革命
ここで同人雑誌についてあらためて定義的に考えてみたい。
同人雑誌とは何か。それは「魂によって結びついた自由な共同体」と言えると思う。

ここで「魂」というかなり曖昧な言葉を使ったが、「精神」だと抽象的過ぎるし「心の友」だと抒情的過ぎるし、要するに何かそういう精神的な力であり、それが人々を結び付けて一つの団体行動をとらせるのである。(後述するように人間の「魂」には実に深淵で多義的なものがあるのである)

人間の魂は、様々な種類の「趣味」や、何かをしようとする「志ざし」などとして現われ、また時には「創作」という形で発現してくる。人は自分と同じ趣味を持つ相手に親近感を覚え打ち解けあうものであり、また同じ志ざしを持っている人間を見つけると文字通り同志的な連帯感を持つものである。また何かの創作作品に感動したりすると、その作者に対して心からの一体感や尊敬の念を覚えるものである。このような魂の共感が人々を結び付け、その魂の共感をさらに味わおう、さらに深めよう、さらには共感の輪をさらに広げてゆこうとして、自発的に共同体的な団体行動をとらせるもの、そのようなものが同人雑誌の原理だと言えるだろう。

この定義の中で「自由な」という文句を入れたのは、この団体が入るのも自由、出るのも自由な団体で(ただし入る際には既存のメンバーや代表者による選考が行われるだろう。まあ、ユルいものだろうが。またあまりタチが悪い奴は追放もされるだろう)、その団体に入って活動するかどうかは全くその個人の自発的な意思によっているからである。近代市民的な、あるいはネットユーザー的な、自由な団体なのである。ここが宗教的な団体とは異なる所である。

宗教的な団体も「魂によって結びついた共同体」である。それはこの種の共同体では最古のものであり、ある意味代表的なものだと言ってもいいだろう。イエスとその使徒たちの共同体、ブッダとその弟子たちの共同体などは、まさしくこの種の共同体の代表であり、原型であり、世界中に最大の影響力を発揮した団体でもあった。しかしこの種の宗教的な共同体は「絶対」を要求するのである。その教義やその魂に「絶対」に染まることが要求されるのであり、一度入ったが最後「絶対」に出てゆくことは許されず、また全人類に対しては「絶対」に加入することが原則義務づけられているのである。
イエスやブッダの教義のように、真実に深淵で、一応そう主張しても良いほどのものならともかく、いかがわしい新興宗教にありがちなのがこの宗教的「絶対」の乱用である。団体のメンバーを拘束したり、教義で洗脳したり、自由な交流や自発性も奪い取り、ただ絶対的に従わせ、それで何をするのかというと、金儲けや政治的な活動に利用しようとする。これでは「魂によって結びついた共同体」ではなく「魂の洗脳によって結びつけられたロボット的軍隊」になってしまう。これでは同人雑誌とは言えないので、このような「絶対」を要求する団体と区別するために、あえて「自由な」という文句を入れたのである。