どーもお久しぶりでございます。
ここ数日は忙しくてブログ更新がおろそかになっておりました。
ま、ボーっと本を読んだり海辺に行って砂浜でのんびり食事をしたりする時間はあったんですけどね。ブログは放置していました(笑)
でも、その間もコメント欄はそこそこの賑わいだったようでして…。
ちょっとコメント欄を読んでみたらまたもや「おまえ全然読まないでコメントしてるだろ(笑)」って人がいらっしゃるようですねぇ。
で、その昔、落語か笑い話にこんなネタがあったのを思い出しちゃいました。
登場人物はバカな男とその友人
バカ「昨日、サンマを食ったのだが、ありゃ海でとれるのだろう?」
友人「ま、川じゃサンマは獲れないからな」
バカ「しかし、あのサンマってのは不思議だね?なんで海で溺れないのかね?いくら泳げるからといっても海の中じゃ息もできないから不便だろうねぇ」
友人「だからお前はバカなんだよ!サンマは魚だから海の中で呼吸ができるんだよ!」
バカ「え!そうなのかい?そりゃまた器用なこった」
友人「やっと分かったのか」
バカ「よく分かったよ。ところでもうひとつ質問いいかな?」
友人「なんだよ」
バカ「あのサンマの開きってのは死んでるのになんで海で呼吸できるんだね?」
つまり「とある種類の人たち」には物事を説明する際に何度も同じ事を説明しなきゃならんという事なのでしょうな。
いちいち全部説明する必要がある(泣)。
そして、何度説明しても全く理解もらえない場合も想定しておかなければ説明する方が疲れちゃうという事です。
さて、じゃ「通名報道」がなぜ特権ではないかを説明しましょう。
分かってもらえなくてもいいから…。
分かりやすいように全部ひらがなで書こうかとも思ったけど、こっちが疲れるからやっぱ普通通りに書きますね。
前々回にも書きましたが、「権利」と「特権」という言葉の意味をもう一度おさらいしてみましょう。
権利=ある利益を主張し、これを享受することのできる資格。社会的・道徳的正当性に裏づけられ、法律によって一定の主体、特に人に賦与される資格。
特権=特別の権利。ある身分・資格のある者だけがもっている権利
これらの言葉から「在日特権」なる物が存在するならばそれは
在日コリアンだけが主張して利益を享受することのできる権利。また、社会的・道徳的正当性に裏づけられ、法律によって在日コリアンに賦与されなければならないもの」であり、諸所の事項においては「在日コリアンであるという条件が満たされるだけで、その大多数に対して何らかの形で利益が享受されなければならない
という事になります。
ま、詳しくは前々回を読んでくださいな。
で、権利という物は基本的にそれが享受されない場合は法律によって…
あ…
前もこんなふうにややこしく書いたから分かってもらえなかったんだな!
もっと簡単に書かなきゃね。
えーっと…
つまり…
権利ってのは簡単にいうと決まり事なのよ。法律とかで決められているの。
個人の気分とか方針とかで決めちゃいけないのよね。わかるかな?
だから通名報道についても
こっちの新聞社は通名で書いて
あっちの新聞社は実名付きで報道しました
ってのは単なる「方針」なわけ。
わかるかな?
だから通名報道が「在日特権」であるならば、法律やら協定の中にキチンと「在日コリアンについては実名報道をしない」って文が必要になるのです。
そしてそれを無視した、つまり実名報道をしたマスコミは法的に何らかのペナルティを受けなきゃならんのよ。
実際にそんな事がありましたか?ないでしょ?
わかるかな?心配だなぁ…。
このくらいのレベルなら「できるかな」の「ゴン太くん」や「おーいはに丸」の「はに丸」、「いちにのさんすう」の「たっぷ」でも理解できると思うのですが、ホントいかがでしょうか?
「近所で空き巣があったのに全国紙の社会面に載っていないのは犯人が村長の遠縁だからだ!」って考える人がいるとします。
でも、実際は「村長の遠縁」なんかは関係なくて、単に「全国紙の社会面に載せるような事件ではない」と媒体が判断したから載らなかったのです。
差別も利権もなんにも関係ありません。
そんなもんでいつまでも騒いでいたら単なる被害妄想です。
在日コリアンの実名報道も決してそれと同じとは言いませんが似たようなもんです。単にその媒体の上部が「実名を載せる必要はない」と判断しただけなのです。
私はマスコミというのは社によって様々な色があって良いものだと思います。
それが自由社会だと思うからです。
もちろん捏造なんかはあかんですけどね。ルールを守る限り自由でよい。
とある記事を掲載するのも落とすのも各部署のデスクや編集局長の勝手です。
ある意味ほんと気分次第なのですよ。
それが気に入らん人はその媒体を見なかったり買わなきゃいいだけ。
でも、世の中にはそれが気に入らなくて気に入らなくて仕方ない人が大勢いるみたいですね。
で、某紙が在日コリアンの実名報道をしない事が気に入らんといって「在日特権だ!」などと騒いだりしちゃう…。
そんなに足並みが揃った報道がお好きであるなら北朝鮮あたりに行けば完全統制された常に自国が正しい報道だけを好きなだけ見聞することができると思うのですが…。
右にならうのが大好きって人にはいい国だと思うんだけどなぁ(笑)。
いかがなもんでしょ?
これからも記事の執筆に励んでいただけると読者として嬉しいです。
まあ、それでも某新聞の「方針」は嫌いですけれどね。「特権」が存在しないのは、私のような人間にとってもよいことです。そういう方針をとるマスコミを選ぶ人が減れば、「特権だと錯覚していた」事態が減るということですから。
>分かってもらえなくてもいいから…。
本当の意味でトータスさんの話を理解できない人なんていないと思います。
ですけれど、全部理解した上で「認められない」人が圧倒的だと思います。トータスさんの文章は露骨な皮肉が多すぎるからです。
隆慶一郎の『影武者・徳川家康』の本多正信の人物像を連想しました。
正信は頭がよいので、他人に粘り強く物事を納得させることが苦手で、つい「この馬鹿め」という表情が出てしまう。それを感じ取った相手はもう正信の言うことを理解しようとはしない。本当は理解していても、理解していないフリを続ける。それは知性の問題ではなく、プライドの問題である、と。
>トータスさんの文章は露骨な皮肉が多すぎるからです。
そーなんですよね(笑)
つい書いちゃうのよ!
で、次回あたりはこーいうの無しで書いてみようかなって思ったりなんかして…。
努力してみますね。
例えば本名「金正男」、通名「金田正男」という人が何か犯罪を犯して逮捕されたとしましょう(世の中の善良な「金正男」さん及び「金田正男」さん、御容赦を!)。
この場合、彼にとって本名で報道されるのと、通名で報道されるのと、どっちが「得」か。もし彼が「金正男」という本名を隠していて、「金田正男」さんの名前の方が周囲に知られている場合、「金正男」という本名で報道された方が周囲に自分だと知られないわけで、その意味ではむしろ「得」ですよね。
個人的には、通名を持った在日コリアンの犯罪を報道する時は通名も本名も出すべきだと思うけれど、別に絶対そうすべき!とも思わない。場合に応じて「適宜」で良いんじゃないすかね。
在日コリアンが通名を使うのは「差別などを回避して生活するため」という意味合いが深いものです。それだけではありませんけどね。
つまり周囲に「在日コリアンである事を知られてしまうと差別や偏見のために暮らしにくくなる」と考える人も少なからず存在するというわけです。
で、まだ罪が確定していない「容疑者」の段階で本名と通名を報道してしまっては、万一無実だった場合に報道によってその後の生活に影響を及ぼしてしまう可能性があるという配慮なのではないでしょうか?
また、罪が確定した後だとしても、容疑者の家族などが「隠しておきたかった事」を明るみに出す権利はマスコミにはないという判断なのでしょう。
ここで「犯罪者(もしくはその家族)なのだから仕方がない」とか「知られるのが嫌なら犯罪を犯さないように暮らせ」ってのはまた別次元のお話ですね。
hahaha
そういう事は植草や松本サリンの河野さんに言ってあげろよな
重犯罪人で得体の知れない組織や国がバックについてて、逃亡のおそれがあり、冤罪の余地がまるで無い犯罪者に対してプライバシーや更生後の生活なんてどうでもいいんだよ
トータス(亀頭)よ、そんなにチョンの犯罪者が好きか?
本当に新聞記者だったんなら
>某紙が通名報道を行わないのはそれなりの考えがあるからだと思います。
この、それなりの考えってのをちっとは説明してくれんか
スポンサーがチョン系なの?
社内にチョンが巣くってんの?
じんじろげ饅頭でもおごってもらってるの?
民団や総連やチョン右翼にびびったの?
報道の真実を歪め、恣意的な情報を流す亀頭くんみたいのがうようよしてたって方が怖いか
私としては微笑ましいので残しておいて欲しいです。
しかし、じんじろげ饅頭ってなんだ?嫌韓厨の言う事は判らん。
権利とは簡単に定義付けできるものではありません。
「法律によって一定の主体、特に人に賦与される」事は絶対条件ではないと解釈する事も出来ます。
さて
通名報道に関してですが
問題点は、マスコミ各社の報道の自由ではありません。
日本人の本名と違い、通名が比較的簡単に変えられるという点です。
通名報道では犯罪者の名前を公表する意味がないかと。
gu氏が書いてるように
>通名も本名も出すべき
だと思います。
それに
マスコミは差別をなくそうとしている訳ではなく、何らかの利益が生じるから通名報道をしているのです。
それはトータスさんが一番ご存知では?
てか
情報媒体が多様化しているので、通名報道は結果として差別を助長するような気がするんですが・・・
在日の方の不思議なところは、権利、自由を主張するものは山ほどいるけど、日本側の立場に立って日本人との共生を訴えてる人が目立たない点です。
何故なんでしょう?
一同: 「・・・・・・・・」
A子: 「あ、もうこんな時間。私そろそろ帰るね。」
B子: 「じゃあ私も。」