うちなー→えぞ日記 (もとすけのつぶやき)

奈良県出身、沖縄での学生生活を経て、北海道ライフを堪能する、
とある研究者の日常のよしなしごとの紹介。

あの日、札幌にて (2018年9月6日)後編

2019年02月28日 20時11分58秒 | えぞ日記(北海道編)・・日常
北海道胆振東部地震当日の備忘録の続きです。


9月6日午後5時頃、ガソリン給油を終えた私は、自宅に戻ってきました。
手稲の知人宅に滞在中、実家の父からのLINEで道内の一部地域で電気が復旧したとの知らせを聞いており、札幌市中心部に位置する我が自宅も復旧しているかも・・と仄かに期待していたのですが、実際にはまだまだ停電は続いていました。



朝からテレビを見ていなかったので、どうにかして映像情報を手に入れたいと思い、押入れから古いスマホを取り出しました。2014年発売のこのスマホ(SHARP 304SH)はスウェーデン留学やボストン出張にも持参した思い出の端末なのですが、高感度の伸縮式アンテナを備えており、単独でワンセグならぬフルセグメントの地上デジタル放送を受信・録画可能です。
車の中で少し充電してからスマホの電源を入れたところ、停電後初めて映像のニュースを見ることが出来ました。
朝の時点では最大震度は6強と報道されていましたが、厚真町で震度7が観測されていたこと、大規模な土砂崩れが起きていたこと、札幌市内でも一部地域で地盤に大きな被害が出たことなどを知りました。
また、停電はまだ道内の数パーセントの地域でしか復旧しておらず、徐々に発電所を再起動させている途上であることも報じられていました。私は全道規模の停電という第一報を聞いた際、数日間から数週間は電気が復旧しないことも想像していたため、予想よりも早い復旧スピードにむしろ驚きました。順調に行けば今夜か明日には停電から回復できると聞き、大いに希望が湧いてきました。



自宅に居ても特に出来ることも無いので、日没まで街の様子を見に出掛けることにしました。
自転車で自宅を出てものの数分、僅か300メートルのところまで来ると、電気が復旧して信号機が灯っていました。病院など、特に市民生活に特に重要な施設がある地区から順に復旧が進められたそうで、札幌市民病院がある桑園エリアはかなり早い段階で停電から復旧したようでした。
また自転車で数百メートル進むと、再び停電中の地区に入りました。



特に目的地を決めずに走っていたのですが、なんとなく人が大勢集まっていそうな大通り・すすきの方面に向かいました。



沿道のスーパーやコンビニは軒並み休業状態で、今夜のご飯については先程手稲の知人宅で頂いた食材でなんとかなりそうなものの、明日以降の食糧確保が心配になってきました。



大通公園まで来ました。午後6時を過ぎて、だいぶ日が暮れてきました。札幌市役所(写真左側のビル)は自家発電で窓に明かりが灯っていましたが、テレビ塔の電光時計が消えており、街灯も点いていないため、仄暗く感じました。
公園のベンチや芝生には観光客と思しき人々が集まっていましたが、ホテルも殆どが休業しており、行くあてが無さそうで、ただただ時間を持て余しているように見えました。



地下鉄大通駅の入り口にはこのような張り紙がされていて、シャッターが降ろされていました。
少し不安に思ったのが、先ほどの公園内にたむろしていたような観光客の多数を占めると思われる、海外からの観光客にどれくらい情報が伝わっているかでした。
地元民の我々でさえ情報不足に陥っていたところ、外国人にとってはひとたびスマホの電源が切れてしまえば、ラジオもテレビも無く、街中の張り紙も日本語でしか書かれていないため、一層状況判断が困難なのではないかと思いました。



市電西4丁目停留場交差点付近も、ほぼ全ての建物が休業しており、とても平日の午後6時頃とは思えない光景でした。



交差点に面した三越もこの日は全館で臨時休業。



狸小路のアーケードも信じられないくらい真っ暗でした。当然ながら、全ての店が休んでいました。



参考までに、停電から2日後、9月8日の狸小路の様子がこちらです。



すすきのエリアまで来ましたが、店の看板や街灯が点いていないため非常に暗く、歩いている人の視認すら難しい状況でした。
安全のため、懐中電灯やヘッドライトを点けて歩く人の姿も時折見られました。



すすきののランドマークの一つである観覧車ノルベサの辺りの様子です。ここも真っ暗でした。



そしてすすきの交差点まで来ました。この交差点だけは自家発電で信号機が灯っていましたが、有名なニッカの看板を含めて全てのネオンが消えており、いつもは気にも留めない車のヘッドライトが眩しく感じられました。
私を含めて何人もの人がこの衝撃的な光景を写真に収めていました。
それにしても異様に人通りが少なく、静かで、街全体が喪に服しているような感覚まで覚えました。



すすきのからの帰路、大通西11丁目付近を通りかかると、不思議な光景が見られました。
大通公園に沿ったエリアはご覧の通り真っ暗だったのですが、



石山通りに面した沿道は停電から復旧し、街灯が煌々と灯っていたのです。
この2枚の写真は同じ場所から撮ったのですが、如何に普段の札幌が電気に照らされていたのか実感できました。



そういえば我が職場である北海道大学には病院も併設されているので、もしかしたら優先的に電気が復旧しているかも・・と思い、数時間ぶりに様子を見にいきました。
しかし、まだ復旧はされておらず、昼間と状況は何も変わっていませんでした。内部の人に聞いたところでは、どうやら病院施設のみ先に復旧させたものの、他の各施設についてはまだ復旧の優先順位を付けている段階であり、しばらくは復旧の見込みが無いことを知りました。このとき、私は実験用に細胞を培養中でしたが、培養装置復旧の目処も立たないため、処分・廃棄することをついに覚悟しました。
この夜は学内の体育館が避難所として学生・職員向けに開放されており、学生の下宿が集まる北区や東区は地震の揺れによる被害が大きく、ここで一夜を過ごした学生さんも多かったようです。



夜8時頃、再び自宅に戻りました。
自宅の部屋の中は相変わらず電気が点きませんでしたが、幸いなことに水道とガスは停電中もずっと使用できました。水道水をガスで湧かし、夕食作りに取り掛かりました。



出来上がったのがこちらです。
手稲の知人宅で頂いたチキンラーメンに魚を載せ、卵でとじようとした一品でした。
知人には感謝してもしきれないのですが、とても残念なことに魚の小骨が思いのほか多く、ラーメンに混ぜたことを後悔しました・・。



この日の夜は、多くの時間を車の中で過ごしました。座席を倒して空を眺めていると、街明かりが少ないからか、いつもより星空が綺麗に見えました。



日付が変わり、9月7日の朝5時を過ぎても我が家の停電は復旧していませんでした。
車中でずっと過ごして体のあちこちが痛くなってきていたので、夜が明けてきたのを機に自室のベッドで横になりました。



ウトウトとしながら1時間ほど横になっていたところ、不意に部屋の灯りが点きました。
停電発生から26時間、ついに我が家も停電から復旧したのでした。

(続く)