ある宇和島市議会議員のトレーニング

阪神大震災支援で動きの悪い体に気づいてトレーニングを始め、いつのまにかトライアスリートになってしまった私。

【ネットの威力】難波先生より

2014-03-03 18:20:40 | 難波紘二先生
【ネットの威力】小保方論文それ自体については、理研、ネイチャー、ハーヴァード大、東京女子医大、早稲田大で調査が進んでいると思うので、もう多くを書かない。
 それよりもこの間に、驚いたのは、米国のブログPubPeerやクノップラー教授のブログ
http://www.ipscell.com/
 日本語では
 http://stapcells.blogspot.jp/
 や
 http://www.asyura2.com/13/nature5/msg/210.html
 に寄せられたコメントだ。
 「ネイチャー」の小保方第1論文の「方法」のところにある文章が、どうしてハイデルベルグ大J.Guo (2005)の細胞培養に関する専門誌論文からの、盗用であることを見つけたのか、不思議だった。しかし、ここに寄せられたコメントを読んで得心が行った。

 ネット・ユーザーの1人が、小保方論文にある「0.0375 M KC1」(KClの誤記)をキーワードとしてGOOGLE検索した。するとこの語句を含むJ. Guo論文に行き当たったというわけだ。(これには驚いた。まさか個々の論文のテキストが全文検索できるとは、思ってもみなかった。)
 ところがよく見ると「KC1」の方はこの論文では「KCl」と正しく表記されていた。
 小保方第1論文の「方法」の項に、#41; I. Jentsch(2003)による「FISH法」を用いた染色体分析の論文
Jentsch I, Geigl J, Klein CA, Speicher MR (2003) : Seven- fluorochrome mouse M-FISH for high-resolution analysis of interchromosomalrearrangements.
Cytogenet Genome Res. 103(1-2):84-8
が引用されている。

 この論文のテキストとGuo論文(2005)と小保方論文(2014)のテキストを較べると、
 Jentsch (2003) vs Guo(2005):テキストの類似なし、「KCl」の誤記なし。
 Jentsch(2003) vs 小保方(2014):テキストの類似なし。小保方に「KC1」という誤記あり。
 Guo(2005) vs 小保方(2014):テキストに10行の同一性あり、2論文ともJentsch(2003)の引用あり。小保方論文に「KC1」という誤記あり。

 これで小保方論文はGuo(2005)論文をひな形として用いたが、論文引用はGuo論文にあるJentsch(2003)論文を引用した。このため、盗用の元論文が簡単には発見できなくなった、
という「盗用の成立過程」がわかる。

 このJ.GuoはJianli Guoのことで、
 <コピー元と言われるドイツの論文はドイツ人が書いてると 思われる人がいるみたいだけど、筆頭著者は中国人
Dr. Jianli Guo :中国内蒙古医科大学卒 :言語 中国語・英語>
 と3/2/2014, 14:13の投稿が指摘している。
 これなんか、どうやって突きとめたのだろう、と思う。
 ともかくこれで、なぜコピー元の英文が名詞と前置詞を多用していて、昔の医者の「テニオハドイツ語」みたいに拙いのか納得できた。中国語で考えた英文だからだ。
<Cells were washed with PBS, treated with trypsin-ethylenediamine tetra- acetic acid
(EDTA), resuspended into cell medium and centrifuged for 5 min at 1200 rpm.
To the cell pellet in 3 ml of PBS, 7 ml of a prewarmed hypotonic 0.0375 M KCl solution
was added.
 Cells were incubated for 20 min at 37° C.
 Cells were centrifuged for 5 min at 1200 rpm and the pellet was resuspended in 3–5 ml of 0.0375 M KCl solution.
The cells were fixed with methanol/acetic acid (3:1, vol:vol) by gently pipetting.
 主語が「Cells」から成る短文が5文中4つもある。接続詞と代名詞を使って、もう少し優雅な連文にしてもよかったと思う。しかし、どうも小保方はそのことに気づかず、そのまま写し取ったようだ。彼女の英語力はどの程度のものだろうか?

 また、KClを「KC1」と書くという、中学生でもわかるようなミスを「早稲田応用化学」卒の小保方がなぜおかしたのか?
 これについては論文のハードコピーをOCRソフトによりデジタル変換したが、その際に「l」が「1」に誤変換されたのに気づかず、そのままテキストとして論文原稿に貼り付けたのだろう、という説明が有力だ。「READ-Iris Pro」というOCRでは1とlの誤変換が高率に起こるそうだ。
 http://d.hatena.ne.jp/losttechnology/20140303/1393388528
 Guo論文(2005)の存在が報じられたのが2/26 (水)の10:10、その日の16:46には、もうここまで調査が進んでいる。

 その後、電子機器に詳しい人が、小保方第1論文の「核型分析」の項に、使用したと記載されている機材に絞って調べた。その結果、
 1)落射蛍光顕微鏡(ライカ社=ドイツ、型式DM RXA RF8)
 2)CCDカメラ(フォトメトリクス社=アリゾナ、型式Sensys CCD カメラ)
は<1990年代末から2000年代前半に販売されていたもので既に製造中止になっている機種です。 また、Sensys カメラのウェブサイトには、 「Then turn your computer back on and boot Windows 98/2000/ME/XP again.」と記載されており、Win 98が現役だったような時代の懐かしい製品です。よって、小保方氏らが研究室を立ち上げるときに、このような古い実験機器を新規に購入することは不可能であり、また中古品も出回っていません>と報告された。
 染色体画像の解析ソフトについては
 3)Leica Q-FISH software (Leica Microsystems Imaging solutions, Cambridge, United Kingdom)と Leica MCK softwareをGuoらは使用しており、小保方も同一である。

 Jentschらの論文では「Leica MCK-Software package (Leica Microsystems Imaging Solutions, Cambridge, UK/Eils et al., 1998).」となっており、小保方の記載とは異なっている。
 この3つの機材はJentsch(2003)論文(「Cytogen Genome Res」) にも、Guo(2005)論文(「In Vitro Cell Dev Biol Anim」)にも使われているが、それは2000年代の初めだったからまだ使えたので、デジタル光学機器やそのソフトの進歩の速さを考えたら、理研がこういうものを、現在使っているとはちと信じられない。それも英国製やアメリカ製を。
 Jentschはドイツ・ミュンヘン工科大学の研究者、Guoはハイデルベルグ大の研究者であり、 同じドイツ内で発表も2年遅れにすぎないから、同一型番の機材やソフトを使用することは合理的であるが、10年後に小保方が、しかもES細胞とは異なるSTAP細胞の染色体標本を作製するのに、同一の細胞分離法を同一の機種・機材を用いて実施したとは、信じにくい。
 いずれにせよ小保方論文は、論文のこの箇所の文章をGuo論文から盗用し、論文引用はJentsch(2003)論文に振ったものである。

 最近「集合知」ということが言われる。「専門知」に対する対立概念で、Wikipediaや今回の「STAP細胞ブログ」のように、普通の市民が持つ知識を集めて、あるテーマに関する総合的知識を構築したものだ。
 経時的に次々と新しい知識が付け加えられ、事件の全体像が次第にあきらかになり、疑問が解けて行くのを見守っていて、ふと、「これは沢山のスズメバチが集まって、軒下に大きなハチの巣を作るのと同じだな」と思った。
 理研にしろ早稲田大にしろ、「調査委員会」のメンバーと調査に当たる事務方の人員は知れているし、こういう場合は「調査方針」を決めてから臨むから、漏れが出ることも多い。が、この「スズメバチ方式」だと、特に傑出した専門家がいなくても、「真実を知りたい」という市民個人が自分の全力を投入して調査に当たる。
 無駄も多いし、情報には誤りも多いかも知れない。しかし多くの人が必死に努力していることは間違いない。ちょうどスズメバチがせっせと巣にワックスを付け加え、全体の形を調整して行くように、ブログの情報には初めは方向性がないが、次第に意見一致がみられ、反対者が退き、やがて全体の形が見えてくる。

 スズメバチの巣には設計図などどこにもない。スズメバチの脳にもないだろう。個々のスズメバチは自分の担当範囲の「房」を完成させ、周囲に対してそれを最適化する努力をしているに過ぎない。
 ネットのブログでの情報収集活動もそれに似ている。この場合も、最終的な結果の設計図はない。二律背反を許さない論理学の法則とか、相互に共有できる基礎的な科学知識とかに従って、「知の再編成」が行われると、やがて新しい景色が見えてくる。それが「集合知」であろうと思う。これは「専門家」個人の能力に基づく「専門知」を超えている。

 「知」は情報論的にいうと「ノイズ」の反対物で、「エントロピーが減少した状態」であり、熱力学的に見ると外部からエネルギーが投入された結果、個々の知の配列に関して、より高い組織状態が生まれたことを意味している。何百人、何千人という個人が参加して、情報を収集し検証しノイズを取り除き、個々の情報を関連付けていった結果、ある情報の新しい集合状態が生まれる。これが「集合知」で、そのエントロピーは個人による著書や新聞などのもつそれよりも、著しく減少している。
 それを可能にするのがインターネットであり、ネット上に存在する電子テキストである。インターネット誕生以来、約20年。2000年の「旧石器遺跡捏造」論争に参加した頃に較べると、「掲示板」を使った論争の技術が著しく進歩したのに驚いた。
 そのせいか、ブログに書き込まれた意見を読んでみると、週刊誌を含めて、新聞・テレビに対するつよい不信感を表明しているものが多い。理研の記者会見後、あれだけ小保方を持て囃しておいて、疑惑が浮上したらだんまりを決め込んでいることが、つよく批判されている。
 森口事件、佐村河内事件と異様な事件が続き、それに今度の事件が起こり、「日本がおかしくなっているのでは」という声も強い。確かに時代が転換期に差しかかっているという予感が、私にもする。

 研究不正は結局のところ、研究者倫理の問題に帰着する。私は「インターネットは人間を正直にするだろう」と述べたことがある。それは「正直な人間なら、ネットで弾劾されることもない」というような弱い意味だった。
 その後、哲学者ワイニンガーの「性と性格」(村松書館)を読み、彼が「論理は記憶によって媒介され、それを貫徹するところに、倫理が成立する」と述べているのを知った。つまり、倫理の基盤は論理だという。「記憶」を大脳皮質や海馬に限定しないで、もっと広い意味での「しつけ」とか「教育」による「身体性記憶」まで含めれば、たぶんそうだろうと思う。
 身体で覚えた倫理は忘れられない。中江兆民が「孔子に意思の自由はない」と述べたのは、礼節を体現した孔子には例え悪をなす機会があっても、それをなすことができない。従って「善と悪」の選択ができないから、孔子に「意思の自由」はない、としたのである。
 記憶力の弱い人間は前に言ったことと、今度言うことが違っていても、平気である。つまり非倫理的な行動ができる。しかし、過去に対する記憶をきちんと保持している人は、その記憶が現在の行動を規制するので、首尾一貫した行動をとる。

 記憶が弱い人間はいくらでもいる。が、今回の「ネット掲示板」のように、ある特定の研究者の研究活動や論文の記載内容や、家庭環境、学歴、周囲の人物評まで一挙に明らかにされる(これは過去にはプロのジャーナリストでないとできなかったことだ)と、嘘の言い逃れや弁明が通用しなくなってしまう。
 SF映画では「サイバー警察」活躍するが、これはもう現実のものとなっている。今回の「集合知」のための、ネット活動を見ていて、真相究明には非常に効果的であることが、よくわかった。しかし、これがもし間違って無実の人に向けられたら、恐ろしいことになる可能性があるな、とも思った。掲示板を見ると、今回の関係者の履歴などの個人情報が、ほとんどすべて開示されている。匿名であれをやられたら、かなわないなとしみじみ思った。
 できるだけそういうデータに依存しないで、公開情報から真実に迫ることを個人的には心がけているつもりだ。
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