ある宇和島市議会議員のトレーニング

阪神大震災支援で動きの悪い体に気づいてトレーニングを始め、いつのまにかトライアスリートになってしまった私。

【2018/1/15鹿鳴荘便り 序】難波先生より

2018-01-15 14:22:27 | 難波紘二先生
寒中お見舞い申し上げます。

★年末に実兄(10歳上)を送りました。
兄は昭和6年生まれで、入市被爆しています。広島大英文科を卒業後、名古屋の私大英語教授を務めていました。
定年後は、夫婦で父祖の地に暮らしたのですが、糖尿病、心筋硬塞によるバイパス手術、誤嚥性肺炎を相次いで発症しました。
三次市辺境にある故郷は、医療には不便な地で、生まれた土地でも育った土地でもなく、知人友人も少なく、ずいぶん苦労したようです。

麻酔科医の長男が勤める広島市近辺の総合病院に入院中、心停止で急死しました。CPR(救命救急措置)はしないように遺言していたそうです。病理解剖は常勤病理医がいなくて、行われていません。

(父も心筋硬塞で亡くなっています。電話を受けて、私が大学から駆けつけるまで、三次市の市立病院の救急部で医師が「蘇生のまねごと」をやっていました。もう自発呼吸がなく、すぐに装置を停止してもらいました。三次市も病理医不在の地で、病理解剖はできませんでした。)

病理学者として意見を述べると、兄の基礎疾患は糖尿病で、他はそれに併発したものだと思います。
私は糖尿病のコントロールには成功したのですが、母が糖尿病、父が心筋硬塞という遺伝的な体質は変えられないので、「次はわが身か…」と覚悟しています。

★雪が積もって寒い日が続いています。昨夜の地元の最低気温はマイナス11度だったそうです。午後9時過ぎ、仕事場から自宅に戻る時、外気温がマイナス8度で、積もった雪がパリパリに凍っていました。
 沖縄に雪が降ったという報道も、「むべなるかな」と受けとめました。何十年か前、正月休みに新婚旅行で四国西半分をドライブした時、大雪で法華津峠が越えられず、チェーンを買って宇和島ー大洲を回って雪道を走ったのを思い出しました。
 宇和島も今年は大雪でしょうか?

★「買いたい新書」書評に、石牟礼道子「苦海浄土」を取り上げました。
http://frob.co.jp/kaitaishinsho/book_review.php?id=1512609720

 これは「聞き書き」部分と事実資料が上手く再構成された「メタノンフィクション」という実験的な小説で、水俣病の悲劇を上手く描いています。もっと早く読むべきだったと思いました。

★土曜日の楽しみは、日経の「読書欄」と産経の「編集者推薦」の書籍、花田紀凱の「週刊誌ウォッチ」、「週間ベストセラー」、「話題の本」などからなる1頁記事だ。

年末の新聞報道で、日本の雑誌、単行本の売上額が前年度を下まわることを知った。マイナス金利、ゼロ成長で、銀行も振り込み、送金の手数料を上げざるをえないところまで追いこまれている。地銀・信金の合併統合も加速している。
よって消費者は、将来への不安から消費を抑制する傾向が高まっている。「本の買い控え」が起こるのも致し方ない。

1/13「日経」は販売が低迷する出版社の対応を「活字の海で」という、書評欄記事で報じている。
昔、ベストセラーのハードカバー本でも、2年待てば安い文庫本が出るのは常識だった。が、すべての本が文庫化すれば売れる、というものではない。
「グレーシャムの法則」では「悪貨が良貨を駆逐する」。
 しかし本に関してはそうでない。長く生き残るのは良書だ。

 早川書房に「文庫化リベンジ企画」というのがあるそうだ。ハードカバー本で売れなかった本を文庫化にあたり、題名を変え、カバーのデザインを変え、購入者を騙そうという作戦だそうだ。他社にも帯の部分で著者・訳者名を隠した文庫もある。うっかりすると二重買いになる。これらはほとんど詐欺に近い商法だ。

 岩波の「広辞苑」新版(第7版)が「厚いのに開いても文鎮がいらない」と話題になっているそうだ。私も同じ理由と書棚からの出し入れに重いので、第6版からCD-ROM版を利用している。
 洋書の辞書は箱入りなどなく、ペーパーバックで初めから背中の部分が凹むように製本してあるから、ペタリと開ける。よって値段も安い。日本の本や辞書は背中が丸まっている。よって開いたら頁が反り返る。コリンズ社の辞書と同じ製本様式を採用すればよいだけの話だ。
 図書館の本はすべて、箱を捨て、カバーを捨てる。陳列してある本は裸表紙になった本だ。
 出版社も過剰包装を止め、ペーパーバックにし、背表紙を凹型になるよう製本すれば、もっと安くしても、より売れるだろうに、と思う。出版不況は出版社の「工夫不足」とからんでいる。

 1/13「産経」の「週間ベストセラー」(丸の内丸善調べ)と「日経」の「ランキング新書」(大阪梅田紀伊国屋調べ)を比較すると、梅田は俗っぽく、丸の内は洗練されているという感じがする。

 ベストテンに挙がっているのはいずれも1000円以下の文庫・新書だ。計20冊のうち私が「買いたい新書」の書評で取り上げたか、すでに読んだものが6冊あった。
「産経」では(番号は記事のまま)
①吉野源三郎「君たちはどう生きるか」(岩波文庫)
②カズオ・イシグロ「日の名残り」(早川文庫)
⑤カズオ・イシグロ「わたしを離さないで」(早川文庫)
⑥外山滋比古「思考の整理学」(筑摩文庫)
「日経」では(同上)
①河合雅司「未来の年表」(講談社新書)
③鴻上尚史「不死身の特攻兵」(講談社新書)

鴻上の本は、どこまで実話でどこからがフィクションか、わからないから書評には取り上げない。特攻隊長のなかに、最後まで特攻作戦に反対して、出撃の度に生きて帰った男がいた話は知っている。

吉野やイシグロの本は初めからフィクションだとわかっているから、書評で取り上げても、読者をだます結果にはならない。
〔1/14付記〕「不死身の特攻兵」は日曜日(1/14)の「中国」でも「丸善日本橋店③位、広島フタバ図書・八丁堀店⑦位として載っていた。

★「毎日」にはベストセラー欄がない。ここの書評は著者の主張と評者意見が区別されていないから、要注意だ。
 唯一、前田速夫「<新しき村>の百年」(新潮新書)に惹かれたが、よく読むと毎日編集部の執筆で、著者は同業者だった。(前田は元新潮社で、雑誌「新潮」の編集長だったが、そこは「文芸誌の名編集長」とぼかして書いてある。「よいしょ書評の典型だな」と思った。それに「〈愚者の園〉の真実」という副題がわざわざ削除されている。自己検閲か?

 武者小路実篤(1885-1976)が始めた「新しき村」が百年後の今日、人口減により消滅寸前(日向に3人、埼玉に10人現存)だという。実篤の人気だけに依存した「新しき村」が彼の死後30年も存続できるのがおかしい。村の人口再生産と定住がなければ、自然消滅は当たり前だ。
 晩年の実篤が高度の認知症にかかっていたことは、山田風太郎「人間臨終図鑑」に引用されている、商店街のPR誌「うえの」(昭和50年5月号)に書いた実篤の一文を読めば分かる(同図鑑「91歳で死んだ人々」の項)。
 子ども頃、トイレの壁に武者小路の絵入り色紙が掛けてあり、しゃがむ度に絵と文句をながめていた。「仲良きことは美しきかな」という文言だったが、絵は忘れた。今、武者小路実篤の名前を知る新聞読者は少なかろう。「毎日」の書評に効果があるかどうか…

こうやって「客観書評」に紛らわしい編集部書評を載せるよりも「産経」みたいに堂々と出版社の「自社本自賛」書評を載せるか、「自著自賛」記事を著者に書かせるのが、正々堂々としてよいと思う。新聞は読者の信用を失ったらお終いだ。


★文庫・新書でも結構良い本が2紙に紹介されている。たとえば、
筒井康隆「残像に口紅を」(中公文庫):これは五十音から順番に音を消して行けば、日本語はどうなるかを示した実験小説だ。

蓮実重彦「ハリウッド映画史講義」(ちくま学芸文庫):これはB級映画の解説だそうだ。
蓮実重彦(1936〜)は東大教養学部仏文科卒、教養学部長をへて東大総長になったが、映画評論以外に目立った業績がない。

澤地久枝「妻たちの二・二六事件」(中公文庫):事件に参加した生年将校たちの妻のその後を描いたノンフィクションで、単行本は読みそこねていた。

栗原俊雄「シベリア抑留:最後の帰還者」(角川新書)
これは同じ著者による
栗原俊雄 「シベリア抑留ー未完の悲劇 」(岩波新書 2009)
と同じなのか違うのかがよくわからない。
栗原の「最後の帰還者」はアマゾンの書評をよく調べて、別の本だとわかったら買いたいと思う。

★英語のことわざに「良書に広告は不要」というのがある。
新聞に大きな広告を出せば「本が売れる」という時代は終わったと思う。他の新聞も、「日経」のように土曜日に「読書欄」を移して、同じ本を異なる書評家がどう批評するかを競わせた方がよいだろう。
 中には本をろくに読まないで書評を書いたり、「縁故書評」を書いたりしている書評家もいるはずで、それらが明瞭になるだろう。

★前から探していた福沢諭吉の「脱亜論」全文がやっと手に入った。
西村幸裕「21世紀の脱亜論:中国・韓国との訣別」(祥伝社新書)の付録にあった。

原文は福沢が主催していた「時事新報」の社説(M18=1885/3/15:「岩波世界史年表」では3/16)に掲載されたもので、「漢字カタカナ」で書かれているが、付録では「漢字かな・新字体」になおされている。
文章はおそらく英語で考え、それを文語にしたと思われ、主語・述語が明瞭で、指示代名詞の使い方が上手く、文意が明瞭だ。
社説だからタイトルは付いていないが、内容から「脱亜論」ないし「脱亜入欧論」とこれまで呼ばれて来た。が、不思議なことに諭吉の著作(全集・選集を除く)として、文庫・新書が出ていないし、アカデミズムの知識人が、この論文の詳細を論じたものを読んだことがない。

★詳細は次号に書くが、新書で全4頁の「脱亜論」要旨は以下のとおりだ。
<西洋文明は東アジアに波及しつつある。文明は流行病で麻疹のようなものだ。これを防ぐには、進んで感染する文明開化しかない。日本は自ら西洋文明という麻疹に感染した。
そのためには、国家と政府を切り離し、新たな政府を立てるしかなかった。

近隣の支那・朝鮮を見ると相似た状況にあるが、両国と日本とは大いに異なる。
日本はアジアの東辺にあるが、その国民精神は「すでにアジアの固陋(ころう)を脱し、西洋文明に移った」。
しかるに朝鮮・支那が今のように「文明の事物」に接しても、それを生みだす「心」に動かされず、儒教主義とそれに基づく教育や道徳を実践しているなら、この二国は西洋文明の東漸に対して、国家と政府を切り離し、日本のように文明開化を実現することはできないだろう。
もし実現できず、家に閉じこもって麻疹の感染を避けるように、西洋文明を避けようと鎖国を続けるなら、「今より数年のうちに亡国となり、国土は西洋諸国に分割されるだろう」

 このまま放置すれば西洋から日本も支那・朝鮮と同類の国だと見なされ、その弊害が日本に及ぶだろう。西洋人の目からすれば、地理が相接するために三国は同一視されがちだ。
 日本には隣国の開明を待って、一緒にアジアを興隆させる余裕がない。
 むしろアジア東方の悪友である支那・朝鮮の仲間から抜け出し、西洋文明国と進退を共にすべきである。「悪友と親しむものは共に悪名を免れない。我は心においてアジア東方の悪友を謝絶するものなり。」>

「今より数年のうちに亡国となり、国土は西洋諸国に分割されるだろう」という諭吉の予言は、年数に関してははずれたが、15年後の1900年には、支那も朝鮮も政府はほぼ統治能力を失い、日本を含めた「西洋文明国」により分割統治される状態になっていた。
諭吉の透徹した未来予測能力に驚く。

 但しこれは1884(M17)/12/2起きた開化派の政権奪取(甲申政変)が失敗した翌年3/16(西村本では3/15)に「時事新報」に発表されたもので、慶應義塾は多くの開化派朝鮮人の留学生を受け入れ、朝鮮の自主的な文明開化を支援していた諭吉にとって大いなる打撃だった。

 昨今の日韓、日中の外交関係を省みると「脱亜論」という主張は魅力的に響く。
 だが福沢諭吉の「脱亜論」は短文であり、多様な解釈が可能である。お題目に軽々しく乗せられない配慮が必要だろう。早い話、林房雄「大東亜戦争肯定論」(番町書房、1964)は諭吉「脱亜論」の延長上にあると見ることもできる。

 諭吉が「脱亜論」を発表した年に太政官政府が「内閣制度」に移行した。3年後に明治憲法が施行され、1890(M23)年には総選挙、第一回帝国議会の召集が行われている。これで「代議制民主主義」の制度が生まれたわけである。
 諭吉は日清戦争(1894=M27)までは見届けたが、1898(M31)年に「脳溢血」に倒れ、リハビリで発話は可能になったが、以後執筆ができなくなった。脳溢血の再発により死去したのが1901(M34)年である。従って日清・日露の戦役を踏まえた、新しい「脱亜論」を発表することはなかった。
 これらは諭吉「脱亜論」を今日読み返すにあたって、留意すべき点だ思う。

今回は、以下の5つの話題を取り上げました。
1.【訂正:ガーゼ置き忘れ】
2.【書評に思う】
3.【献本お礼】
4.【阪大入試問題】
5.【クジラの妻】

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