ある宇和島市議会議員のトレーニング

阪神大震災支援で動きの悪い体に気づいてトレーニングを始め、いつのまにかトライアスリートになってしまった私。

【読書日記より10】難波先生より

2015-01-26 18:33:38 | 難波紘二先生
【読書日記より10】
 1))黒田勝弘『“日本離れ”できない韓国』(文春新書, 2006/7)
 12/30/2014の「朝鮮日報」がこういう論説を載せている。
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2014/12/30/2014123001068.html?ent_rank_news
 < 金泳三(キム・ヨンサム)、金大中(キム・デジュン)、盧武鉉、李明博各大統領の対日関係パターンを見ると、共通点がある。任期の前半は未来を強調し、うまくやろうと言うが、後半になるにつれ、冷え込みと激突で仲たがいする。およそ20年こうしたパターンが続く中、政権後半期の衝突の様相は次第に激しくなっていった。何か、構造的に一層ねじれてきているということだ。朴槿恵(パク・クンヘ)大統領が「前半は和解、後半は激突」というパターンを繰り返さずにいることが、むしろ幸いに思えるほどだ。
 韓日関係がこうなってしまったのは、盧武鉉大統領の「外交戦争も辞さず」発言、李明博大統領の「天皇謝罪」発言など、韓国側が不必要に刺激したことも影響している。しかしそれ以上に、日本の政治家自身による選択の方が、はるかに影響が大きかった。日本はこの数年、平和憲法を損なって軍備を強化する「戦争ができる国」への道を疾走してきた。安倍首相は戦争責任を回避し、戦後秩序そのものを否定するかのような発言も何度か行った。こうした政権と普通の日本人は違うという見方も一部にあるが、衆院選の結果は、そうではないという事実、今の日本は韓国人が慣れ親しんだ日本ではなく、新たな日本なのだという事実を示した。
 来年6月には、韓国と日本が国交を正常化してから50年になる。難題はますます増えているのに、解決対象どころか、管理するのも大変だ。今や、謝罪の文言をめぐって綱引きする時代も終わった。「あるがままの日本」を相手に、根底からやり直すしかない。
 辛貞録(シン・ジョンロク)論説委員 >

 この論説委員は先の総選挙に表れた、日本外交についての民意の変化をよくリアルに捉えている。北朝鮮と韓国のGDPの差はいまや20倍になったそうだ。1960年代までは北朝鮮の方が「先進工業国」だったのに、遅れた「農業国」韓国がどうしてこうなれたのか?
 500年も続いた李氏朝鮮は1910年の「日韓併合」で消滅した。韓国では李朝に対する人気が高く、何度もテレビドラマの主題になっているし、暗殺された閔妃(ミンピ)に対する思慕の念も強い。何しろ安重根は、伊東博文暗殺の理由の一つに「国母殺害」の罪を挙げているくらいだ。
 その安重根を国民的英雄として祭り上げ、閔妃を国母としながら、なぜ韓国は李朝を復活させて「立憲君主制」を採用しなかったのか?
 第二次大戦終結後に、ヨーロッパでもアジアでも、王制を復活させ「立憲君主国」に移行した国は多い。李王朝を滅亡させた「日帝支配の36年」が邪悪だとするなら、王政復古による独立こそ、原状回復の最たるものではないのか?

 このように韓国現代史を読むと大きな疑問が湧いてくるが、これまでこの問題を明解に解き明かしてくれる本を読んだことがない。
 著者は共同通信社、産経新聞社でともにソウル支局長を勤め、在韓40年以上に及ぶ「知韓派」である。本書は2006年の刊行だが、韓国人の日本に対する「甘えの構造」をえぐり出し、突き放した方が本当は韓国のためになる、と主張している。腑に落ちるところが多い、よい本だと思った。

 2)中谷宇吉郎『中谷宇吉郎随筆集』(岩波文庫, 1988/9):
 これは前に「武田ブログ」でどなたかに教わった「<霜柱の研究>について」という随筆を含んでいる。やっとAmazon古書で入手できた。編者の「樋口啓二」という人は、自分でも中谷の弟子だと書いているし、Wikiのこの人であろうと思う。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%8B%E5%8F%A3%E6%95%AC%E4%BA%8C

 だが編者としては相当に手抜きをした本だ。索引がないし、各随筆の初出年月が正確に記載されていない。文学ならそれでもよいが、科学随筆の基礎になる知識は日進月歩で進歩する。
 読者は「それがいつ書かれたか」を知ることができないでは、内容を評価できない。
 (この「霜柱の研究」は「同窓のM君から<自由学園学術叢書>第一を贈られたのでさっそく読んでみた」という文言から始まるので、叢書第1巻を調査すれば少なくとも執筆年はわかるはずだが、「初出一覧」には「不明」となっている。)
 内容を評価できないというのは、書いてあることは「自由学園の女学生」による霜の実験的研究を手放しで褒めた、他愛もないもので、執筆年によっては中谷の科学者としての資質に疑問を投げかけるような内容だからだ。
 霜柱は「日本特有の現象」だとか、「関東平野の赤土にしかできない」というような、事実に反することが書いてある。霜柱は真土にも、草の葉にも、自動車の屋根にもできる。土中では「下から上に延びる」が、葉や屋根では上に付加されるしか、延びようがない。
 それらはこの間に観察で確かめ、写真に記録してきた。
 「ベルリンの土を取り寄せ」、「磨り潰して実験したら霜柱ができた」からといって、ベルリンで自然にできないことの反証にはならない。
 また、明治以来多くの外国人が日本に滞在し、厳しい冬を過ごしている。その中にはミルンやナウマンのような地理・地質学者もいる。もし日本特有の現象なら在日の外国人がそれに気づかないはずがない。ということは、外国にもむろんあって、何も珍しい現象でないからだろう。この随筆は「贔屓の引き倒し」になっている。

 霜柱は英語でNeedle ice、Frost column、ドイツ語でSaelen-eis、Staengel-eisなどというそうだ。英語WIKIに日本のものと同じ写真がある。
 http://en.wikipedia.org/wiki/Needle_ice
 “Frost column”は直訳すれば「霜柱」である。外国にも立派に「霜柱」がある。
 まあ、80年近く前の、宇吉郎の誤解を指摘するのは不毛なので、この辺で終りにしたい。

 「随筆集」をパラパラとめくっていると、「千里眼その他」という1篇があった。まるで「STAP事件」を痛烈に皮肉ったような内容だった。

 これは昭和18年「文藝春秋」五月号に掲載された「前編」と戦後になって発表されたと思われる初出不明の「後編」からなり、中谷の随筆のあちこち(例えば「原子爆弾雑話」,昭和20年10月1日発表)に見られるような、彼のオポチュニストぶりを示している。

 昨2014/3/10の【鹿鳴荘便り】「千里眼事件」にこう書いた。(これはネットに転載されていないようなので、少し長くなるが再録する。)
 <3/10:【千里眼事件】科学史にスキャンダルは多いが、大事件になるのは、その発見が画期的なものとして報道され、世間一般がそれに期待し、信頼が高まった後で、「捏造」あるいはインチキであったと報じられた場合です。もちろんその発見を評価し、メディアに対して自己宣伝する科学者もいるわけです。その意味で、マスメディアが必ず関与しています。
 女性がからむ科学史の大スキャンダルとしては、1911(明治44)年の「千里眼事件」がある。
  http://ja.wikipedia.org/wiki/千里眼事件

 この事件は「千里眼」と称する自称超能力者に研究者がまんまと騙されたというもので、騙されたのが東大心理学助教授でなかったら、事件にもならなかっただろう。
 最初の「千里眼」能力者、熊本の御船千鶴子を評価したのは、東大の心理学助教授福来(ふくらい)友吉で、千鶴子にカードに字を書いて入れた密封小型封筒19通を、大型封筒に入れて郵送し、小型封筒を開けないで中の字を封筒の表に書いて、封筒ごと返送してもらいたい、という「実験」をやった。

 結果が100%適中になるのは当たり前である。すっかり信用した福来は千鶴子を東京に呼び出し、物理学者山川健次郎、田中舘愛橘、医学者三宅秀、大澤謙二、片山国嘉、呉秀三、入沢達吉、哲学者井上哲次郎、動物学者丘浅次郎など、当時のそうそうたる学者の立ち会いの下、透視実験を行った。
 字を書いたカードを鉛の筒に入れ、蓋をハンダ付けした場合には、千鶴子は文字を読みとることができなかったが、蓋が開く錫の壺に入れた場合には、字を読みとることができた。しかし、カードを二重封筒に入れた場合には、中の紙片の文字を言い当てることができなかった。

 「透視実験」が成功するのは、千鶴子が一人でいる機会があり、かつ乾版を入れたカバンが無人の部屋にある場合、のみだった。(これはスペクター事件における、「実験は彼が行う時だけ成功することが多く、彼がいないと再現されない」というのと似ている。但し福来はその異常性に気づいていない。)福来の期待に反して、実験を信じた立会人はほとんどいなかった。
 心理的に次第に追いつめられた千鶴子は、この実験の4ヶ月後に服毒自殺した。

 東京での実験が新聞で全国に報じられると、全国に「超能力」があると称する女性が輩出した。その一人が四国丸亀の長尾郁子である。彼女が現職裁判官の夫人だったというのも、信用された一因だ。郁子は念力により写真乾版に文字を「念写する」能力があるとされた。

 但し、これが成功したのはいずれも丸亀の郁子宅においてのみだった。長尾家の隣には1メートルと離れていない位置に空き家があり、ここには博多から福来が連れてきた横瀬琢之という「催眠術師」が、1910年11月から住んでいた。板を渡せば家から家へ、土を踏まずに移れる距離だったという。実験は1911年1月に行われた。
 写真乾版が入ったカセットを空き家に運び、乾版を引き出し、乳剤塗布面に墨汁で文字を書いた半紙を当てて、短時間感光させれば、日光写真と同じように、文字の潜像をつくることは可能である。郁子はどの文字を念写するか、あらかじめ情報を与えられていた。横瀬が協力者であれば、この方法で科学者を騙すことは容易である。
 長尾郁子も、この実験後2ヶ月もしないうちに、インフルエンザにより急死した。
 しかしながら、その後も1913年に、「念写能力」(精神力で写真乾版を感光させ、文字や画像の潜像を作る能力)があるとする岡山出身の高橋貞子が現れた。この頃になると福来は完全に念写を信じており、実験には科学的「対照」が設けられておらず、立ち合い者に信じさせるための実験という性格がつよい。
 ブームが下火になり、疑惑の眼が向けられるようになると、高橋夫妻は東京を去り郷里岡山に戻った。福来友吉は1914年10月、東京帝大を休職となり、1年後大学を去った。その後は学会からも見捨てられた存在となった。

 この一連の「千里眼事件」では、1909年8月「東京朝日」が御船千鶴子の「超能力」を報じて以後、1911年の千鶴子の自殺まで、メディアは「煽る」サイドに立って報道した。
 しかし山川健次郎元東大総長が立ち会った、丸亀市での長尾郁子の実験(1911/1)以降、山川の批判的見解が伝えられると、メディアは手のひら返しに「超能力者」を非難する論調に変わった。
 この事件の背景には、当時「催眠術」がブームになっていたこと、レントゲン線装置が医療に応用され始めた頃で、「透視」という言葉とレントゲン技術がある種の「不思議」なものとして受けとめられたこと、写真乾版が感光する原理について、心理学者福来がまったく無知であったこと、などが挙げられよう。
 「千里眼」事件の決着は不十分であり、その後も昭和の初めに、やはり心理学者古川竹二が提唱した「血液型と性格」が相関するというインチキ学説事件が起こり、心理学はさらに信用を失墜した。いま、この説は、竹内久美子とか藤田紘一郎のようなエセ・サイエンティストや流行「日本オカルト」派の源流をなしている。
 〔参考文献〕
1.科学朝日編「スキャンダルの科学史」, 朝日新聞社, 1997)
2.佐藤達哉・溝口元(編)「通史・日本の心理学」(北王路書房、1997) >

 さて中谷宇吉郎は『中谷宇吉郎随筆集』(岩波文庫, 1988)の「千里眼その他」(1943/5)で、この事件をこう総括している。(「その他」となっているのは、この随筆には戦後に書かれた「附記」があるためだろう。)
  <もう35年くらい前の話だが、千里眼の問題が数年にわたってわが国の朝野を多いに騒がしたことがあった。私たちも子供心にその頃は千里眼を全く信じていた。子供たちばかりでなく、親たちも信じ、学校の先生たちも信じていたようであった。…
 こういう昔の話を今頃になって持ち出すのは、この種の熱病の流行は、必ずしもその国の科学の進歩程度(度合い)には依らないという気がしたからである。もしそうだとしたら、今後も流行する恐れがある。特に大戦争下などにはその恐れが濃厚であるとも思われるので、予防医学的な意味で当時の世相を顧みておくことも無用ではなかろう。>
 このように、今の小学生が35年後、科学者となって2014年の「STAP事件」を懐古したなら述べそうなことを、宇吉郎は書いている。
 この後に続けて、熊本の御船千鶴子と丸亀の長尾郁子が、「透視能力」(密封した容器の中に置かれた紙片の文字を言い当てること)や「念写能力」〔カセットに入った写真乾版に文字や図形を感光させること〕を持つ超能力者として登場した事件概要を述べ、要旨以下のように書いている。
 <もしそれが本当なら、人間の精神力の神秘を解く鍵となり、物理学なども全く違ったものとなるだろう。今までの科学が大筋において間違っていなかったならば、透視や念写などは不可能と見るのが至当である。
 ところが問題はそれ(透視/念写)が実際に出来るという点にあった。もし実際に出来ることなら…何も問題はないので、そういう事実を説明できるような学問を作る必要がある。しかし、こういう場合に、それが実際に出来たか否かということを決定するのは、案外困難である。手品か詐欺のような要素が巧妙に入っている場合には、なかなかそれを見破ることは出来ない。>
 こうして彼は「千里眼事件」が、「STAP事件」と同様に、手品の一種であったことを喝破している。(むろん、あと知恵に過ぎないが…)

 <こういう科学的な問題と関連している場合の事実の判定は、警察の力でも出来ないし、どんな(政治的)権力者の力でも不可能なことが多い。学者にもいろいろな学者があるが、例えば帝国大学の教授で博士というような人が<これは事実である>と判定した場合には、一般にはそれを信用するより仕方がないであろう。
 ところが千里眼の場合には、京都帝大の精神病理学主任教授の今村博士や、東京帝大の助教授福来博士などが、自ら実験されて<事実である>という報告をされた。それにわが国哲学会の大権威である井上哲次郎博士も信用され「そういうことはあり得る」という意見を発表された。>
 細胞生物学研究の「ノーベル賞級」専門家(笹井や竹市など理研の科学者たち)が、STAP事件では、すっかり小保方の手玉に取られたことを予見するかのように、宇吉郎は、当時の帝国大学の心理学・精神医学・哲学の権威者たちがコロリと騙されたことを指摘し、その上で、
 <こうなれば、もう一般の人々は、それを信用するより仕方がない。…いつの世でも世間は珍しい話が好きであり、人間は神秘にあこがれる本性がある。
 それに新聞にとっては、これは絶好の題目である。燎原の火の如く、千里眼が全国に拡がり、至るところに千里眼者が出現したのも無理のない話である。>
 と、まさに2014年のメディア大演奏による「STAP狂想曲」を1943年に予言している。
 STAP事件の背景に、再生医療の早期実用化による、自らの難病の治癒や「不老不死、若返り」を信じた一般市民の軽信があったことも、無理からぬところがある。

 宇吉郎は事件の幕引き過程について、こう述べている。
 <その後、(現職裁判官夫人の)長尾夫人は物理学者の実験を回避する態度をとり、そのうちに同夫人の謎の急死によって、<千里眼>は結局、闇から闇へと葬り去られる運命となった。それはいかにも千里眼らしい運命であった。…
 この話は初めから一種の熱病なのであって、…本来は事件全体が一笑に附されるべきものだが、問題はそういう馬鹿げた話が全国の朝野を風靡(ふうび)したという事実にある。>
 と、「千里眼事件」が関係者二人の急死(一人は自殺)により、曖昧なまま幕引きされた事実を述べている。(なんとSTAP事件によく似ていることか!)。さらに、
 <こういう明白な事実を解明するのに、どうしてこれだけの騒ぎになったかが、一番不思議である。そして今さらのように、世の中というものは複雑極まるものであるという感を深くする。しかしそれが社会というものの実相なのである。>
 と、たんに科学上の問題だけでなく、背後に科学者間の学閥争いや人事問題や政治経済的な利権が絡んでいたことを臭わせている。「社会というものの実相」とはそういう意味であろう。

 宇吉郎は北大理学部低温研の教授だったが、当時のことをよく知る実験物理学者中村清二による「理学者の見たる千里眼問題」という一文から引用して、

 「世間の人が信ずべからざることを信じているのは、非常に悲しむべきことだ。こういうことを世人が歓迎する根本は、時間をかけて秩序だった実験を重ねて、確実な結論を得るのがまどろこしく、簡単に早く実用的な結果が得られることにのみあせるから、皆が間違ったことを好むようになる」
と、早急な成果主義、実用主義の危険性とその落とし穴について警告している。いちいち「STAP事件」や「東大加藤研究室事件」にぴたりと符合することだ。

 中村博士は上記の論文で、「封筒に入れた紙片の文字を透視する」という千里眼について疑惑を表明した時点では、世間から「迂遠なる学者」と批判された、と述べているという。
 (私も岡山の新年会で、ある人から「初め(STAP細胞を否定する)難波先生の意見を知った時は<頭がおかしくなったのか>と思った」といわれた。「迂遠なる学者」と思われたのだろう。)
 ついで事件が「写真乾版に念写できる」という段階にまで発展した時には、信じないことに対して「頑迷なる学者」と批判されたという。
 事件が御船千鶴子の自殺、長尾郁子の急死により破局を迎え、事件そのものが暗転したのち、一段落して従来の経過を論文として明らかにした時には、<あまりにもしつこいではないか>という世評を受けた」と述べているという。
 (この中村清二論文は、上記2つの参考文献「スキャンダルの科学史」、「通史・日本の心理学」にも触れてなく、まだ読んでいない。)

 先に述べたように、宇吉郎のこの随筆には戦後発表された「附記」がある。
 これでは東条英機首相の「2月5日の議会演説」が批判的に取りあげられているから、東条内閣が存続していた1941/10/18〜1944/7/18の期間のことであり、同時に2/5の首相衆院演説となると1942/2~1944/2の年度が該当する。これだといつのことか分からない。
 しかし、宇吉郎は「実は文藝春秋の論文は、政府の誤った鉄鋼政策を批判する意図があった」と述べているので、ミッドウェー海戦(1942/6)敗北後に、大量の船舶喪失を来たし、鉄鋼の増産が戦略的に大問題となった時期と「文藝春秋」論文(1943/4月号)とは重なっている。
(岩波文庫版では「本編」の日付が「昭和18年5月1日」とあり、「附記」(わずか5頁)の文中には<昭和18年4月号の「文藝春秋」に掲載された千里眼の話>とあり、食い違いがある。5月1日執筆の原稿が四月号に載るわけがない。編者樋口の不備であろう。)

 宇吉郎の秘話によると、ミッドウェー敗戦後に戦局が不利となった時期に「世紀の大千里眼事件」が起こった。
 それは砂鉄とアルミニウム粉末を利用して、溶鉱炉を用いないで簡単にいくらでも純鉄が得られるという、まるで「弱酸に浸けたら簡単に万能幹細胞ができる」というような話を、民間のある「発明家」が海軍某省の材料部長に持ち込んできたので、半信半疑、江戸川上流の某所で実験させてみたら、アルミ粉末と砂鉄から実際に純鉄が出来た。
 そこでにわかに「日本式製鋼法」なるものが脚光を浴び、議会での東条首相演説となり、さらには技術院(今の文科省か理研のようなもの)までもお墨付き発表をしたという。

 これに対して、「アルミと酸化鉄を混合して発火させれば、非常な高温になり鉄が出来るのは当たり前のことだ。問題はアルミの製造には膨大な電力を必要とするだけでなく、鉄よりも高価なアルミを鉄の10倍も必要とする。これはまるで一台の戦車を作るのに、百台の飛行機を潰すようなものだ」と宇吉郎が喝破して、友人の応用化学者「H教授」を説得して技術院総裁に説明してもらい、計画を撤回させたという話である。

 計画が学問的純理に基づいてすぐに撤回されずに、軍の事業として新たな製鉄工場として既存の大工場を三つ買い上げるという方向に進んだのには、この事業には、南洋の鉱業で大儲けした某実業家と某官庁の部長がからんでいて、これら三工場はいずれも立地条件がよく、水運に恵まれ、安い電力が使えるという利点があり、それらが狙われているところに「案外問題解決の鍵が潜んでいるようだった」とある。
 各方面からの努力が稔って、「最後の場面に到って、この日本式製鉄法は中止され、千里眼と同じ運命で闇から闇へと無事葬り去られることになった」とある。

 この経過からすると東条演説は1943/2の議会でのこと、それを意識して「文藝春秋」四月号の論文は書かれたものと思われる。「後編」の内容は、検閲が存在した戦中には、とても発表できない内容なので、戦後に掲載されたものであろう。が、肝心の初出時期が不明だ。

 この「日本式製鉄」の話も初めて知った。話が応用的あるいは実用的利益とからむようになると、科学はしばしばその純粋性を失い、関係者が色とか欲とかによって合理的な判断力を失うことがある。
 1/8「産経抄」は、1938年に近衛文麿首相のところに「水からガソリンができる」という話が持ち込まれ、米内海軍大臣経由で、山本五十六海軍次官が提唱者に実験させたところ、果たして水からガソリンができた。大喜びしたが、化学知識のある将校が「容器取り替え」のトリックを見破り、「民間発明家」は詐欺未遂として、検挙されたそうだ。(この話は阿川弘之『山本五十六』にも出てくる。)
 
 STAP事件も、小保方のユニークというか病的なキャラクターに、ヴァカンティの名誉欲、野依の権力欲、岡野のビジネス欲などが複合的にからんでいるが、こうしてみると「歴史は繰り返す」と言えそうだ。
 中谷は師の寺田寅彦や、そのまた師の漱石よりも「東大法話」に長けており、なかなかその狡猾さの尻尾をつかむのは容易でないが、この随筆集は面白い。

 それにしても小保方のSTAP事件は、なぜ「詐欺未遂」として告発されないのか?理研はなぜ被害届を出さないのか?
 答えはひとつしかないだろう、旧海軍よりも体質が旧陸軍に近く、「闇から闇へ」と葬り去る解決法を好むからだ。これだと理事長が引責辞職しないですむと、浅知恵で考えているだろう。
 ある筋の情報によると、小保方はこの1月から東京女子医大の大和教授のところに勤務しているという。小保方一家は「解放同盟」よりも怖い筋と関係があり、早稲田も理研もトップが恐れて厳しい処分がだせないし、週刊誌の記者ですらびびって取材しないのだそうだ。
 私には見当もつかないが、あれだけ個人のプライバシーを暴くのが得意な週刊誌が、小保方が高校で生物学を履修したかどうか、内申書はともかく、同期の生徒からみて、何番ぐらいの成績だったか、そういう情報すら明らかにされないのは、「怪しい闇」としかいいようがない。
 毎日・須田桃子の本は、目次に項目がなく、索引もないというお粗末本だ。本文の項目をいちいち目次に転記し、自分でページ番号を書き込まないと役にたたない。どうせ彼女は「早稲田理工学部」卒だから、「闇」を照らす気はないだろう。
 あとは小畑峰太郎に期待するしかないか…

3)百目鬼恭三郎:『奇談の時代』(朝日文庫, 1981/4)=
 昔一度読んだことがある本だが、仕事机脇の「ワーキング書棚」にあるのを手にしたら、「蔵書目録」に未入力だとわかった。古今の書物から「奇人、怪異、奇談」の類を「人物、神仙・鬼仏、生物」の3部に分けて、奇異譚を集めたものだ。

 百目鬼恭三郎(1926〜1991)は朝日文芸部にいた有名な記者で、私は彼の書評集『読書人、読むべし』(新潮社, 1984)を見つけて以来、愛読している。彼の本は古書であらかた揃えた。
 彼の『新聞を疑え』(講談社, 1984)中の一文「<風>とともに去った朝日新聞」は、彼が朝日を辞職した後に発表されたもので、昨年8月の「福島原発事故、慰安婦問題」報道記事撤回とその後の「朝日」迷走ぶりを、朝日の体質批判により予見している。今でも読んでみる価値がある本だ。

 エクセルに入力しながら、参考文献リストをみると、平安初期から現代まで、和書104冊、中国書32冊、邦訳洋書6冊が引用されていた。この本の元は、1975/8〜1976/8の約1年間、「朝日」文芸欄に連載された記事である。彼の本には多くの場合「この本の宣伝のための架空講演」と題する長めの序文があり、そこで執筆の意図や目的が明らかにされている。

 百目鬼のこの「架空講演」では、まず文系における「資料操作、我田引水」が実証的に明らかにされている。
 「ここに鬼の研究本があります。悪口をいわなければならないので、署名も著者名もあげるのを差し控えますが、公刊されたときは<画期的研究>などとして賞められ、評判がよかった。
 著者はこの研究で、<日本の鬼>とは反体制的な破滅者であるという(新)説を打ち出しています。」
 とあるので、これは馬場あき子『鬼の研究』(三一書房、1971:現ちくま文庫, 1989)のことだと分かる。

 馬場あき子(1928〜)は歌人で、当時「朝日歌壇」の選者だったから、百目鬼が「朝日文芸部」の記者であるかぎり「とうてい書けなかった」内容なのであろう。
 私もこの文庫は持っているが、内容がバカバカしいので最初の数ページで読むのをやめた。

 百目鬼は「新説を打ち出す研究というのは、多くの場合、まず新説を立てておいて、それにあてはまりそうな材料を、つごうのいい形に切り取って貼り付けるという方法をとるようです」と述べ、その一例として上記の本をあげている。この頃は「カット・アンド・ペースト」とか「コピー・アンド・ペースト」いう表現がまだなかったが、小保方晴子が早稲田学位論文の執筆で用いた手法である。
 「一例として」というのは単なるレトリックの問題で、文脈上は『鬼の研究』がターゲットにされており、コピペだけでなく、<資料操作のウソ>、<不都合な中国文献の無視>、<Oniという音が固有日本語だという、比較言語学的な証明の欠除>を指摘している。

 馬場が「日本固有の話」としている各種説話について、原話の日本初出と伝話の過程を104点の文献に基づいて明示したうえで、すべて中国文献に原話があり、それが日本に渡来した時期も明示して、<鬼の国産説>を否定している。

 「これでは、黒岩涙香の『巌窟王』が『モンテ・クリスト伯』の翻案であるということを伏せて、日本の史実として扱っているようなものだ」、というのだから相当きつい。書かれた方は「これは自分のことだ」とすぐに気づくから、怒り心頭に発したであろう。

 話が脱線したが、百目鬼が本書で主張しているのは、「現代(1970年代)の<怪奇ブーム>」について警鐘を鳴らすためである。
 お粗末な怪奇譚ブームは、平安初期、平安末から鎌倉初期、江戸後期と3回起こっていることを指摘したうえで、
 「これらの怪奇ブームは、いずれもひとつの時代がゆきづまって、新しい時代に移り変わろうとする時に起こっている。
 安定している時代には、その時代を支配している合理的な思想が強いため、人々の意識に怪奇の入りこんでくる隙はあまりない。
 ところが、その合理的な思想がゆきづまって、信頼を失うと、怪奇がはびこり出すということなのでありましょう。」 と述べている。
 これは卓見で、「STAP騒動」は初めに大宣伝をした「理研一味」も、真に受けたメディアも悪いが、むしろ問題は「合理的思考」ができなくなって、現代の「怪奇」ものがたりに、光明を見いだした「人々の意識」に問題があると言えるだろう。
 「現代のベートーベン」事件も同様だ。あれも別に耳の生理学を知らなくても、ビデオ映像でしゃべっているのを聞けば、ちゃんと耳を介しての音量フィードバックができており、全聾ではありえず「正常に聞こえている」ことは、常識により直ちにわかったはずだ。

 健全な懐疑精神と合理的思考力を失った社会は、ブレーキのない車や走り出したレミングの集団のように、いずれ破局に見舞われるのではないか。
 事実、百目鬼恭三郎の『新聞を疑え』(講談社, 1984)が刊行されて間もなく、日本は異常なバブル経済に突入した。小金のある日本人の多くは、「株と土地の右肩上がり」神話を信じて、マネーゲームに走って大けがをした。社会全体がほぼ6年もの間、正気を失っていたとしか思えない。彼の「架空講演」は見事に適中していた。
 1991年冒頭にバブルが破裂して以来、日本社会はそれまでとは違った時代を歩んでいる。
 1995年、阪神大震災の年の春に「地下鉄サリン事件」が起こった。あれもハルマゲドンだの、空中浮揚だのポアだの、懐疑精神と合理的思考がまったく欠けた集団によるものだった。
 佐村河内事件やSTAP事件は、またも日本人が合理的な判断力を失い、「不合理ゆえにわれ信ず」という「奇譚の時代」に再突入しつある、という不吉な予感を与える。百目鬼の理論によれば、「時代閉塞の現状」が終り、良し悪しは別として、時代が変わるのであろう。
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詐話師の怪しい記者、須田 (知財研究者)
2015-01-29 12:57:52
毎日の須田記者と、元 バイエルの桜田氏との関係。

下記のように、須田は「山中教授抜く」などという記事を書いた。

http://air.ap.teacup.com/awatenai/657.html

当時、京大や山中教授は下記にもあるように強く抗議したことは記憶に新しい。

http://shopworld.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/post_f457.html

 しかし、なぜ、須田は他社を完全に出し抜いて単独でスクープできたのか?
 親交のある桜田の持ち込み話を無邪気に信用したからだろう。なお、この記事掲載の朝、バイエル株は急騰した。須田と桜田は株で利益を得ている可能性高し。

 須田記者は昔から、この調子である。
今回の須田本の宣伝に、山中教授を引き合いに出しているが他社の科学部記者も同じであり、何も彼女だけが特別ではない。自分の都合の良いように話を作る。
まるで小保方のようだ。さすが早稲田の先輩・後輩。

 ちなみに毎日新聞は今回、小保方が告発された件を全く記事にしなかったのは興味深い。





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詐話師の怪しい記者、須田 (知財研究者)
2015-01-29 12:58:33
毎日の須田記者と、元 バイエルの桜田氏との関係。

下記のように、須田は「山中教授抜く」などという記事を書いた。

http://air.ap.teacup.com/awatenai/657.html

当時、京大や山中教授は下記にもあるように強く抗議したことは記憶に新しい。

http://shopworld.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/post_f457.html

 しかし、なぜ、須田は他社を完全に出し抜いて単独でスクープできたのか?
 親交のある桜田の持ち込み話を無邪気に信用したからだろう。なお、この記事掲載の朝、バイエル株は急騰した。須田と桜田は株で利益を得ている可能性高し。

 須田記者は昔から、この調子である。
今回の須田本の宣伝に、山中教授を引き合いに出しているが他社の科学部記者も同じであり、何も彼女だけが特別ではない。自分の都合の良いように話を作る。
まるで小保方のようだ。さすが早稲田の先輩・後輩。

 ちなみに毎日新聞は今回、小保方が告発された件を全く記事にしなかったのは興味深い。





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