ある宇和島市議会議員のトレーニング

阪神大震災支援で動きの悪い体に気づいてトレーニングを始め、いつのまにかトライアスリートになってしまった私。

【崩れる街】難波先生より

2017-04-18 12:01:41 | 難波紘二先生
【崩れる街】
 私の住む町でも隣町でも、老朽住宅を相続した人は処置に困っているらしい。中にはかつての商店街(この辺では「市(いち)」と呼んでいた)が、丸ごと島状のゴーストタウンになっているところもある。車社会になった時、商店街の道路拡張は難しいので、そこを迂回するバイパスができた。すると徒歩で買物に来るのは運転できないお年寄りばかりとなり、後継者もいないから、やがてシャッター通りとなり、ついでゴーストタウンなる。

 そんなゴーストタウンあるいはもうすぐそうなりそうな商店街が、福富町に3箇所、隣の造賀町に1箇所ある。国道沿いにはコンビニが進出した。造賀に2店舗、北隣の豊栄町に2店舗ある。夕方など、付近のお年寄りが軽自動車や軽トラで夕食を買いに来ている。
 昼メシは弁当を買って車内で食べる若者やトラック運転手が多いが、さすがに夜は少ない。ただ缶ビール・お酒やおつまみを買う若者は多い。

 無住の家を放置しておいて倒壊により被害が出ると、所有者に賠償責任がある。
 そこで町によっては路上に倒壊する恐れがある建物は、町の費用で撤去し、その支払いを所有者に求めるところがあるそうだ。
 私も家内も別宅や別荘は持たない主義なので、幸い「空き家の管理」という苦労はない。

 雑誌「VOICE」(PHP研究所発行)5月号に、曽野綾子が「私日記NO.208:忘れるための月日」という手記を掲載している。この人は1931年生まれだから私より10歳年上で今86歳のはずだが、文章を読むとまだ車の運転をしているようだ。私の従兄弟と同様だ。
 新聞は「個人情報保護法」が怖くて、三浦朱門の病名も死因も死亡場所も詳しく書かないが、妻の曽野綾子はしっかり書いている。それによると、1)直接死因=間質性肺炎、2)死亡場所=昭和医大(入院後8日目に、低酸素血症に起因する心不全で意識喪失して死亡)だった。まあ、理想的な死に方である。

 朱門も曽野綾子もカトリックだから、葬儀はカトリック式で行われているが、神父が「今日は朱門さんの魂の誕生日です」と言って、祭服の下からハモニカをとりだし、「ハッピイ・バースデー」を吹き、皆で合唱したという話には驚いた。昔のカトリックのイメージがすっかり変わった。

 自宅での仕事を再開して間もなく「三戸浜の家」に泊まりがけで行った、とある。
 私は首都圏の地理にうといが、これは神奈川かどこか、海沿いにある別荘(別宅)ではないか。日本国籍を持つペルーのフジモリ元大統領が、日本に庇護を求めて来た時、曽野綾子が隠れ家として提供したことがある。
 曽野自身も足の骨折手術、脊柱管狭窄症(硬膜外ブロック麻酔で対処?)と年相応の「老化病」を抱えている。
 「遺著」の用意なのだろうか、やたら知人・友人の固有名詞が出てくる。

〔付記〕新聞切り抜きの束を整理していたら、2/6「産経抄」が三浦朱門と曽野綾子のおしどり夫婦ぶりを話題にしていたのに気づいた。この度東京に行って、ジャーナリスト関係の人たちと会食する機会があり、東京には大メディアや雑誌が取り上げない「口コミ情報」が沢山あると知った。
 朱門が色紙を頼まれ、依頼人の前で「妻をめとらば 曽野綾子」と書いたら、綾子がすぐ下の句を付け加えた。それは「あとは野となれ山となれ」だった。思わず笑った。
 下の句を和製英語にした「アフター・マウンテン・フィールド」は、江田島にあった「海軍兵学校」の卒業式の後、晴れて士官になる卒業生たちが、いっせいに帽子を空中に放り上げて、大声で叫ぶ文句だった。
 「産経」にはこういうコラムが載るから面白い。


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