ある宇和島市議会議員のトレーニング

阪神大震災支援で動きの悪い体に気づいてトレーニングを始め、いつのまにかトライアスリートになってしまった私。

【達意の文章】難波先生より

2015-02-11 08:59:16 | 難波紘二先生
【達意の文章】
 ISISによる「人質殺害事件」の報道は、毎日、産経、日経、中国の報道では、当初、産経が群を抜いていたように思う。次いで日経が追い上げて来た。毎日は「予期せぬ出来事」に混乱したのか、読むに値しない記事が多かった。
 が、2/1の「イスラム国」に関する「解説報道特集」(8面)あたりから読ませる記事が載るようになった。だがこれは東京本社の記事だ。
 ところが、2/3の特派員記事を読むと、「キリス(トルコ南部)からの記事」、「ブリュッセル・ワシントンからの記事」は、ともに文章が意味不明だ。日本語能力に乏しい記者が送稿しているようだ。
 同じ日付の誌面でも「疑問にこたえる検証を」という社説は読ませる内容があるだけに、特派員が達意の文章を書けていないのが最大の問題ではないかと思う。読者に誤読が起こらないように、「達意の文章」を書くことはきわめて重要だ。

 「正論」3月号に、今年1/8の元朝日植村隆による「名誉毀損」での、文藝春秋と西岡力に対する告訴を受けて書かれた、西岡力「なぜ<言論>に背を向けるのか、私を訴えた植村隆・元朝日新聞記者へ」という植村批判論文が掲載されている。
 朝日「第三者検証委員会」報告書、植村が1991年夏に大阪社会部からわざわざ金学順の証言テープを聴くためにソウル支局に出張したいきさつ、金学順が「連行された」のではなく、芸者(キーセン)置屋経営の義父に連れられて満州に行き、そこで別の慰安所経営者に売り渡されたことを1991/12/5には日本政府相手の「国家賠償訴訟」告訴状で知りながら、12/25朝日記事では、そのことに触れなかったこと、この記事は「植村の売りこみ記事だった」という当時の担当デスクの証言、植村は訴訟原告の一人である義母が遺族会幹部であることを社には隠していたという事実。これらを多数の新聞記事や関係者の証言から明らかにしている。

 問題の1991/8/11の植村記事前文(リード)、
<日中戦争や第二次大戦の際、「女子挺身隊」の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた「朝鮮人慰安婦」のうち、一人がソウル市内に生存していることがわかり、「韓国挺身隊問題対策協議会」(伊貞玉・共同代表、16団体約30万人)が聞き取り作業を始めた。>

 この文章は「朝鮮人慰安婦」という集合がまずあり、それが女子挺身隊という名前で戦場に強制連行されたことを述べている。
 ついでその集合のなかに「ソウル市内に生存する一人がいる」ということを述べている。
 この「一人」が母集合に属する限り、この個人にも「強制連行や売春強制」を証明する事実(少なくとも本人の証言)がなければならない。それを取るのが記者の仕事だ。
 ところが金学順は「親に売られた」とは述べているが、「女子挺身隊の名目で連行された」とは一度も述べていない。

 これは要するに、植村は義母を支援するために捏造記事を書いたか、言葉足らずの記事をかいたかだが、名誉毀損で告訴後の記者会見で、彼が再三強調・弁解したことは、この「連行」は「だまされた」という意味で、「今考えればもう少し書いておけばよかったかなと思うぐらい」だそうだ。
 謝罪したくないからこう述べて、それで世間が許してくれると思っているのだろうが、書いた文章が読者に誤解されたというのなら、「達意の文章」が書けなかったということで、記者失格である。

 「連行」が物理的強制力を伴うもので、「だまされる」は詐欺と同じで強制力を伴わない。この程度の違いは中学生でも知っている。
 植村を記者として採用した朝日や講師として雇っている札幌の大学は、この問題をどう考えているのだろう。大学ではどうせ「ジャーナリズム論」か何かを講義しているのだろうが、この程度の学力で、この大学では教師が務まるのであろうか?
 裁判に訴えられた以上、西岡の言論による植村追求はおさまらないだろう。私には植村隆が自分の墓穴を掘ったとしか思えないのだが…。
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