ある宇和島市議会議員のトレーニング

阪神大震災支援で動きの悪い体に気づいてトレーニングを始め、いつのまにかトライアスリートになってしまった私。

【独創?】難波先生より

2014-02-10 09:11:44 | 難波紘二先生
【独創?】1953年にヒラリーとテンジンがエヴェレスト初登頂を果たした後、数年して中国政府が「別ルートでエヴェレスト登頂に成功した」と発表したが、西側世界は信じなかった。公表された登攀日誌があまりに雑で、実際に登ったのなら当然あるはずの、意味のない細部の記録が欠けていたからである。
 ヴァカンティ教授は痲酔学が専門で、再生医学を手がけている変わった人だ。ヌードマウスにヒトの耳を生やす実験で一躍有名になった。1997年にはマサチューセッツ医大にいた。
 http://en.wikipedia.org/wiki/Vacanti_mouse
 2/6の「毎日」が「暮らしナビ・科学」という欄で「海越え連携 STAP細胞」という特集を組んでいるが、読めば読むほど疑問が湧いてくる。
 ヴァカンティ教授は2001年に「生体内には強い刺激に耐え、組織の再生に寄与する小さな(幹)細胞が存在する」という仮説を論文として発表したが、誰にも信用してもらえず、自分でも証明できなかった。それはこの論文であろう。
 http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/11135375

 この「細胞生化学(J. Cell Biochem.)」雑誌に発表された論文では、「それぞれの組織には固有の直径5ミクロン以下の小さい<芽胞様細胞>が存在し、組織の再生の必要が生じるまでは休眠状態にある。この細胞は酸素需要度も代謝率も低く、実験用動物が死んでも数日間は生きているし、凍結させて-86℃まで冷やしても、85℃, 30分間熱しても死なない。形態学的には核がほとんどを占め、少量の細胞質と少数のミトコンドリアを有する。細胞質にPAS反応とムチカルミン反応が巣状に認められ、糖脂質とムコ多糖類の存在がうかがわれる。これらの細胞を分離し培養すると、それらが得られた元の組織に類似した分化傾向を示す。よってこれらの細胞は組織再生能力をもった細胞だと考えられる。」と述べている。
 「毎日」の記事では極細ガラス管の直径が「0.05ミリ」となっている。1ミリは1000ミクロンだから、これでは50ミクロンとなり、ヴァカンティ教授のいう「5ミクロンより小さい」に矛盾する。一体、ヒトの上皮細胞の直径が20ミクロンであり、赤血球の直径が8~10ミクロンであるから、小保方さんが50ミクロンの細管をマウスのリンパ球にストレスを与えるのに使ったとすれば、それはデタラメである。他方で、「科学環境部」の記者が3人も名を連ねて、50ミクロンと5ミクロンの違いがわからないとは思いたくない。
 
 このヴァカンティ論文を読み、メディアが報じる小保方さんの研究内容を見ると、独創的なところはどこにもなく、ただひたすら彼女はヴァカンティ教授の説を証明しようと努力しただけのように思える。そして昔のある事件がオーバーラップしてくる…

 昔こんなことがあった。1970年代の初めだ。イスラエルのポラックという研究者が「T細胞とB細胞は走査電子顕微鏡で区別が付く」という説を唱えた。T細胞は表面がスムースなのに対して、B細胞は多数の絨毛状突起を出しているから、走査電子顕微鏡で見え方が違うというのだ。当時は免疫学的な手法を用いないと、両者の区別が付かなかった。そこで世界中の形態学者が飛びついた。
 留学していた研究所でも、向かいのラボにいたある研究者Rがこの追試をしようとしていた。なかなか良い結果が出て、ポラックの研究を再現できそうだった。が、そのスマートな男は考えた。「データが良すぎる…」
 実験を実際にやったのは若い可愛らしい女性で、大学卒で医学部に進学希望だった。アメリカの医学部には入試はない。みなAO入試で、ボランティア活動とか研究室での実験経験とかが評価対象になる。
その女性Sはそういう目的で来たのだが、途中で独身のその研究者に惚れてしまった。そこでネガティブ・データにならないように、望まれる結果がでるように、意図的な操作を加えていたのだ。
 通常、ネガティブ・データは論文にならないから、徒労として研究者は嫌う。
 血液のサンプルからリンパ球だけを回収したら、それを二分し、一方は免疫学的操作によりT細胞とB細胞の比率をカウントする。他方は固定液を流し込み、走査電子顕微鏡用の標本を作る。
 本来の実験は、T/B比率を知らないままで、電子顕微鏡でランダムにリンパ球を100個撮影して、平滑細胞と絨毛細胞の割合を調べ、それが免疫学的T/B比率と合致するかを調べる。ところがSはこっそりノートを見て、比率を知った上で、それに合うように写真撮影をしていたのである。
 サンプルを2分した後、番号を変えて、電子顕微鏡サンプルとT/B比率データの対応を隠すと、形態学的な差と免疫学的特徴との関連性は消失した。
 この経験はRにとって相当衝撃的だったらしく、彼はその後血液病理学の研究から遠ざかった。Sが解雇されたのはいうまでもない。Sのその後は知らないが、Rから高評価をもらえなかったから、たぶん医学部入学はダメになっただろう。

 せっかくの「毎日」の特集だが、何度読んでもどこに小保方さんの独創性・革新性があるのか、縁もゆかりもない他者により実験の再現が行われたのか、さっぱりわからない。
 信じたくはないが、ネット上にはこんなうがった意見も出ている。
 http://quasimoto.exblog.jp/21631401/
 まあ、これももうしばらく、様子を見ることにしよう…
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1 コメント

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【独創?】難波先生より (一色 浩)
2014-04-13 06:14:38
この”T細胞とB細胞は走査電子顕微鏡で区別が付く”というエピソードには、3人の人物が登場します。イスラエルのポラックという研究者、研究者Rおよび若い可愛らしい女性Sです。ポラックをバカンティ教授、研究者Rを理研副センター長の笹井氏、若い可愛らしい女性Sを小保方さんとすると、STAP細胞の場合と完全に同じ構図になるような気がします。研究者Rに気に入られたいという女性Sのデータ捏造の動機はから考えると、バカンティや笹井氏に気に入られたいという気持ちが小保方氏に強くあったことを想像させます。

その後、研究者Rは血液病理学の研究から遠ざかり、女性Sは解雇されたと言う事ですが、笹井氏や小保方さんの将来を暗示しているのかも知れません。

文化の形態を論理型と情緒型とすることが可能とすると、欧米の文化は論理型で、和歌、俳句、狂歌、川柳に代表される日本文化は極めて情緒的なものである気がします。第二次大戦末期に日本人はこぞって「神風が吹く」と信じて、戦争終結が遅くなり。多くの若い人命を犠牲にしました。何故でしょうか? 「神風が吹く」と言われると情緒的な日本人は反論できません。「STAP細胞は人類を救う」と言われると、我々は反論のエネルギを失ってしまいます。「論理的に成り立たないことは絶対におかしい」とは言えなくなってしまいます。「敗戦」を「終戦」と呼ぶのも根っこは同じでしょう。

文化のあり方として、情緒的文化には大いに良いこともあります。しかし、自然科学では、論理を情緒の上に置くべきではないと思いますがいかがでしょうか?

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