ある宇和島市議会議員のトレーニング

阪神大震災支援で動きの悪い体に気づいてトレーニングを始めいつのまにか、トライアスリートになってしまった私。

【違和感】難波先生より

2014-02-20 18:49:03 | 難波紘二先生
【違和感】
 2/3のメルマガでこういう感想を書いた。

 「この研究を行った女性研究者はどういう人物か:
 <早大理工学部にAO入試の第1回生として入り、応用化学を専攻し、大学院では海洋微生物を研究、その後東京女子医大で細胞培養の技術を一から学び、昼夜問わずひたすら実験に取り組んでいた。>
<理研の笹井芳樹・副センター長は「化学系の出身で、生物学の先入観がなく、データを信じて独自の考えをもっていた。真実に近づく力と、やり抜く力を持っていた」と分析する。大和雅之・東京女子医大教授は「負けず嫌いで、こだわりの強い性格」と話す。その後、半年の予定で米ハーヴァード大に留学した。その後、2011年に理研に就職した>(「朝日」1/30)
 ここから浮かび上がる人物像は、高校で化学は勉強したが生物学は勉強しておらず、AO入試で学力よりも意欲などの人物重視で大学に入り、細菌培養から細胞培養へとひたすら実験をしていた、というものだ。」

 「Obokataという姓でNIHのPubMedを検索すると、50近い論文がヒットするが、大部分はA, J, T, Nというファーストネームの研究者。H.Obokataではたった7本しか引っかからない。うち筆頭論文は2本だけだ。(Nature論文はまだ入力されていない。) 今までは「下働き」的な研究で、自前でやった研究の論文がいきなりNatureに2本も同時掲載されるというのはきわめて珍しい。」

 多くの人が人物評として、「負けず嫌いで、こだわりの強い性格」、「昼夜問わずひたすら実験に取り組んでいた」、「熱心だった」と指摘するが、研究の手順が鮮やかだったとか失敗がなかったとか、研究者としての才能のひらめきを示唆するコメントはまったくない。
 疑惑が報じられてから行われた「産経」のこのインタビューではわざとポイントが報じられていないようだ。
 http://sankei.jp.msn.com/science/news/140217/scn14021708100002-n2.htm

 「ネイチャー」誌の取材に対して、山梨大学の若山教授は「理研にいる頃、小保方の指導を受けて自分のチームが1回だけ再現実験に成功した。しかし山梨に移ってからは、実験を再現できていない」と語っている。つまり、小保方がそばにいないと実験は成功しないということだ。
 「実験は◯◯が行う時だけ成功することが多く、彼がいないと再現されない、という事実に同僚たちは気づき始めた」という一文を思い出した。
 NYTの科学部記者、W.ブロードとN.ウェイドの共著『背信の科学者たち』(講談社学術文庫)における、1981年コーネル大学で発覚した「スペクター事件」の説明にある。
 エフレイン・ラクール(68)という老生化学者の教授の下で、シンシナチ大学という田舎の二流大学から来たマーク・スペクターという24歳の大学院生が、「がん細胞ではATPアーゼという酵素の活性が正常細胞より劣っている」という教授の理論を、一連の実験により美事に実証した。
 このATPアーゼはがん細胞では燐酸化されて、活性が落ちており、この燐酸化は4種類のタンパク質キナーゼの連鎖反応(カスケード)を受け、4番目のキナーゼがATPアーゼを燐酸化するというのである。
 さらに当時実証されていたウイルスのがん遺伝子srcはタンパク質キナーゼの遺伝子だが、この遺伝子は正常の細胞内でカスケード反応に関与するタンパク質キナーゼを作っているという証拠をつかまえた。
 これでウイルス感染と発がんの理論が統一的に説明されるので、「ラッカー・スペクター」理論はノーベル賞に値すると大反響を呼んだ。
 一連の実験でスペクターは、タンパク質分子を識別するのに「ウェスタン・ブロッティング法」というラジオアイソトープを標識として用いる電気泳動法を駆使した。電気泳動というのは、サンプルを載せた泳動用の培地=ゲルを陽極と陰極の間に置くと、タンパク質分子は分子量と表面の荷電に応じて、二次元に展開する。
 レーンを2本用意し、片方にアイソトープでラベルしたサンプルを置き、片方にこれから抽出すべき資料を置く。泳動後、写真フィルムを当てて感光させ黒いバンドの位置からサンプルがある位置を割り出し、それに相当する2本目のレーンからゲルを切り出し、タンパク質を回収する。
 研究はこの繰り返しである。普通、ボスが見せられるのは感光後に現像したフィルムである。標識にはP32が用いられた。
 スペクターが、コーネル大学の別の生化学教授ヴォークトと共同研究した時、事態が変わった。彼は「なぜスペクターでないと実験を再現できないのか」と疑い、泳動を終わった元のゲルそのものにガイガーカウンターを当てたのである。すると音が違った。
 P32はベータ線を出す。ところが音はガンマ線の音だった。つまり標識にはベータ線以外にガンマ線も出すI-131が用いられていたのだ。つまりスペクターは、問題のタンパク質がどの位置にバンドを出すべきかを決めて、用意した標準タンパク質からそれに合うものを選び、標識しやすいI-131で標識した後、電気泳動にかけていたのである。

 その後行われた身元調査で、スペクターには学士号も修士号もなく、学歴詐称をしていたこと、約5000ドルの小切手2枚を偽造した前科があることが判明した。
(このDr. Laquerは、私がNCIに留学していた頃に、一度会ったことのある人物だと思う。ユダヤ系のドイツ人で、アウシュビッツを生き延びた人だった。当時はNCIのラボにいて、その後コーネル大学に移動したのかも知れない。)

 <嘘がばれたときに大きなリスクを負い、かつすぐばれる嘘をつく 人間はいない。>と2Chである人物が断言していたが、「捏造者」にとって「ばれる」不安は回を重ねる毎に薄らいで行くのが普通で、次第に大胆になる。だから発覚した時には、捏造行為をずうっと過去にさかのぼって確認できる、「常習的捏造者」であるのが普通である。
 28年間にわたり、旧石器時代の地層に縄文石器を埋め込むことにより「旧石器遺跡」を捏造してきた藤村新一がその典型例だ。しかし、常習的捏造者の動機や心理についてはほとんど明らかにされていない。

 <ハーヴァード大学の共同研究者がいるのだから信頼できる>という意見もネットで見かける。ハーヴァード大学が世界で最もレベルの高い、信頼されている大学だというのはその通りだろう。
 しかし、1980年に発覚した「ジョン・ロング事件」では、捏造を行ったロングはハーヴァード大学医学部卒で、マサチューセッツ総合病院に勤務する病理医の助教授だった。彼はこれまで誰も成功したことがない、ホジキン病患者の腫瘍から立て続けに4株の培養細胞株を樹立し、脚光を浴びていた。
 データの書き換えに気づいたラボの技師の内部告発により、病院が調査委員会を設置して調べたところ、4株のうち3株の細胞はヒト由来でなくサル由来の培養細胞であり、残り1株はヒト由来だが摘出された患者脾臓には腫瘍がなく、由来不明とわかった。
 (培養細胞が汚染により他のより増殖能力の高い培養細胞にとって代わられることは、ヒーラ細胞の場合はよく知られている。)
 アメリカの科学研究費は研究室の維持費、人件費にも充てられるのが普通で、当時ロングはNIHから1976~79年分21万ドル、1979~82年分55万ドルの科研費支給が決まっていた。
 この2回目の科研費申請がパスしなければ、ラボを閉鎖しなければならないかもしれないというプレッシャーが、審査員に「有望な研究」と信じてもらうためにロングをデータ捏造に走らせたのだ、といわれる。
 事件発覚後、ロングは数値データの捏造を認め、病院を辞職した。NIHは今後ロングに科研費を支給しないことを表明した。科学界を追放になったロングは、中西部の田舎町の病理開業医に転じた。
 (この事件がロングの特異的な性格とからんでいたことは、それから10年ほどして、今度は彼が自らの病理診断が医療過誤として訴訟の対象になることを怖れて、過去の病理診断書を改ざんした事件が起きて明らかになった。
 ロングはこれですでに追放されていた科学界からだけでなく、医師免許抹消の処分を受けてアメリカ医師会からも追放された。)
 ロング事件では汚染事故による培養株の置換というアクシデントと意図的なデータ改ざんとが混在しており、スペクター事件のような一貫した作為性はないが、ハーヴァード大医学部卒の「超エリート」が引き起こしたものである。だから「ハーヴァード大がからんでいるから」と過度な信用を寄せるのは禁物なのだ。
 理化学研究所では2004年12月に研究員二人が、「血小板の形成メカニズム」に関してデータの改ざんを行い、米科学誌に3本の論文を発表した事件が起きている。この事件後、理研は所内に「監査・コンプライアンス室」を設置し、日本の研究機関としては最初に不正防止措置を取っている。今回の疑惑でも、ここが直接の調査を担当しているとみられる。

 「ネイチャー」第1論文のDNA電気泳動の写真(レーン3)に「Germline=GLのバンドがないのはおかしい」という意見がメールで寄せられた。「はめ込み」ではないかという疑惑が生じている問題のレーンだ。
      
 確かにレーン1(ES細胞)、レーン2(線維芽細胞)、レーン4, 5(培養で得たSTAP細胞)にはGLのバンドがあるが、レーン3(マウス脾臓から採取したT細胞)にはない。論文のテキストにあるように脾臓T細胞のDNAを抽出し、そのまま電気泳動にかけたのなら、再構成したT細胞受容体の遺伝子DNAだけでなく、再構成していない他の遺伝子DNAも含まれているから、当然GLバンドが出ないとおかしい。
 (しかし、これがあると免疫遺伝子の再構成を知らないレフェリーや知識のない読者を混乱させる恐れがあるのも事実だろう。
 事実「補強データ図2」として論文1に付加されている図集では、このような電気泳動写真が掲げられている。



ここでは「リンパ球」のところにGLがはっきりと認められる。が、レーン2と3は同じ画像でレーン2のGLの白いバンドは手書きで加筆したものだ、と思われる。)

 そうするとこういう可能性は考えられないだろうか。
 こうしたトラブルを回避し、「T細胞の遺伝子はすべて再構成している」(すなわち末梢細胞へ分化している)ことを強調するために、電気泳動後のゲルからGLの箇所を切り落としてDNAを回収した。それをPCR法で増殖し、再電気泳動を行えば、レーン3のパターが得られ、GLバンドは消失する。(これだと回収したT細胞の中にすでに「小型幹細胞が含まれていた」という批判をかわせる。)
 ついで新しいレーンの写真を画像処理により図iの本来のレーン3の位置にはめ込んだ。

 この解釈だと、レーン3にはめ込みを思わす不自然な直線があることと、レーン3にあるべきGLバンドが欠けていることが上手く説明されるように思う。
 確かにこの図1-iは、著者らの主張「脾臓のT細胞は遺伝子再構成を起こした細胞で、それを弱酸処理後に培養すると7日目に幹細胞が出現してくる」を、眼で見て分からせるには有効である。
 しかし局地的には説得力があるように見えるこの図は、全体の見取り図の中ではより大きな矛盾を生みだす。そのことに著者らは気づいていたのだろうか?
 挿入された(と思われる)レーン3の細胞を出発点にすると、この細胞の遺伝子はすべて再構成していてGLがないから、他のいかなる細胞の母細胞になることもできない。レーン2の線維芽細胞が増殖できるのは、GLのところに必要な全遺伝子がそろっているからだ。
 ところがレーン4,5(培養7日目、独立した二つの実験とある)ではレーン3になかったGLバンドが出現している。一体この新しい遺伝子群はどこから来たのか?再構成したT細胞受容体β鎖遺伝子しか持たなかった細胞が、どうしてこのような遺伝多様に富む細胞に変化するのか?

 外部専門家をふくめた理研の調査は2/17月曜日から開始されたが、2/18火曜日には「ネイチャー」が誌上で「調査チーム」の立ち上げを報じた。2/19水曜日夕刻の「毎日」は早稲田大学が小保方の学論文の調査を開始したと報じている。
 http://mainichi.jp/search/index.html?q=stap細胞%20%20調査&r=reflink
 ヴァカンティ教授が所属するハーヴァード大学大学院は彼の過去論文などの調査を開始すると2/20「毎日」が報じている。
 http://mainichi.jp/select/news/20140220k0000e040231000c.html

 「ネイチャー」小保方の生データの提出を求めているという。これが引き渡され一般に公開されると、たぶん問題は一挙に解決するだろう。
 遺憾ながらネイチャー調査チームが結論を出した後で、3月になって理研調査委員会が別な結論を出しても世の中は信用しないだろう。理研が独自に早急に結論を出し、その後からネイチャーの結論がそれを裏づけるという展開が望ましい。

「ネイチャー」1/30号の第1論文を見ると、8人の著者がいる。
(Obokata H, Wakayama T, Sasai Y, Kojima K, Vacanti MP, Niwa H, Yamato M & Vacanti CA)
 うち日本側の「上級著者(シニア・オーサー)」は東京女子医大の大和雅之教授、ハーヴァード側はC.A.ヴァカンティ教授となっている。他にハーヴァード側は小島こうじ、と小保方晴子(これは給料が一部ヴァカンティから出ていたためだろう)にMP Vacanti。これはCA ヴァカンティの弟で、今はカンザス州の陸軍病院で病理医をしている。
 論文執筆者は小保方とYoshiki Sasaiが担当したとある。
 実験を担当したのは、小保方、若山照彦、笹井Yoshihiko、移植実験は小島が行った。
 小保方、若山、笹井、丹羽、CA Vacantiは実験計画を立てた。
 MP Vacantiと大和は実験計画とその評価に協力した。
 それぞれの分担について論文には以上のように記載されている。

 ヴァカンティの仕事はハーヴァードではまったく評価されていなかった。が、2008年、小保方が留学し、研究に進展がみられた。しかし相変わらず他の幹細胞研究者はヴァカンティの研究を受け入れようとしない。
 そこで2010年に、フロリダで開催された学会で女子医大の大和がヴァカンティと小保方に会った時に、「細胞分離の過程が幹細胞を作り出している可能性があるから、自分のラボに戻って、それを追求したらどうか」という提案を行い、小保方が帰国したとBoston Golobe紙のキャロライン・ジョンソン記者は2/2付紙面に書いている。
 その後、東北大震災が起こり、小保方は理研の若山と共同研究するようになり、2012年4月ネイチャー誌に論文を投稿されたが、これはリジェクトされた。
 「若山のような幹細胞研究のトップにいる研究者と共同研究することは、仕事の信頼性を増す上で決定的に重要だ」と同記事で、ボストン小児病院のD.Q.ディリィ博士が述べている。

 以上が、今回の論文(2013/3投稿、2013/12受理)が発表されるまでの背景である。
 要するに受け入れられなかったVacantiの2001年論文では、「すべての組織に微小な<芽胞様細胞>が存在していて、これが多潜能幹細胞である」と主張していた。2008年にVacantiのラボに留学した小保方は、つぎつぎにこれを実証する実験を行った。
 「抽出操作で多潜能幹細胞が活性化される」という新たな仮説を証明すべく日本に戻った小保方は、理研の若山照彦を共同研究者に巻き込み、2012/4にネイチャーに論文を投稿したが却下された。以後、クレームが付いた箇所を追加実験棟で修正し、2013/3に再投稿し今回の発表論文になった。
 これ自体は、事実経過として何も不審な点はないのだが、「天才科学者」としての小保方のひらめきのようなものがどこにもうかがえない点に違和感を覚えるのは私だけだろうか…
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