この懐かしき本たちよ!

まだ私の手元に残っている懐かしい本とそれにまつわるいろいろな思い出、その他、とりとめのない思いを書き綴りたい。

#67ハンス・カロッサ著「美しき惑いの年」Ⅲ(かくして本を獲得)

2005年04月23日 | ドイツ文学
(#66よりつづく)約束の時間から20分ほどたって誰もいないうす暗がりの公園に遠くに自転車のヘッドランプが一つ見えて来た。そしてこちらの方に近づきて来た。そして私達が座っているのを見つけて自転車は止まった。一人の女性が自転車から降り立った。

前に会ったときにいたもう一人の女性が都合が悪くなったので、自分も来るのはやめようかと思ったけど、もし待ちぼうけをさせては申し訳ないので自分一人で来た、と私達に説明した。そしてすぐに帰らなければならないのだと言った。

それはそうだろう。女の人一人で夜中私達と話しているわけには行かない。

私はOさんを彼女に紹介した。そしてすぐに彼女は自転車で帰って行った。

Oさんは黙ったままでいた。

寮に帰るとOさんが私に好きな本を取れという。

私は、自習室のOさんの机の上にある本棚で目をつけていた、岩波文庫のカロッサの「美しき惑いの年」が欲しいと言った。Oさんは私に「下さった」。

これが私の持っているカロッサの「美しき惑いの年」である。

その女性とはその夜以来会っていない。住所や電話番号などお互いに知らせあったという記憶もない。

しかしその女性には感謝している。よくぞ、暗い夜に誰もいない公園に約束を守って現れて来てくれたものだと思う。普通ならもう一人の女性が都合が悪くなったらその程度の約束ならすっぽかしてしまうだろう。

彼女が来てくれたおかげで私が嘘を言っていたのではないということをOさんに証明できた。そうでなければ、私は嘘つきということになっていただろう。

変哲もないような岩波文庫のカロッサの「美しき惑いの年」には、こんな思い出がこめられている。
その本がどこに行ってしまったのか。今探しているところだ。
見付かったたら、画像を付け加えることにしよう。

優しい上級生だったOさんのこともいろいろ思い出した。Oさんのことはまた書くことにしよう。

あの時の女性はどうしているだろう。もう70歳ぐらいの老婦人になっているはずだ。あの時のことを覚えているだろうか。

私も、この本がなければ、あの夜のことはすっかり記憶の外に消えてしまっていたかもしれない。

古いことを思い出しているとはっきりと覚えていることと、うっすらと覚えているが、本当にそうだったのかどうかはっきりしないものがある。

この話では、Oさんが一緒に深大寺公園に行ったのか、それとも寮の同室の誰かが私と一緒に行ったのかがどうもはっきりしない。しかしいずれにしても、私の話が作り話ではなかったということをOさんが納得して、Oさんが私の求めるままに自分の持っていたカロッサの「美しき惑いの年」を私に「下さった」のは確かな事実だ。

Oさんは、最近自分でもEメールを始めたと今年の年賀状に書いておられた。

私達の昔の「美しき惑いの年」について、Oさんとお話して見たいと思う。
                                      (おわり)

*画像はバンクーバー、スタンレイ・パークの紫陽花(2003年7月筆者撮影)
   (あのときの深大寺公園にも紫陽花が咲いていたであろう。)



                                   

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