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ショウ頑張れ!保護された小さなショウの猫白血病物語

横浜元町で保護された小さなショウ。猫白血病と闘う小さなショウの物語です。

9/1 ショウが主人公の物語~2009年-2Part4

2009年09月01日 09時13分01秒 | ショウと私のあれこれ

ごめんね。ママ。
私の体はウイルスに侵されて、あちこちつらくなってきた。

お熱が下がらない私にママはいろんなものを買ってきてくれた。
いつも行く病院ではつらそうだからって、近所の病院を探して
連れて行ってくれた。
ママは、良くなるどころか、悪化していく私を見ては心を痛めていた。

強制給餌、私も嫌がったけど、それよりいやだって言ってる私に
無理やりする事がつらくて心が痛いって事、私知ってたから
我慢したんだ。


もう寝てるだけしか出来なくてなって。
ママは心配そうに見つめていた。
ここに水を運んできてくれたり、スープを持ってきてくれたり。
そんなママの優しさが有難かったから、私は必ず一口、口付けたんだ。
ママの少しでも喜ぶ顔が見たくて。

この夜、ママは、パソコンでブログ書いてたね。
本当は泣いてるのに、ひっそり静かに肩を震わせていたの知ってるよ。
だから、ゴロゴロって言った。
ママ、泣かないで。泣かないでって伝えたくて。

ママは驚いて私を振り返って
また、泣いて、「ショウちゃん、ごめんね。泣き虫でごめんね」って撫でてくれた。

でも、ごめんね。ママ。
私の体はもうもたなかった。
大好きなママに体を預けて、私はこの体と別れを告げた。
ママは抱きしめて「イャーーー」って泣き叫んだ。

ママ、ごめんね。ごめんね。
ママがこんな風に泣くの分かってた。

ママはまるで人形みたいに動きもしないでお通夜の間中私の横で
固まってたね。
ショウちゃん、ショウちゃんって何度も言って
起きてよ、起きてよ、起きてよって泣いて叫んで

ごめん。ママ。起きられないんだ。
私だって、ママといたかった。
ママの傍にもっといたかった。

そしてママは私の声を聞き入れる「無念」だって言葉を。
「すぐ帰るから」そう聞き入れる。

それでもママは冷たく、固くなった私を抱きしめて棺に入れたくないと
おお泣きした。

一緒に行った、花屋のおばさんとママのママが選んでくれたキレイなお花で
私を飾って、ママは泣いて泣いて、私をここに入れた。
ママの心なんか言葉にしなくてもわかっているよ。

これを見てる人も目をそらさないでください、
私が幸せに生きて、愛されて終わった大切な記録なんです。

ママは私にお花のドレスを着せてくれました。
おやつも、おもちゃも、母の写真も、ママの写真も持たせてくれました。

でも、ママ、私はそこにはもういないんだよ。
ママの傍に今もいるんだよ。

ママは何十分もお寺で手を合わせて泣いていた。
ママ、ママが私と別れがつらいように、私だって辛いんだから。
ママには見えなくても私は、ママの傍にいる。
次に転生してママに会えるまでママの傍にいる。
忘れないで。
ママ、忘れないで。

だから、ありがとうって言って。
そしてまた会いに来なさいって、昔みたいに強く言って。

火葬の時、ママが火葬の扉に今に走ってきて

「やめてーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー」って
言うんじゃないかって思ってた。
ママは唇を噛んで下を向いて震えていた。

だけど小さな声で「いやだ、いやだ。いやだーーーーーーーーーーーーーーーーーー」って
ママは言ってた。

私が空に瞬く一番星になった日
ママ私を見つけてくれたね。
あれは、ショウだって。

ママの心は切り刻まれてるから、私は傍にいる。
笑えないママ。
涙が枯れ果てないママ

ママは誰とも私の話を出来なくて、一人で膝を抱えて泣いている。
そんな日がもう何日も続いている。

あなたが帰ってこないなら、ママがそっちに行こうかなって
ママが心で思ってる。

ママはお酒なんか飲まないのに、最近、少しだけ飲んでいる。
心が痛くて痛くて仕方ないんだね。

保護しなきゃ生きられたかもしれないって言われて
更に胸を痛めて、泣いていた。
ママにそんな事を言わないでよ。
ママをこれ以上、苦しめないでよ。

ママは私を愛してくれた。
ママは私の為にこんなになるまで泣いている。
そんなママを傷つけないで・・・

ママは何かを整理するみたいに
アルバムを必死で整理する。
私がお世話になったHお姉ちゃんに連絡をしてる。

小さい頃、面倒みてくれてありがとうって言って。
Hお姉ちゃんは、私がママの所にいて幸せだって思いますって
言ってくれて、誰にも私の事を話せないママの話し相手になってくれた。

多頭飼育での白血病キャリア同居を
あちこちで反対されたママ。
唯一、背中を押してくれた横浜市でも有名なボランティア団体の
Yさんに、ママはお礼状を送った。

私の背中を押してくれなかったら私はこんな艶やかな日々は送れなかった。
本当にありあがとうございました。

そうママは伝えた。

コナン兄ちゃんとコウ兄ちゃんの事まで知り合いの人に頼んだ。
私にもしもの事があったら、この子たちをどうかお願いしますと
ママは頼んだ。

ママは暗い海の底にいる。
ママ、ママが死んじゃったら、ショウは何処に帰ればいいの?



9/1 ショウが主人公の物語~2009-1~Part3

2009年09月01日 08時41分34秒 | ショウと私のあれこれ


今年もママと迎えた。
ママは痛いくらいに抱きしめて、「ありがとう」って何度も言って
ママは泣いた。

私の前でママは泣き虫。
外で強くいるから家では一人で泣いていたんだって。
今は一人じゃないって私を抱きしめて泣いた。

外に出たくてドアの前に陣取って「パムーパムー」って泣いた。
いつもママが開けてくれた。

「行ってらっしゃーーい」って。

そんな当たり前の日々の中、蘭姉ちゃんが死んでしまった。
ママは、蘭姉ちゃんが死んだ夜、自分の頭をぐーで何度も叩いてた。
そして大声で泣いた。
私は驚いて、ママの足もとにそっと寄り添うしか出来なかった。
ママのママが「蘭は、あんたをショウちゃんに預けて自分の役割は終わったから死んだ」って
そう言った。

ママは益々、暗い海に沈んでいった。
私がいなければ、蘭姉ちゃん、生きてたの?
そんな問いかける目に気がついたの?ママは
「違う。違う。そんな事、絶対に違う。ショウはここにいていいの」
そう言いながらもママは後から後から流れる涙を止められないでいた。

そして蘭の分まで長生きして。
そう私に行った。
でも、私の体は徐々に低下していたんだ。

外猫のチョビたちにもお家を作ってあげたり。
二人は冬はこうして暖かい場所で眠っていたんだって。
「誰かだけ幸せになって、誰かが不幸じゃいけないんだよ」って
ママは言っていた。


大好きな鳥さんのビデオを見た。
食卓は私以外が乗ると、とっても怒られるんだけど
私が乗っても怒られない。

そしてママと行った、花見。
桜は優しい色で風に吹かれてた。
風は自然の匂いでいっぱいで
知らない場所は怖かったけどママの抱っこだから
怖くない。

ママとの約束、果たせたね。


弟の真央を連れて行き、大暴れで噛まれて全治二週間。
ママのぐるぐる巻きの手が怖かった。

そしてママは初島の猫問題に取り組みだした。
ショウだけが幸せになってはいけないんだって言ってた。

そんなママだから私は、雨も風も暑さも恐怖も、飢えも知らず生きてこれた。
ママに言えるよ。ありがとって。大すきだって。


9/1 ショウが主人公の物語~2008Part2

2009年09月01日 08時11分19秒 | ショウと私のあれこれ

何度か色んな場所にママと抱っこで行った。
だいたい、分かってきたけど、まだ一人でお部屋を出る勇気がない。

ママは、ドアを開けて
「ショウちゃん!こっちおいで」って
私を呼ぶ。
私はモジモジ行ったり来たり。

ゆっくり慎重に探検しながら、進んでいく。
でもこの日は、怖いから、階段は上がらないで部屋に帰った。

ママが買ってきた猫草は、大好きで
むしゃむしゃ、コウ兄ちゃんと食べた。
ママは、最近、私に可愛そうにって泣かなくなった。

でも時折、悲しい顔をしていた。
人間は人間の事情で悲しくなるんだって知ったんだ。
だから、ママの涙を私は沢山、舐めてあげた。
大丈夫。ショウがいるよってママに教えてあげた。

言葉とは裏腹に心が泣いてるママを、こうして温めてあげた。
ママは「大丈夫だよ。大丈夫。ショウちゃんがいるからママ大丈夫」

そう言って、私を沢山抱きしめてくれた。
ママは私の前では沢山泣くんだ。
だから、泣いていたらケージから出してって夜頼んだ。

ママはこうして出してくれて、コウお兄ちゃんとママを守ったんだ。

みんなとも仲良くなった。
ママはどこに行ってもいいよって。自由をくれた。
嬉しかったからあちこちで眠ったり、あちこちでパトロールした。

それをママはうれしそうに見てた。

はじめて見た加湿器。
モクモクが一杯でみとれて顔を近づけすぎて濡れてしまった。
それをママは笑ってみてた。

ママのママに初めて抱っこされた。
緊張したけど、怖くなんてなかった。

ママはいつも言ってた「誰からも愛される子になるんだよ」って。
そうしたら、幸せになれるから。
ショウちゃんを苛める人が、もし現れたらママが守ってあげるから
大丈夫。大丈夫。ママを信じて。ね。

いつも些細な病気でママに面倒をかけた。
ママは心配でたまらない顔で、「大丈夫だよ。すぐ治る」
そんな言葉とは裏腹に今にも泣きだしそうな顔。


ショウちゃんのお母さん生きてたよって、ママに言われた。
でも、もう私はあんまり思い出せない。
ママは、ママだから。
ママは「薄情ものーーー」と怒ってた。

そして弟がいるって知った。
ショウより数美人さんだけど、やっぱりママはショウが一番可愛いと思う。
ショウは可愛い。
ママは一日一回は必ず言ってくれた。

可愛い可愛いって毎日言って、毎日抱きしめてくれた。

私もママが大好き大好きって応えたんだ。
ママがお出かけすると寂しいから、ずっと眠ってた。
コウお兄ちゃんはドアの前にいるけど逢えないし。

ママは、今年も行った。
来年も一緒だよって

私の体はやっぱり病に侵されてる。
ママの隣に来年の冬はいられないかもしれない。

ママといられるのが、こんなに幸せだったなんて
外にいたころ、分からなかった。

ママの傍に一日でも長く傍にいられるように
頑張るね。
ママが毎日言った、一日でも長く傍にいて
その願いに私、応えたいから。

私がいなきゃ、ママの心に降る雨を消し去る事できないからね。
ママは私に「あなたは真実を見せる鏡」だって。
意味は分からないけど、ママは私に「ありがとう」って言った。


9/1 ショウが主人公の物語~2007年~PART1

2009年09月01日 05時36分08秒 | ショウと私のあれこれ

以下は私(ショウママ)の希望的観測が含まれています。
そういうのが苦手な方は、ご覧にならないでください
 
ここでの私はショウを指し、ママはショウママを指し、母とはショウの実母を指します。

出会いは2007年7月7日
私は、ママの仕事場の前の駐車場で兄弟と母と遊んでいた。
いつもの様に一人で駐車場で誰かが来るのを待ってた。

ママは私を見つけると、近づいてきて
「かわいいね」って声をかけた。

知らない人。

でも、優しい目をして私を少し離れた所から見てた。
だから、私は「にゃん」って鳴いて、少しだけ近くに行った。
ママは「ごめんね。何も持ってない・・・」そう言っていなくなった。

すると10分もしないうちに、近所のスーパーで食べ物と紙皿を買ってきた。
「お腹すいてるのかな?食べる?」
そう言って、缶詰を紙皿に出してくれた。

それから、ママは私を「ショウちゃん」と呼ぶようになった。
お昼と夜とママは私を「ショウちゃーーん」と呼んで探していた。
だから、私は「あ!ママがきた!」って気がついて
急いでママのところに走って行った。

ママはいろんな事を話してた。
時々、悲しそうな顔をして私を見ていた。

「昨日の雨は大丈夫だった?寒かったね」
「今夜は雨が降るから、もう帰りなさい」
そして決まって言った。
「ごめんね。こんな所に・・・ごめんね」
目に涙をためて言った。

そしてHお姉ちゃんとママは仲良くなって、一緒に来ることも
よくあった。
ママにはあんまり近くまで行かれないけど、Hお姉ちゃんとは
仲良しだから、お膝に乗せられたカリカリを手をかけて食べたりした。

ママはいろんな人に、この子を引き取ってくれないか?
そんな話をしてた。
私は、よく分からないから、ただご飯を食べてた。

時々ママは、紙袋を寝かせて「ここに入って」
なんてした。
ちょっと気になって覗いたけれど、怖いから出た。

2007年9/25
町はチャーミングセールの真っ最中で大賑わいで
いつもと違う雰囲気が怖かった。
夕方、ママが何やら大きなものをもってやってきた。

いつもと違う、とってもいい匂いにつられて
入ってしまった捕獲器。

「お母さん!助けて!出して!殺されちゃう!」
そう泣いた。
ママは車というものを持ってきて私をそれに乗せた。

私の横にはママのママがいて、暖かくて
大きな網の箱の中で、ママのママの近くに行ってに寄り添った。

ママは何度も心配そうに「生きてるの?」
「大丈夫かな・・・怪我してないのかな・・・」
そう何度も言ってた。

そして知らない場所に連れていかれた。
「絶対、殺される!」
ありったけの抵抗をしたけど、ママは私を置いて
行ってしまった。

私は麻酔をされて避妊手術をされたらしい。
二日経って、ママがやってきた。
でも、もうママさえ敵に見えたから
ママにもお医者さんにもありったけの抵抗をした。

ママと先生が話してた。
「この子は白血病ですから・・・・やっぱり元に戻した方がいい」
そうママは言われて、大粒の涙をいくつもママは流していた。

・・・それでも、私にはこの子を離す事は出来ないんです。」
病気だって分かったら尚更、そんな事は出来ないんです
何度も、ママは泣いて「ショウちゃん、帰ろうね」
「おうちに帰ろうね」

そう言って、また車に乗った。
今度は籐でできたキャリーバックとやらに入れられた。

そのバッグごと、小さな檻のお部屋に入れられた。
キャリーバッグのドアをママが取ってくれた。
それも怖くて「シャーシャー」って怒った。

ママは「ショウちゃん、白血病って病気なんだよ
「長くは生きられないかもしれないんだって」
「可愛そうだね・・・可哀そうだね・・・」
ママは、また大粒の涙を流してた。

怖くて怖くて、でも、ママがいるからちょっと安心で
でもお母さんが、いないのが不安で知らない部屋が怖くて
毎晩、泣いた。

隣で眠ってたママは夜中に泣いても、起きてくれて
「大丈夫だよ。大丈夫だからショウちゃん寝んねだよ」
って毎晩、言ってくれた。


ママはいつでも私の傍にいてくれた。
ショウちゃん、ショウちゃん。って何度も声をかけてくれた。

そうか、ママの子に私なったんだな。

ママのお誕生日プレゼントに、私はゴロゴロをプレゼントした。
ママは泣きながら喜んで「ありがとう」って何度も何度も言った。

久しぶりに外をママが見せてくれた。
私は「出して。出して」って泣いた。

ケージから出て自由をもらったら、怖くてあちこち走ってみた。
カーテンをよじ登って、カーテンレールを走って
降りられなくなって、泣いた。

ママが助けてくれたんだけど、ママを蹴とばして引っ掻いて
ケージに入って怒った。

ママは「もう・・・ママのせいじゃないんだけど・・・」と笑っていた。
でも、ママの手は血だらけだった。


まだ触れるのが怖くて、縮こまってる私にママは触れてきた。
その手が優しくて、知らなかった人のぬくもりを知った
でも、やっぱり怖くて、そのあと、猫パンチして怒った。

怒ってるのに、ママは、カメラを持ってきて
「怒ってるショウちゃんも可愛いね」って写真を撮った。

ママは毎晩、沢山、泣いていた。
「病気からショウちゃんを助けてあげられない。ごめんね。ごめんね」
そう毎晩、泣いていた。

言葉の意味は分からないけど、ママは私に優しい人だって想った。
信じてみようと思った。

ママのお友達がくれた猫のぬいぐるみ。
大好きで、たくさん遊んだ。
夜、ケージで寝てる時はこれでいっぱい遊んだ。

ママが遊んでくれる時は、間違えてママのお膝に乗って、
びっくりしちゃって、逃げた。
そんな私にママは「ショウちゃんがお膝に乗った!!!」
そう言って嬉しそうに笑った。

寒くない。
雨は降らない。
車も来ない。
人に怒鳴られたりしない。

安心して私は眠った。
ママは、そっと部屋に入ってきて、それをずっと見てた。
だけど、ママは「ショウちゃん、なんて可愛いんだろうね」
そう言って泣いていた。

ママの涙を止めてあげたいけど、どうしていいか分からない。

ママが横になってるベッドに登って、ママを見あげてみる。
まだ怖いから足の所にそっと寄り添った。
ママは、やっぱり泣いていた。
「ショウちゃんね、白血病確定だって。悔しい」
そう言って、また泣いてた。


ママは私の頭を何度もなでてくれた。
もう私はママが撫でてくれるのがうれしくて、そのまま眠ってしまった。


知らない部屋に連れていかれて、外に置かれたケージに入れられた。
久しぶりの外の風、外の匂い、日の光。
嬉しいけど怖いから、ちょっと遊んで、出してって言った。

ママのお膝が一番、安心する。
だからママのお膝から離れない。

どこに隠れても、ママは私を捕まえる
でも、それはママが悪い事をするためじゃないって分かったから
抵抗しないで抱っこされた。

月に二回くらい病気になる私は、キャリーバッグが大嫌いになった。
でも、ママはいつも診察室で「大丈夫だよ。大丈夫。一緒にいるから大丈夫」
そう言って頭を撫でてくれた。
痛かったお腹も、よくなった。

一人でつまらなくないようにって、ママは色んなものを買ってくれた。
楽しかったから、ボロボロになるまで遊んだ。

ママは遊んでる私をいつもカメラを持って笑いながら写真を撮る。
ママにおいでって言われたら、私はうれしくて
ママのお腹の上に乗って、ママが大好きだから沢山毛づくろいして
眠ったりした。

初めて、コウ兄ちゃんに逢った。
コウ兄ちゃんは、私に怒ってたけど
私は遊んでほしくて、「遊んで、遊んで」ってお願いした。


ママは、いつもこうして傍にいてくれた。
時々、間違えてママを噛んだ。
ママの鼻を噛んで、ママは鼻から血が出てた。

ママはいつも私を腕に抱いてくれた。
私は嬉しくて、ママと一緒に眠った。

はじめてくるリビング。
コウ兄ちゃんは、他のお兄ちゃんやお姉ちゃんから守るみたいに
私の傍にいてくれた。
ママは、あの部屋から自由にあちこち行かせてあげようって
想っていたみたいだった。

ママが買ってくれたコタツは、とっても暖かくて
お気に入りでいつも寒い日はここか、ママの布団の中に入った。
ママは私がいないって驚いて探して、ベッドに手をついた。
私は「ふぎゅ!」って言った。

ママは笑って、「何隠れてんの???おかしいーーー」って
大笑いで私を抱きしめた。

まだまだ、お部屋以外はママのお膝が安心。
ママは、私を見て泣かなくなった。

「一日でも長く、傍にいてね」
そう沢山可愛がってくれた。

はじめての冬は暖かくて、愛してもらって
コウ兄ちゃんと沢山遊んでもらって
私、幸せだって思ったんだよ。

そして、ママは2007年のおわりに
言った。
来年も一緒にいよう。
一緒に桜をみようって言った。

うん。ママといるよ



8/24 ショウの夢

2009年08月24日 03時22分22秒 | ショウと私のあれこれ
昨日は、24時間眠ってしまう眠り姫状態となっていた私。
母心配そうに部屋にやってきて「・・・・大丈夫?」と声をかける。
「・・・うん。大丈夫」
なんでか分からないが今も体に力が入らない。
疲れが今頃出たのかもしれません。

そして、変な夢を見た。
ショウの夢を見ました。
川でぐったりした状態で流れていくショウ。

私は必死に助けようと川へ走って行く。
確かにうちの近くには多摩川があるが、見たこともない川だった。
でもなぜか私は狙われているらしく・・・まわりに制御されて川へ行かれない。

それを振り切って、私はまたショウを助けに行く。
するとぐったりしたショウが「助けて!」という顔で私を見ている。
私は川に飛び込み三匹の猫を救助した。
一匹はショウ。
あと二匹は外猫のチョビとカツラ。
実は、この外猫が具合が悪そうなのだ。

↑チョビ

↑カツラ♀
スープ系ならなんとか食べるがチョビは二まわり近くも痩せてしまった。
どうしてあげればいいのか・・・
オス猫でボスとして生きてきたチョビを家に入れる事はチョビが苦痛なのではないか。
ボランティアさんは言う。
確かにそのとおり。

野良として生まれ、生きたチョビは触れる外猫ではない。
そのチョビを労るかのようにカツラは傍を離れない。
二人とも食事を食べないのかと思ったらカツラは食べていた。

モンプチのスープだけをチョビとカツラにあげる。
カツラは来ない。
チョビだけが来て食べていた。
健気な二人。

その二人を案じていたから見た夢なのかもしれない。

私は三匹を救出して家に帰る。
チョビとカツラは母と同じ部屋にいて
亡き私の父と 姉たちと一緒にショウはいた。

ご飯を食べて丸くなって眠っていた。
私はかけより、ショウ!大丈夫??ショウ!と
声をかける。
ショウはゴロゴロ言って私にすり寄る。

涙目で目を開けた私は、ショウがいない事を実感する。
不思議な夢。

訳の分からない夢だけど夢で逢えてうれしさ半分
悲しさ半分。

8/14 ショウ葬儀・・・

2009年08月15日 05時05分53秒 | ショウと私のあれこれ

ショウをペット霊同で火葬しました。
棺に入れたくなくて、躊躇して、泣いて泣いて棺に入れて
お別れが出来なくて何十分も迷惑をかけてしまいました。
蘭を今年二月に火葬した場所でしたので、先方が気を使って
別れをさせてくれたのだと思います。

ショウの姿は大気を漂い還っていきました。
詳しくはパソコンが直ってから闘病など含めまとめます。

キレイな夕焼けはまるで後光がさしているかの様でした。
そして今、美しい朝焼けを見て、ショウちゃんも見てるんだと
思っていました。

ショウが死んだ?
信じられず、普段は絶対火葬前の写真は飾らないのですが
私はなぜか、ベッド脇に置いて見ている。

ショウの火葬の瞬間、心臓を掴まれて潰された様な痛みが走りました。
もう、あの可愛いショウには逢えないんだね・・・

ショウの赤い首輪を外し、喪服用バッグにつけ
ショウの遺骨とともに帰宅しました。

玄関で出迎えてくれたのは次男コウ(写真のアメショー)。
ショウの最高の兄でした。
コウは鞄から聴こえるショウの鈴の音を聞いて私の後ろをしきりに見ていた。
ショウちゃんはどこだ??
と言う風に。

そのままコウの首にショウの首輪をつけた。
嫌がってとってしまうと思っていたらショウの首輪のにおいを嗅ぎ
ゴロゴロ喉を鳴らして、自分を毛づくろい。
嫌がる様子はまったくない。

チリンチリンとコウが動くたびに聴こえる。
母はドキッとすると言った。
ショウがいない初めての夜。
闘病したこの部屋で眠る静寂と不安と刹那さで
徹夜何日目だったかな・・・と朦朧するが眠れない。

コウに暫くショウの分も一人二役してくれない?
そう頼んだ。

コウは首輪を絶対取らず、私の周りをいつも以上にうろついて
離れずにいる。
コウと呼ぶとお返事をし、「パム」と呼んでもお返事をする。

闘病中は写真の階段の小窓はショウのものとなっていた。
不思議とショウがいない間もコウは登ったり絶対にしなかった。

なのに、こんやはコウが使っている。
ショウがここでぐたーっとなっていたみたいに
横になっている。

闘病中は兄弟猫達はみなショウにすべてを譲ってくれました。
意地悪コウも、大切な妹のため、譲りに譲ってくれました。

私にとって総てのショウ。
私の愛するショウのいない夜

泪は枯れ果ててしまったみたいに流れない
ただただ、胸が居たくて目頭が熱い。

人生最高の不幸であり最悪の日々。
ショウが死に・・・そしてショウがいない夜がきた。
ペットロス・・・ペットなどではありませんでした。

私の体のすべてがショウだと言っても過言ではない。
なのでロスしたのは私自身

まとめられない。
ショウがいない

ショウの声がしない。




8/13 ショウお通夜

2009年08月14日 04時11分07秒 | ショウと私のあれこれ

写真は8月10日のもの。
ショウちゃんの傍らで書く最後の記事となる。

ショウちゃんのおもちゃ箱を開けたら、ちゃんと反応して見ている写真。

8月12日、軽い貧血状態となった。
四肢は冷たくなっていた。
息はいつもより荒くなり、苦しそうにしていた。
夜、強制給餌を唸りながら拒絶し始めた。

本日、8月13日の朝ごはんでは口すらあけてくれなくなった。
歩くことが12日明け方からできなくなって、13日は這って移動していた。
終始、ウーウーと唸っていた。
食べないと知っていたけど、ショウの好きなシーバをお皿に昨夜入れた。
音を聞き、こちらを振り向いたショウ。
しばらくしてお皿に移動してきて、お皿に顔を乗せたまま、へたり込んでしまう。
もちろん食べていない。

触ると更に怒ってしまうので、見守るしかできず、
今日は病院が休診日だったので、夕方病院へ行った。
時々、唸っていた。

病院で少々パニックの様な態度をとった。
熱は38.0度。体重4.36Kg
むくみが酷く、顎のあたりが腫れていた。

先生がショウの顔を私の方に向けた。
ショウを私が腕枕で顔を支えると唸り声がやんだ。

飼い主さんに頼りたい気持ちもあるけれど、体がつらい。
そう先生に言われて、今日は唸られても撫でちゃうぞって思ってたのに・・・

なんとか、帰宅するもぐったり。
呼吸が更に苦しくなり、大きくのけぞって息を吸い永眠しました。
死んでしまったのか、そうじゃないのか分からないくらい
静かに息を引き取りました。
まん丸の眼をめいっぱい大きくして・・・

ショウちゃんは私と母に看取られて死にたかったんじゃないか。
玄関じゃ死にたくなくて、大好きなベッドで死にたかったんじゃないか。

母がA動物病院の院長に電話をする。
駆けつけてくれて、先生はショウを聴診。
「・・・心臓が止まっています」と

大号泣の私と母に、いつまでも先生は話をしてくれました。
「もっと長い付き合いがしたかったね」
「頑張ったね」とショウを撫でてくれました。

ショウの息が荒くなったここ一週間。
私は、苦しい思いをするくらいなら、いっそ死んだ方が楽なのか・・・
でも、離れたくない私がいて、もちろん安楽死なんてものは私の考えにはない。
でも、昨日は息が荒く、辛そうだったので、これが酷くなるのなら
安楽死を決定するしかないのかもしれない・・・そう思った。

ショウはたった1年9ヶ月で私の傍から旅立ってしまった。
享年2歳3ヶ月。

たったの二歳で・・・何度も憎んだのが白血病ウイルス。
そして何もできない自分でした。

時折、ショウを撫でて、これを書いている。
気持ち悪いと思う人もいるかもしれませんが、時折私はショウの顔に
自分の顔を押し付ける。

ショウは生きていた時のまま、ショウの匂いがします。
私はコウとショウの匂いの違いがわかり、
いつも、二人の匂いをかいでは「うん。ショウちゃんだ!」
「コウくんだね」とやっていました。

ショウとの日々は夢のような艶やかな日々でした。
主治医がショウを飼おうとしたとき、白血病だと告げた時
「おすすめしません。仲良くなった頃にはお別れです」
そういいました。

でも、ショウはたった一ヶ月で仲良くなり。
お互いを思いあうのに二ヶ月はかかりませんでした。

他の子の何倍もの速さでで生きたんだと今は思うのです。
ショウとの日々、いつも白血病発症。そして別れの恐怖の中生きました

朝起きると生きていないのじゃないか。
そんな不安、最期を思って涙し、ショウちゃんに毛づくろいをしてもらったこと。
ショウは一週間前まで自分の毛づくろいをしないくせに
私を毛づくろいしてくれました。

まるで「どうしたの??どうして泣いてるの?」労わるかの様でした。

A動物病院の院長は、本当に愛された子だと思うと言った。
私にとってショウはすべてでした。
ショウを失うより恐ろしいことはない。
そりゃコウたちを失っても困るのですが・・・

可愛くて可愛くて本当に可愛くて
大切で大切で大切でした。

自慢の娘でした。

うちの姉は霊感などまったくないのですが、
ショウが永眠し一時間後くらいに訪れた際、ショウを撫でてこう言った。
「どうせ、すぐ帰って来るもんねってふと思った!!」と。
蘭の時には思わなかったのにな・・・と。

私もそれを感じています。
生まれもっての拡張型心筋症、そして白血病では札が悪すぎます。
私は割と霊感がある方で、動物の声、死期がわかる様になっています。
今日、買い物に出かけようとした母を引き止めて
「ショウちゃん、そろそろまずいと思う」そう母に言う

母は心配になって買い物をやめ、病院へ付き添った
病院で先生の話を涙しながら聞く私と母。

末期の症状です・・・と。

往診に来てくれた先生に私は聞いた。
「先生は今夜が峠だと思っていたのですか?」と
先生は「正直、今夜だとは思っていませんでしたが近いうちだろうと思っていた」
そういいました。

ショウちゃんの心臓は悲鳴をあげていた。
だけど、情けない私を置いて旅立つのは忍びないと
頑張ってくれていたと直感的に思っていた。

そして死後、ショウを撫でていて思ったのが「無念」だと言う事。
ショウの心はもっと生きたかった。
私の傍にいたいと思っていた。

だからショウは必ずすぐに生まれ変わる。
ショウが迷子にならないようにろうそくを絶やさず。
ショウが帰ってこれる様に、家族の写真に住所を書いた。
私と映っている写真。
母と映っている写真。
大好きなコウと映っている写真を持たせ明日、出棺します。

私は今も、ショウによく歌った歌を歌ってはショウを撫でている。
ショウは「パム~」と鳴くことから「パム」と呼ばれていました。
ぴょこっとしてるから「ぴょこちゃん」またはパムが変形して「パムズ」

私が動くとショウとコウがついてきます。
そこでコウが「続いて参るくん」と呼ばれていて
私がいつも歌った歌は「パムズ イズ 続いてまいる♪続いてまいる♪」
こんな変な歌。

私は思う

ショウとの出会いは必然だった。
貰い手がなかったことも必然だった。
なぜならショウは私と居たかったんだから。
我が家で一番の意地悪コウがショウちゃんを受け入れてくれたことにも
正直驚いていた。

すべては必然なら、この別れも必然?
なら、再会もまた必然となる。

おいでと言ったら私の体に乗って私を毛づくろいして眠ってしまったショウ。
隙をみて脱走して得意気な顔をしたショウ。
初めて会ったときのあのあらわしようのない可愛さ。

甘えん坊で、あどけなくて、誰からも愛された子でした。

明日のこと、ショウのいない明日なんて想像もつかない。
一緒に寝て、一日足りと忘れたことのない最愛の娘。
それを失って私はどう明日を生きるのかわからない。

愛するショウ。戻れるなら、呼吸が楽に出来てご飯も食べれた頃に戻って
たくさん撫でてあげたい。


8/13 19時15分 ショウが永眠しました

2009年08月13日 23時17分42秒 | ショウと私のあれこれ

詳しいことは後日記載します。
ショウは動物病院へ行き、気力だけで帰宅し
帰宅後、玄関で倒れこみました。
息は荒く、今夜が峠かな・・・という感じがしました。

私とショウとコウのベッドへ移動して10分もしないうちに
最後に大きく息を吸ったと思ったら、そのまま永眠しました。
苦しそうに息をしてきた数日でした

最期は本当に静かに永眠しました。

ショウがいないだなんて
信じられない。

ショウは本当に可愛い子でした。
出会えた。そばにいてくれたそれが、本当に宝物でした。

みなさん、ありがとうございました。
ショウはたくさん愛され、たくさんの喜びを私に与えてくれました。

ショウ、お疲れ様だったね

ショウ、ありがとうね。

大好きなショウ。永遠に。


8/7 ショウ原因不明の熱 4

2009年08月07日 05時20分11秒 | ショウと私のあれこれ
獣医の話。
白血病の猫は、通常普通の猫が風邪ですむところが
肺炎になってしまう。
ワンランク上の症状を引き起こしてしまうとの事。

体調不良になってからのショウは風の通り道を好んだ。
今も、窓のサンのところで寝ている。

自分が発熱してるので涼しいところにいたいみたい。
氷枕のソフトを購入し、設置する
発熱していない時は嫌い、近寄らないが発熱していると
抱え込むようにのっかっている。

今は発熱してないので嫌っている。

呼吸も少し荒く、ふーふーと軽くですが言っている。

疑われた発症について主治医は言う。
とても発症している顔つきじゃないし検査の結果もそう。・・・と。
じゃあこの熱なんだろうって事なのです。

ショウと同時期に私も病気になりマイコプラズマを疑われていたのです。
レントゲンや血液検査を行なった。
肺炎なら入院です。

入院????????出来るわけがない。
困る。
ショウがこの状態で断固拒否だ。

検査の結果は百日咳だろうとのこと。
冬に一度なったのですが、また???
猛烈な咳で腹筋は痛いし、辛いけど、何より
ショウに迷惑な咳を我慢する方法がないものか・・・




8/7 ショウ原因不明の熱 3

2009年08月07日 04時36分54秒 | ショウと私のあれこれ

しばらく通院をしないで、自宅で闘病することに。
病院から帰宅するとパソコンが消えていた。
私のパソコン。壊れました。
これはマザーボードがイカレタな・・・と自己診断。

そしてサブマシンを動かそうとしたが、これも
なぜか、動くのだが、モニタに映らない。
くそーーービデオカードか???
そして世界から切り離されたような感覚になった。

ネットも出来ない。
情報は得られない。
困った!!でも、修理は自分では無理。
サブマシンくらいの異変ならショウがこんなじゃなきゃ
自分でなんとかやってのけたけど、それどこじゃないので
切り離された孤独を選択。

そして古マシーンがある事を想い出し電源を入れた。
ついたーーーーーー。よってこれは古いPCで書いてます。
なので写真の加工とかは残念ながらできない。
出来るけど時間がかかりすぎるので出来ない。

この頃から、固形物を口にしなくなった。
スープ系フードのスープのみ2袋は飲むなどになっていた。

そして8/3スープすら怪しくなってきた。
熱は夜中に高くなる。
夜中に検温すると39.9℃などであった。
このあたりから強制給餌へと切り替える。

通院しないと言う事は、輸液などがないので脱水、体重減少が懸念されたからである。

強制給餌は小さい頃からの訓練もあり苦労はしなかったのだが、以前に比べると嫌がるようになった。

定期的にトイレに連れて行き、寝床へ水を持って行くと
飲む。という風になってしまった。

胃腸は強くないショウにはw/dを与えていた。
だが生命維持ラインにはw/dでは追いつかないと考え
a/dを探したが・・・そうだった。
初島へ送ってしまっていた・・・

8/5
困ったぞ・・・・
そこで、近所の動物病院へ電話した。
在庫はないけど、他のならあると。
連れて行くリスク、メリットをよくよく考え
迷ったあげくショウをお散歩キャリーに入れて
徒歩で近所の病院へ向かった。
軽い脱水症状があったので。


これでもわかるように、お散歩キャリーは楽しそうで
お外をよく見ていました。
車の通らない道を選びました。
主治医の病院では、ウンチとおしっこは必ず診察台でしてしまうショウ。
ここではしませんでした。
やはり道中のリスクのせいでしょうか・・・

体重は4.04キロ 激減してしまっています。
横たわっているだけのショウ。

心配で仕方がありません。
コメントももらっているのにお返事できず申し訳ありません。

なんせ使いにくいPCっていうのもあるんですが
こんな状況でして・・・すいませんです。

こんなブログですが見てくれてありがとうです