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ショウ頑張れ!保護された小さなショウの猫白血病物語

横浜元町で保護された小さなショウ。猫白血病と闘う小さなショウの物語です。

10/1 ショウ49日

2009年10月01日 19時15分47秒 | ショウの生きた証

ショウが旅立って49日が経過しました。
私は悲しみの中に身を置く事が出来ず、カツラの治療、優ちゃんの訓練に忙しくしている。

これはショウが用意した私への優しさだろうか・・・。
すぐには転生出来ないから、私が正しい飼い主になれる様にとの
試練だろうか・・・ショウ。私に伝えてほしい。あの日の様に。

こんな猫は、きっと何処にでもいるのかもしれない。
でも、ショウは何処にもいない・・・
可愛いね。ショウ。

小さいからショウと名づけたのに、どんどん大きくなっていったね。
ショウは急ぎ足で駆け抜けた季節を満足していただろうか・・・

馴らし訓練の間は、とにかく凶暴だったショウ。
威嚇、攻撃は専売特許の様に凄かったショウ。
それがあんな天使になるんだから。


可愛い顔して、悪戯、強気のショウでした。
今の老人クラブのお二人は(カツラと優)威嚇も攻撃も少なく
ショウと比較したら髪の毛が触った程度のダメージです。

ショウ・・・今度もそんな顔して生れて来てね。
今度は、お利口じゃなくていい。
優しい子ではあってほしいけど、意地悪でもいい。
丈夫であれば、それだけでいい。

ショウ・・・伝えたい言葉はただ一つ。
「逢いたいです」


9/23 ショウ六七日

2009年09月23日 03時21分55秒 | ショウの生きた証
ショウが旅立って42日が経過した事になります。

ショウを想わない日はなく、ショウが生きた証をそのままに
ショウのベッドもそのままに

ただ・・・ショウがいないだけ。

世界で一番大切なショウ。
愉快で無邪気なショウ。

私は、ずっとショウを待っている。
還ってくる日を待っている。

それが二人の絆。


ショウにそっくりのネコが描かれた食器を見つけた。
赤い首輪をした白黒バイカラーのネコ。

思わず購入した。

還ってきたら使ってほしいと。

私は前を向いて歩いているよ。

足には悲しみのおもりをつけたまま。それでも
私は歩いているよ。

それは、あなたにもう一度、私は出逢う為に。

42日。私は少しは正しく生きているだろうか・・・



9/19 ショウはきっと言うだろう

2009年09月19日 01時02分22秒 | ショウの生きた証
ショウが生まれ変わって、もう一度戻ってきてくれるのが私の希望だった。
そんな中、この地域猫二匹の保護騒動。
どちらも高齢。カツラは10歳以上というところまでしか分からない。
チョビは近所の聞き込みの結果。13歳超え。

ショウの闘病中、同時期に食欲不振へとなっていたチョビ。
二人は何やら会話していたんでしょうか・・・
じーっと見つめ合っていたね。

私は以前、チョビの最期を看取りたいと書いた。
そう、そのくらい彼を常に気にかけてきた。
ただ、外でずっと暮らしてきた子を家の環境へと慣らせる自信が
正直なかった。
しかも、ボス格の雄。想像もつかなかった。

チョビが見かけ倒しのコナンと同じで、気が弱く攻撃性がない事に
驚きを隠せません。

同じ、ハナグロのチョビとショウ。
チョビにショウの場所を使わせる事に躊躇いが皆無だったのには
ショウの意志が働いているのだろう。

不運な事に、チョビは猫エイズ。
白血病の知識と被ってはいるが、また勉強のし直し。

ママならチョビちゃん、助けてあげられるから
二人を助けてあげて・・・
きっと、そうショウが言っているのでしょう。

コウが威嚇しないのにも驚きなのです。
チョビが弱っている事を知ってか、チョビが知り合いだと知ってか
コウは威嚇をしない。
意地悪コウはどこへ?というまたも不思議な現象。

ショウの白血病告知の時を思い出し、私はまた涙した。
それは、ショウへの涙だった。

まだまだ幼いショウが背負った運命は悲しすぎた。

ショウの時、散々、泣いてきた。
チョビを憐れむのはやめたい。

前の家のおじさんに石を投げられて、追いかけられて、
嫌われて、やっと辿り着いた我が家。
誰にも取られたくないけれど、チョビは去勢後、穏やかな性格に
どんどんなって行ったので、争いを避けていた風に見えた。

ただこうして、ここに居続ける事で守り抜いた我が家。
毒を撒かれて、毒餌を食べても吐き出してくれたから
命があった。
刑事さんも、猫好きな方で、姑息な犯人だ!と憤慨していた。
吐き出してくれてよかった。と心から言ってくれていた。

猫エイズで尿毒症を患った友達の猫ちゃんは
てんかんの発作を起こし、最後安楽死となった。

それを思い出すと正直、怖いのですが、
それを受け止めてあげるのが私の使命だろう・・・

もう、チョビ怯えないでいいんだよって
もう、誰もチョビ達を追いまわしたり、毒を盛ったりしないんだから。
ゆっくり眠っていいんだよって伝わる日が来ると言いな

9/12 獣医と話したショウの話

2009年09月12日 02時16分17秒 | ショウの生きた証

実は、気にしていた事がありました。
近所で輸液と注射の処置をしてもらっていて
主治医を不快にしてしまったのではないか??という懸念。

考えて、考えて、割と話しやすい主治医の下で働く若先生に電話をした。
私が、先生の所に行かず、他で治療した事を院長は誤解していないでしょうか?

そう告げると若先生は
ショウちゃんの状態を私たちもよく分かっていて
移動が困難、近所の方が楽だと飼い主さんが判断できるなら
それに越したことはありません。
私も院長も同じ意見でしたから、心配は不要です。


そうですか・・・安心しました。
まだまだ家族がいます。変に誤解されたら嫌なので
すいません。

そう私が涙ながらに話すと先生が

ショウちゃんは、本当にお利口で、いい子でした。
必死に生きようとしていた姿、イキイキした顔つき、
検査数値のどれを取っても
白血病の発症とは言えなかった。

そう言った。

そして、最期を診てくれたセカンドオピニオンA病院院長と
電話で話す。
過去を蒸し返しえても、どうにもならないのは分かっていますが
今後の知識として教えてほしい。

「ショウは白血病を本当に発症していなかったのでしょうか?」

A先生は、発症は数値が異常なしなのでやはり考えにくいのですが
最後の日だけは、さすがに、発症した・・・と思いました。

そう答えました。

発症して、あんなにすぐ亡くなってしまうのでしょうか?

そう聞くと、

そんな例がなかった訳ではありませんし
ショウちゃんの場合は、その前から体力がかなり落ち込んでいた。
白血病ウイルスが頭角を表して、あっと言うまに飲み込まれてしまった。と考えられます。

あの原因不明の熱は何だと思いますか?と聞く。
おそらく、急性期の発熱ではないかと思います。

もしも・・・心臓が悪くなかったら、ショウは生きられたんでしょうか?

白血病が発症すると手立てがありません。
起きた症状に合わせての対症療法しかありません。

胸線型リンパ腫
消化器官型リンパ腫

その多、様々な症状を引き起こします。

苦しむ苦しまないを基準に考えたら、ショウちゃんは
段々と臓器全体が弱って行ったので
本当に苦しくなかったと思います。

そう教えてくれた。
主治医、セカンドオピニオンともに、同じ意見だった。


8/29 2007年11月上半期の出来事

2009年08月29日 03時02分14秒 | ショウの生きた証
2007年11月1日
10月末に「祝!陰転!」の結果をもらったが、しぶとい私の再検査により「陽性」が確定。
残念ながら持続感染が確定した。

がっかり・・・を通り越して、こんなずさんな検査をした検査センターに怒りをあらわに。
何回、わが子の血を抜いて、何回お金を払わすんだよ!と激戦したのも
まだ記憶に新しい。

11/2
コウがまた部屋で寝るようになった。
ケージ越しに喧嘩をしていたが、どちらかが怒ってるかと言うとコウだった。
それでも、私と寝たいのか、「僕の部屋なんだから」という表れか。
コウは、嫌なんだろうけど、コウは自分のエリアを譲らない。

11/5
ショウ、こんなに大きくなったんだね。
と私はうれしくて、写真に並んだショウを撮影した。

骨髄に潜み続ける憎い「白血病ウイルス」
悪いのはショウじゃなんだ。
悪いのはこのウイルスなんだ。
まだまだ、そう遠くない未来に訪れる「別れ」に涙を隠せなかった頃。

ショウはとにかく遊び好きで、こちらがへとへとになるまで
付き合わされたものでした。
ただ、私は、気が付いていた。
ショウが遊んだ後、ハアハアと息を切らすことに。

獣医にも言ったが聴診で問題がなかったので、結局、心配しつつも安心してしまった。

ショウのすべてが愛しくて、可愛くて、どんな姿も可愛くて
私は、どんどん、ショウを愛していく。

11/6
コウがベッドに普通に帰ってくる事となる。
ショウの爪切りの練習(二週間はかかった)の成果で
ショウは四肢すべてを抱っこで爪切りさせてくれたのもこの頃。
白血病の猫との同居についてはこちらからご覧ください。

11/7
ついにベランダケージデビュー

日の光を浴びてほしくて、こんなに大きな猫がカラスに襲われるわけないだろ・・・
今思えばそうなんですが、とにかく過保護な私はネットまでしちゃったり(笑)
ショウはちょっぴり興奮気味だったけど、外の風、匂いを堪能してしました。
ここは三階に設置されたケージでした。
ショウの部屋は一階。
二階にリビングがあるので、もう抱っこは出来る様になっていたが
行く事を許されない部屋を見せてしまうのは、ここへは行かせてもらえない
ストレスになってはいけないと、わざわざ、キャリーに入れて、見えない様に
連れていく。

知らない場所より、私の腕の中が安心の様なショウ。
私はね。嬉しかった。
抱っこにも私にも慣れたショウ。

ショウはすごい。
凄いんだよ。ショウ。
11/10
コウはストレスから酸球肉芽腫を発症した。
実際、ショウを引き入れた事のリスクは確かにあったのです。
コウを今まで以上に可愛がり、許してくれと。
共存してくれとなども頼んだ。

そしてこのあたりから、ショウは私のベッドに私が寝てると上がってきて
足元あたりだけど、一緒にいるようになる。

11/11の写真。
どこにいても、すんなり捕まるようになる。
体重も順調に伸び、元気だけど、時折、結膜炎になったりた。

11/13
ショウを何とかリビングデビューをさせたくて、ハーネスを買ったり
リード買ったり、本人は大迷惑だと思うが、いたれりつくせり。
この頃からショウは、自分は夜はケージで寝ないといけないと知っているみたいに
自ら夜ケージに入ってる。
その姿に胸が苦しかった。

なんで、こんなにいい子が白血病なんだろう・・・
そう私は涙した。

11/15
ショウに噛まれる。
噛まれるのは日常茶飯事でしたが、油断していた。
がぶっと。
でも、悪いことした事にショウは気がついて、反省してるかの様に見えた。

これが11月上半期の物語。
ショウは急速に我が家へと私へとコウへと慣れて行った。
その背景にあったものは、きっと私の諦めない根性。

噛まれても引っ掻かれても、それでもショウが大好きで
私は理解なんか猫は出来ないって思う人いるかもしれないけど
「ごめんね。でも、私は大丈夫だよ。怖がらせてごめんね。」
「でも・・・仲良くしたいんだ」

私はやられても、やられても言い続けた。
それをショウは分かってくれて、ちょっと怖いけど
いいよって言ってくれたみたいに思えた。

8/28 ショウのアルバム

2009年08月28日 05時20分59秒 | ショウの生きた証
ショウの写真を現像に出した。
写真枚数は600枚以上。
その中から400枚を現像した。

たったの二年で400枚とは恐ろしい枚数だと改めて実感する。

まだ年代別には並べられていない(まだ初期の頃を現像中なので)
年代別に並べて、コメント書ける場所があるので書いていこうと思っている。

そしてショウの写真立てを作った。
でも、ちょっと失敗だったと出来上がって思った。
作品が失敗なのではなくて、素材。
ガラス素材は素敵なんだけど、うちは猫が沢山いるから、倒される可能性が高い。
なので、設置場所に悩んでいます。

「あなたは私の特別な人」
というメッセージと私とショウの名前を入れました。
日付は命日になっています。

写真は、これは仮で、私とショウの二人の写真を入れるつもりでいます。
こうしてショウを私は想い出へと変えていくのでしょうね。

まだまだ、想い出に出来なくて
部屋をのぞく度、ショウを探してしまう。

一日一度、必ず見るショウの誕生会のビデオ。
これもブログに載せますね。

一応、書いておこうかな。
たとえば、明日私が車にひかれて死んでしまったら
ショウのアルバムは私の棺にいれて欲しい。

ここに書いておけば私のお姉ちゃんがそうしてくれる筈。
絶対の未来はない。生命には終わりがあるのだから。


8/19 2007年5月 ショウ誕生~10月

2009年08月19日 02時54分22秒 | ショウの生きた証

2007年5月
ショウは横浜元町で誕生した。
一番左がショウ。
一番右がショウの母。

まだ名前はなく、時に水をかけられ
犬に追われ、車に怯えながら 有名パン屋さんの横の
家具屋さんの駐車場を拠点として母と仲間と暮らしていました。

ただ嫌われ猫だったわけではありませんでした。
近所の飲食店のお姉さんHさん。
餌を配って回る近所のおじさん。
私の職場の上に住むマンションの住人。
そして、私。
そして職場の隣のビルに住む恋人たち。
沢山の人に愛されてのも事実でした。
そんな人たちに食事をもらう為

ショウはこうして日に数回、誰かがやってくるのを
雨の日も、真夏の暑い日も ただ 待っていたのです。
その姿を愛らしいと思ったのは私だけではありませんでした。

2007年7月
ショウに出会い、ショウを探すのが日々の日課となった私。
Hさんと話す様になりました。
ショウはHさんにとてもなついてました。
確かチビちゃんって呼ばれてたっけ。

2007年8月
私が「ショウちゃーーん」と呼ぶと
にゃーーーんと塀を乗り越え、この場所に走ってきた。

私の顔も声も もう覚えてくれた。
とにかく可愛い子でした。
頭のいい あどけない子猫でした。
台風が何度もやってきた。
ショウはご飯を食べただろうか・・・
雨は冷たくはないだろうか・・・

私の心配はピークに達していた。
横浜の雨はとにかく強く、ひどいものです。
東京が多少の雨の時、横浜は大雨で風がものすごい。

2007年9月
ショウが心配で仕方なくなった私は
すでに4匹いる多頭飼育状態で、ショウを入れられるのか・・・
ボランティアさんに電話をした。
反対された。
でも、私はショウを保護することを決意する。

誰かが、なんとかしてくれるんじゃないか。
そう思ってきた出会いから二か月半。
ショウはまだ外にいた。
2007年9月25日
保護した時、ショウは本当に大人しく、
車に乗せても鳴きもしない。
生きてる???と何度もリアシートに乗る母に聞いた。
動物病院で捕獲器からケージに移される際
物凄い鳴き声で威嚇していた。

そして、避妊手術をしてもらい
私は天国から地獄へと突き落とされる。
「猫白血病ウイルス陽性」
当時の体重は2.8Kg

みんなに反対された。
多頭飼育での白血病キャリア猫の同居はリスクが大きすぎる。
そう言われた。
貰い手を探したりもした。
でも、ショウを手放したくなかったのは自分だった。
白血病のワクチンのリスクに泣いて施し
ショウは晴れて我が家の一員となった。

可愛い可愛いショウ。
保護からたったの一週間でまるではじめから家猫かの様な顔でしぐさだった。
ただ白血病陰転ばかりにとらわれていた私。

ショウが短命の宿命であることに毎日涙していた頃。
ショウは涙を不思議そうに見ていた。
男の子みたいな名前を変えようかとも思ったのですが
慣れ親しんだ名前のまま「ショウ」と正式に命名。

おかげで、よくショウ君と呼ばれてしまう事になる。

外を大騒ぎで眺めるショウ。
ショウは闘病中、この窓でよく眠っていました。
カーテンもベッドも爪痕だらけとなりましたが、今ではそれさえ
ショウが生きた証と愛おしく思う。
2007年10月18日

ショウは私のベッドにいることが多くなった。
こうして私が触ってもうれしそうにするようになりました。
ちなみに、こういう感じでショウは最期を迎えました。
私に頭を預け亡くなりました。

ワクチンの有効性が確認できる頃
10月末には家族と対面できる様になる。
コウはとにかくやきもちを焼いて怒っていました。
一か月もの間、自分のベッドを取られていたのですから無理はありません。

ショウをケージに入れて、夜はコウを部屋に入れてあげる様にになったのもこの頃。

コウがショウのケージの傍を通るとコウにちょっかいをかけるショウ。
まだまだコウはショウを嫌い「シャーシャー」と言っていました。

これがショウ誕生から家猫になった一か月の物語。
多頭飼育で白血病を引き入れる事を悩んでいる人や
保護した子が白血病だったという人
出入り自由にしていた為に白血病に感染してしまったという猫のお母さんや
なぜか、白血病だった・・・という飼い主さん。

誰かの役にたつといい。
白血病だからという理由であきらめてほしくなない。

ショウは長生きはしませんでした。

だけど2年3か月の間
愛されて愛されて
沢山の人の心を惹きつけて
とにかく急ぎ足でしたが幸せに駆け抜けたのは間違いありません。

ショウに言葉があったなら、私は楽しかったと
言ってくれると私はそう思うのです