我流で囃す秩父のお囃子
郷土芸能、伝承芸能である秩父屋台囃子は、師匠も弟子も口伝もなく手取、足取り教わることもなく、すべて自分で考えるお囃子で、叩けるようになって初めてワンポイントアドバイスをもらう、このように、言わば職人の世界と同様に技術を盗み、見て聞いて覚えるより他にはない我流のお囃子です。
我流といっても、何でもありではなく、いくつかの決まりごとを暗黙の了解によって拍子、節を身に着けていき、違った拍子、節で叩けば無言の圧力をかけられる。このような、独特な雰囲気の中で自分の太鼓の節を聞かせ、これもまた暗黙の了解によって受け入れられればやっと我流が認められる。これまでになるのには、初めのうちは、友達と学校で机や、床、板壁などの太鼓の音に近い物を探して太鼓のまねごとが唯一の練習でした。お祭りごっこや遊びの中で太鼓の叩き方を友達同士で考えたものです。その後は、自分で考え、自分の節を子供ながらに作っていくわけです。そして、自分でつくった秩父屋台囃子の大太鼓の節を大人たちの前で初めて叩いて見せる、その時の緊張感は未だに覚えています。子供の頃は毎回、緊張の連続でした。やがて、経験を積み重ね自分の太鼓の節を確立し、自分だけの秩父屋台囃子の節ができあがっていきます。
以前は、秩父屋台囃子の稽古といえば、毎年12月3日の大祭前1週間が唯一の稽古でした。そのため、1年ぶりの顔合わせが多く「ご無沙汰で」という挨拶から始まりました。この時代は、これが通例で太鼓も1年ぶりに叩く者がほとんどで大祭当日までにやっと手や体が動いてくるようなものでした。したがって、1年のうちのたった1週間の稽古では、当然手取り足取りの稽古など出来るわけもありません。初心者や、子供は1年をいかに個人練習したかで差がでてしまい子供ながらに実力の差を思い知らされた切磋琢磨の時代でした。
やがて時代も流れ、補助等で太鼓の数も増え環境も整い、現在では秩父中で頻繁に稽古ができるようになりました。 時代が変わっても基本的には前述したような稽古です。しかし、最近は、町会等の方針や、生活環境、教育の背景によって多少稽古も変わってきました。結果、以前のような職人的な色合いも薄れ、目を見張り、聞きほれるような我流の太鼓の節も随分少なくなり、画一化されてきたように感じます。実際に秩父屋台囃子の節も変わってきています。 その時の、影響力の大きい者によって良くも悪くにもなってしまう我流の太鼓が故の矛盾がおこっているのも現状です。
当会は、昔、名人といわれた方々が叩く誰が聞いても聞きほれるような、気持ちの良い太鼓の節を目指し昔ながらの秩父屋台囃子の節にこだわって叩いていきたいと強く思います。
秩父屋台囃子傳承會(鼓恩般若院)http://www.youtube.com/watch?v=brndT0A_RgE