北海道の震災、大変ですよね。
普段当たり前に生活していたのが当たり前でなくなるということ、
生活そのものも大変でしょうし、気持ちの上でもショックだと思います。
そして肉親や友達を亡くされた方、本当にお辛いと思います。
7年前の東日本大震災のとき、
私もかなりの被害をうけて、当時住んでいた社宅はもう住めず、
地震の当日と次の日は体育館で泊まりました。
しかもその一週間前に出産してまして、新生児を抱えての避難でした。
幸いにも2日間でなんとか寝られるスペースは確保し社宅に戻ったのですが
食料もないし、後片付けやら次の住まいさがしやらに新生児と褥婦と小学1年生が
いたのではどうにも動けないので、1年生と新生児を連れて実家に帰ったわけです。
震災から4日目に。北海道の札幌の実家へ。飛行機にのって。
怪我もなくケロッとして私たちは現れたし、そんなに悲惨なこととして受け止めなかったのは
かえって実家の方としては気配りだったのかもしれませんが、実家は私たちに冷たかった。
テレビでは津波の被害や原発の被害については放送していたけれども
純粋に地震の揺れの被害だけだった栃木についてはまったく放送なし。
でも全国で地震の揺れだけの被害でいえば栃木の私の住んでいる地域が一番ひどかった。
非公式ながら震度7でした。
弟の嫁は、次の年の年賀状にこう書いてきました。
「お変わりありませんか?」
子どもが産まれて1週間で震災にあって引っ越しをしなくてはいけないぐらいの
被害にあってるんですよ?
それを「変わりないです~」と言えるくらい私は強い人だと思われてるのか?
震災から7年たち、そんなこんなのいやなことも徐々に薄れて「まったくもう」と
笑い飛ばすか忘れることにするか、・・・そんなころにこの北海道の震災。
申し訳ないけど。
本当に私よりももっと大変な思いをした方もたくさんいるなかで。
ごめんなさい、
あの時私に冷たかった人たち、無神経だった人たちに私は言いたい
「ザマアミロ」
「思い知ったか!」
なんつって自分の心の狭さを知る。心が痛い。いろんな意味で。
そんなこと思い知らなくてよかったことなのにね。ザマ見なくてよかったことなのにね。
普段当たり前に生活していたのが当たり前でなくなるということ、
生活そのものも大変でしょうし、気持ちの上でもショックだと思います。
そして肉親や友達を亡くされた方、本当にお辛いと思います。
7年前の東日本大震災のとき、
私もかなりの被害をうけて、当時住んでいた社宅はもう住めず、
地震の当日と次の日は体育館で泊まりました。
しかもその一週間前に出産してまして、新生児を抱えての避難でした。
幸いにも2日間でなんとか寝られるスペースは確保し社宅に戻ったのですが
食料もないし、後片付けやら次の住まいさがしやらに新生児と褥婦と小学1年生が
いたのではどうにも動けないので、1年生と新生児を連れて実家に帰ったわけです。
震災から4日目に。北海道の札幌の実家へ。飛行機にのって。
怪我もなくケロッとして私たちは現れたし、そんなに悲惨なこととして受け止めなかったのは
かえって実家の方としては気配りだったのかもしれませんが、実家は私たちに冷たかった。
テレビでは津波の被害や原発の被害については放送していたけれども
純粋に地震の揺れの被害だけだった栃木についてはまったく放送なし。
でも全国で地震の揺れだけの被害でいえば栃木の私の住んでいる地域が一番ひどかった。
非公式ながら震度7でした。
弟の嫁は、次の年の年賀状にこう書いてきました。
「お変わりありませんか?」
子どもが産まれて1週間で震災にあって引っ越しをしなくてはいけないぐらいの
被害にあってるんですよ?
それを「変わりないです~」と言えるくらい私は強い人だと思われてるのか?
震災から7年たち、そんなこんなのいやなことも徐々に薄れて「まったくもう」と
笑い飛ばすか忘れることにするか、・・・そんなころにこの北海道の震災。
申し訳ないけど。
本当に私よりももっと大変な思いをした方もたくさんいるなかで。
ごめんなさい、
あの時私に冷たかった人たち、無神経だった人たちに私は言いたい
「ザマアミロ」
「思い知ったか!」
なんつって自分の心の狭さを知る。心が痛い。いろんな意味で。
そんなこと思い知らなくてよかったことなのにね。ザマ見なくてよかったことなのにね。