(その7の続き)
やはりジブリは厳しい場所でした。日本のアニメ会社の多くは下請け体質で、親会社から降りてきた企画は必ず制作しなければ食いつなげないから、まさか制作中止はあり得ないし、スケジュールが延びることも少ないのです。だから、そのスケジュールを人質に取って、頑固に自分の構想を主張し続ければ、そこそこのところでプロデューサーもあきらめて、私の意向は通るというのが、演出の時代に何度か経験したことでした。
けれどジブリのプロデューサーはじめスタッフは、そこそこのところでは騙されてくれず、よいものになると分かるまで、シナリオをたたき上げます。でありながら、スケジュールは延ばしますといった甘い顔は絶対見せてくれず、「ろくでもないものを作るぐらいなら、作らない方がマシ」というわけでもないのでしょうが、絵コンテが完成するまでは、制作中止の噂が絶えることはありませんでした。
余裕のない私に恥も外聞もありません。たとえば女性が多い出版部に出かけて行って、
「この少女漫画のどこが面白いんですか!?」
などと、よく聞いたものです。すると、たとえば田居因さんのような、徳間のアニメージュ創成期のベテラン編集者が
「この、ムタが振り向いて『ついて来な』って言うところがいいのよ~!」
などと、教えてくれたものです。それを聞いて私は、
「ふーん、そうか。これがいいのか」
と分かったような気になって、吉田玲子さんに話し、シナリオに組み入れてもらう、といった進め方もありでした。そんなんで監督か?という向きもありますが、作品が取りつぶされたら監督もへったくれもないし、そもそも自分はほんとに監督なのかどうかさえ、疑わしく感じられるような空気でしたから、どうでもよかったのです。これを敢えて真面目に肯定するなら、「ハルは何だか分からない何かを求めている子」で、「彼女の思いつきの行動を肯定するストーリー」という構想は固まっていたから、あとは飽きないディテール、ストーリーの小ネタを紡いでいくだけ、理屈抜きに面白いと直感できればそれでよかった、とも言えますが。
この頃の宮崎さんは、口は出すけど、チェックはしないというスタンスで、私としては、アドバイスは受けつつも、自分の構想は落ち着いて守ることができるのですから、ある意味理想的な状態でした。問題は原作です。原作との関係でした。原作が届けられる時は、私はその度にナーバスになりました。原作のラフ原稿は柊さんによって三幕に分かれて書かれ、私のところに順次届けられます。同時進行で進む自分の構想との違いを警戒したのです。
中盤の第二幕が私に届けられた時のことです。その原稿にはあの、猫の集団がハルを乗せて走る「猫いかだ」のシーンが登場していました。いわゆるモブ(群集)シーンです。私はこれを見て、ナーバスになるどころか、こんな大変なシーンを誰がどうやって描くんだ? と頭を抱えてしまいました。(つづく)
やはりジブリは厳しい場所でした。日本のアニメ会社の多くは下請け体質で、親会社から降りてきた企画は必ず制作しなければ食いつなげないから、まさか制作中止はあり得ないし、スケジュールが延びることも少ないのです。だから、そのスケジュールを人質に取って、頑固に自分の構想を主張し続ければ、そこそこのところでプロデューサーもあきらめて、私の意向は通るというのが、演出の時代に何度か経験したことでした。
けれどジブリのプロデューサーはじめスタッフは、そこそこのところでは騙されてくれず、よいものになると分かるまで、シナリオをたたき上げます。でありながら、スケジュールは延ばしますといった甘い顔は絶対見せてくれず、「ろくでもないものを作るぐらいなら、作らない方がマシ」というわけでもないのでしょうが、絵コンテが完成するまでは、制作中止の噂が絶えることはありませんでした。
余裕のない私に恥も外聞もありません。たとえば女性が多い出版部に出かけて行って、
「この少女漫画のどこが面白いんですか!?」
などと、よく聞いたものです。すると、たとえば田居因さんのような、徳間のアニメージュ創成期のベテラン編集者が
「この、ムタが振り向いて『ついて来な』って言うところがいいのよ~!」
などと、教えてくれたものです。それを聞いて私は、
「ふーん、そうか。これがいいのか」
と分かったような気になって、吉田玲子さんに話し、シナリオに組み入れてもらう、といった進め方もありでした。そんなんで監督か?という向きもありますが、作品が取りつぶされたら監督もへったくれもないし、そもそも自分はほんとに監督なのかどうかさえ、疑わしく感じられるような空気でしたから、どうでもよかったのです。これを敢えて真面目に肯定するなら、「ハルは何だか分からない何かを求めている子」で、「彼女の思いつきの行動を肯定するストーリー」という構想は固まっていたから、あとは飽きないディテール、ストーリーの小ネタを紡いでいくだけ、理屈抜きに面白いと直感できればそれでよかった、とも言えますが。
この頃の宮崎さんは、口は出すけど、チェックはしないというスタンスで、私としては、アドバイスは受けつつも、自分の構想は落ち着いて守ることができるのですから、ある意味理想的な状態でした。問題は原作です。原作との関係でした。原作が届けられる時は、私はその度にナーバスになりました。原作のラフ原稿は柊さんによって三幕に分かれて書かれ、私のところに順次届けられます。同時進行で進む自分の構想との違いを警戒したのです。
中盤の第二幕が私に届けられた時のことです。その原稿にはあの、猫の集団がハルを乗せて走る「猫いかだ」のシーンが登場していました。いわゆるモブ(群集)シーンです。私はこれを見て、ナーバスになるどころか、こんな大変なシーンを誰がどうやって描くんだ? と頭を抱えてしまいました。(つづく)
続き期待してます。
「猫いかだ」って原作にあるんですか?(驚)
読んでくださる皆さん、ありがとうございます。
>軍人さん
あくまでテーマはスタッフの関係ですので、
横道に逸れないように近々に収拾したいと思います。
>ウラさん
「猫いかだ」も「ムタボンバー(爆弾)」も、
原作にあります。
SP猫や、猫兵、猫王様のとぼけた芝居など、
たくさんの原作のアイディアが、
アニメーション版に生かされましたよ。