インド六派哲学は、輪廻(サンサーラ)という考え方を発展させてきました。
人にそなわっている我(アートマン)は、人の死によって消滅することはなく、死と再生を無限にくり返していくというのが輪廻の思想です。
人の運命を決めるのは、その人自身の行為以外のなにものでもないと考えています。
裕福な家に生まれるか貧しい家に生まれるか、健康か病弱か、成功するか失敗するかなどは、現世と過去世のその人の行為の見返りなのです。
だからといって、自分の運命を呪ったり、失敗しても落胆したりせず、信念を曲げず、正当な方法で目標を達成できるよう努力しつづけないといけないのです。
そうすれば、その結果が必ず自分の上に現れると説いています。
人の究極の目的は、輪廻も含め、すべての束縛から解き放たれ、永遠至高の幸福の状態であるモークシャに達成することです。
苦悩の根源的な原因であるあらゆる欲望と野望を捨てることと、自分のほんらいの姿を知ることによってしかモークシャに到達することはできません。
人の存在を支えているのは我(アートマン)であって、その人の身体(シャリーラ)や、感覚運動器官(インドリヤ)や、精神(マナス)ではないことに気づくことが大切です。
アーユルヴェーダは、正統派哲学の輪廻の思想を取り入れています。
しかし、哲学が精神面の健康を実際に向上させることだけを論じているのにたいし、アーユルヴェーダは、精神面だけでなく身体面への配慮も同等に重要であると考えています。
アーユルヴェーダによると、身心の健康に気をつけることが人の信仰心を生み出します。
健康を増進するものはすべて神聖で、健康を害するものはすべて神聖ではないとみなします。
肉体的に健康でなければ、求道者として自分を高め、人生の究極の目標に到達することはできません。
(以上、「アーユルヴェーダ式育児学 アーユルヴェーダの基礎と小児科学」V•B•アタヴァレー著、潮田妙子/クリシュナ•U•K訳、春秋社、1994年発行 より引用)
インド六派哲学の項がこれで終了です。
五派しか出てきていないのです。
残る一派はウィキペディアによると、”ミーマーンサー学派”でした。
詳しくはウィキペディアを参考にされてください!
ウィキペディアさん
私は仏教の学校に通っていたので授業で輪廻の話を聞きましたが、その時は「昔の人が言ってただけでしょう」という認識でした。
しかし、今は”我(アートマン)”が肉体が滅んでしまっても生き続けて、また肉体的に生まれ変わってくるのだと信じています。(”我”より”魂”の方がしっくりきます)
なぜそう信じるのか、一つは感覚的にとしか言いようがありません。
また、もう一つはアーユルヴェーダの勉強していてどれも素晴らしいなと思っているにも関わらず、ここだけは信じ難いと否定するのは筋が通らないと思うからです。アーユルヴェーダがそう説くのだから間違いないだろうと思うからです。
アーユルヴェーダがすべて正解であると断言することは出来ないかもしれません。(日本語訳への解釈の違いなども含め)
しかし、こちらのブログはアーユルヴェーダのお勉強ですからこの考え方を信じて学びたいと思います。
人にそなわっている我(アートマン)は、人の死によって消滅することはなく、死と再生を無限にくり返していくというのが輪廻の思想です。
人の運命を決めるのは、その人自身の行為以外のなにものでもないと考えています。
裕福な家に生まれるか貧しい家に生まれるか、健康か病弱か、成功するか失敗するかなどは、現世と過去世のその人の行為の見返りなのです。
だからといって、自分の運命を呪ったり、失敗しても落胆したりせず、信念を曲げず、正当な方法で目標を達成できるよう努力しつづけないといけないのです。
そうすれば、その結果が必ず自分の上に現れると説いています。
人の究極の目的は、輪廻も含め、すべての束縛から解き放たれ、永遠至高の幸福の状態であるモークシャに達成することです。
苦悩の根源的な原因であるあらゆる欲望と野望を捨てることと、自分のほんらいの姿を知ることによってしかモークシャに到達することはできません。
人の存在を支えているのは我(アートマン)であって、その人の身体(シャリーラ)や、感覚運動器官(インドリヤ)や、精神(マナス)ではないことに気づくことが大切です。
アーユルヴェーダは、正統派哲学の輪廻の思想を取り入れています。
しかし、哲学が精神面の健康を実際に向上させることだけを論じているのにたいし、アーユルヴェーダは、精神面だけでなく身体面への配慮も同等に重要であると考えています。
アーユルヴェーダによると、身心の健康に気をつけることが人の信仰心を生み出します。
健康を増進するものはすべて神聖で、健康を害するものはすべて神聖ではないとみなします。
肉体的に健康でなければ、求道者として自分を高め、人生の究極の目標に到達することはできません。
(以上、「アーユルヴェーダ式育児学 アーユルヴェーダの基礎と小児科学」V•B•アタヴァレー著、潮田妙子/クリシュナ•U•K訳、春秋社、1994年発行 より引用)
インド六派哲学の項がこれで終了です。
五派しか出てきていないのです。
残る一派はウィキペディアによると、”ミーマーンサー学派”でした。
詳しくはウィキペディアを参考にされてください!
ウィキペディアさん
私は仏教の学校に通っていたので授業で輪廻の話を聞きましたが、その時は「昔の人が言ってただけでしょう」という認識でした。
しかし、今は”我(アートマン)”が肉体が滅んでしまっても生き続けて、また肉体的に生まれ変わってくるのだと信じています。(”我”より”魂”の方がしっくりきます)
なぜそう信じるのか、一つは感覚的にとしか言いようがありません。
また、もう一つはアーユルヴェーダの勉強していてどれも素晴らしいなと思っているにも関わらず、ここだけは信じ難いと否定するのは筋が通らないと思うからです。アーユルヴェーダがそう説くのだから間違いないだろうと思うからです。
アーユルヴェーダがすべて正解であると断言することは出来ないかもしれません。(日本語訳への解釈の違いなども含め)
しかし、こちらのブログはアーユルヴェーダのお勉強ですからこの考え方を信じて学びたいと思います。
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