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年間100本の劇場鑑賞、音声ガイドもやってました。そんな話題をきままに書きます。ネタバレもありますのでご注意を。

アジアの純真(2) トークショー 脚本家・荒井晴彦をなだめる二人の教授<ネタバレあり>

2011-12-24 23:54:40 | その他(邦画)
荒井「どうしてあそこで核なの?」「カタルシスがない」
寺脇「確かに、『太陽を盗んだ男』ほど、作るのに苦労はしてませんよね。」
そこから原爆・原発の話となる。
「原発も原爆も同じようなもんでしょう」
「この作品は震災前に作られました」
「国対国では使えないでしょう。」
「アメリカが使えなかったんだから、よそも使えない。使われるとしたらテロ」
等々

  (映画のラスト)東京でドカ~ンと、白煙の上がる大爆発。続いて、
   東京から南へ数百キロあたりの潜水艦から、ミサイルが発射され、
   ピョンヤンへ。ピョンヤンからソウルへと、さらに次々と爆発。

  確かに、突飛であった。荒井氏は、インタビューで
  『たとえば、男女のSEXシーンで「男女が抱き合う」としか書かないで、
  「あとはよろしく」とかいうんじゃダメで。どういう体位でするのか、
  そこまで書くのが脚本家の仕事なんです。』
  と言われている方なので、雑すぎるということなのかな。
  全般的に、粗いのはきっとほとんどのひとが思うことでしょう。

荒井「若松プロの弟子の映画」「まだあそこ(海に出る所?)でとめておけば。」
寺脇「映画の文法は完全にはずしてますね。」

   (映画の中盤)妹と、その姉が殺されるのをだまってみていた少年の、
   テロ活動と自転車で逃走の日々。しかし、そう長くはつづかず、警官に
   少女が撃たれる。かろうじて二人は逃げ続けるが、傷を負ったまま
   ボートで沖へと漕ぎ出す。

   『若松プロ』と聞いて、なんとなく、なるほどとう感じ。実は、映画のなかで、
   主人公に対して、テレビで『(前略)お姉さんを殺された妹が今回のような
   行動にでてしまったことを誰がせめることができるでしょうか。』と若松孝二
   監督にそっくりな人が話しているのを見て、よくみつけてきたなあ。セリフも
   監督が『(連合赤軍を)もう許してやってもいいんじゃないか』みたいなのを
   聞いたことがあったので、それを連想してピッタリだなあと思いました。
   ところが、あとからシナリオのキャストをみると『評論家 若松孝二』と、
   でているではありませんか。本人だったんですね。ビックリ。
   あともうひとつ、主人公が最後に行くところが東京タワーだったんでなぜ?
   とおもってました。話の流れから、国会ではないなあとはおもったのですが、
   なんでもっと最近の建物にしないのかと。でも、60,70年代と国家権力へと
   矛先が向かっていたことへの、対比として当時の象徴的建物として
   選ばれたのではと思いました。  

客席から鑑賞していた、京都精華大学マンガ学部の高取英教授も
トークに参加。なんとなくすねた感じの荒井氏を、二人の教授がなだめる
ような展開になる。
高取「わたしは、『俺達に明日はない』のボニー&クライドだと思いましたね。」
二人の銀行強盗の逃走劇であり、逃走中のホテルで男がインポだったこと
[『アジア』では、ラブホテルで少女が誘いながら、少年が関係をもてない場面]、
最後に画面の色使いが変わった[『アジア』では、最後に声のトーンが変わった]
という類似があるそうです。
荒井「超えないといけない。」

   私は、 『俺達に明日はない』は未見ですが、
   映画をみながら、少女役・韓英恵の不機嫌な表情は、『監督失格』の
   林明日香の表情を思いだし、高校生・自転車で逃走ということから 
   『17歳の風景』を思い出していました。(高校生が岡山で金属バットで母親を
   殴り殺して自転車で北へ向けて走り、15日後秋田で逮捕された事件に
   想いをえた、これも若松孝二監督作品)

すねる荒井氏を二人の教授がなだめるような展開で、
このあと再び核、吉本隆明『反核異論』、
(「アジア」の脚本家が?最新の)猿の惑星ラストシーンと一緒と言ったとか、
拉致被害者家族に対する映画の扱いに対して批判がでたこと
などなどの話がでて、興味深く聞かせていただきました。
時間は、30分ぐらいだったろうか?あっという間で、もっと聞きたかった。
寺脇氏がそろそろ時間に・・・と言うと
荒井「DX東寺(ストリップ劇場)どこ?」
寺脇「そうきたか」
これは最後で「絞める」という言葉にかけたんだろうか?謎である。
寺脇から、受付で『映画芸術』買ってくれた方には荒井氏(発行人)が
サインしますからという宣伝があり、拍手のなかで終了。

受付にパンフを買いに行くと、なくて、でも『アジアの純真』のシナリオが載って
いる『月刊シナリオ・11月号』があったので購入。その横では、寺脇氏が
「映画芸術どうですか。あれっ(荒井氏)どこへいったんだろう。呼んできます
から。この号(原田芳雄、追想)は、いいですよ。よそでは載っていない人が、
載ってますから。桃井かおり、も」と、よくしゃべる方だこと。1500円なので、
ちょっとまよったけれど『買いま~す』と言って購入。そしたら、呼んできて
くださり、「表紙はこれ、評判いいんだよね」(荒井氏)と言って、表紙をめくった
ところに、映画館の方が持ってきてくださったペンで、サインをいただきました。
つづいて、高取英教授、そして寺脇研教授にも、サインをいただき、私の
感想も述べました。

「映画、私はおもしろかったですよ。人間はどこまでいっても、個人はSTOP
できる。けれども、世の中はSTOPできないという映画だと思いました。」
これが私の感想というか、この映画で感じたことです。冒頭のチマチョゴリが
切られる場面でも、刺すつもりはなかった筈で、もみ合った末のアクシデント。
ラストの爆発も、主人公が思いとどまったと思えた瞬間、起動スイッチが手を
滑り落ちて、歩いている人に踏まれてしまい、東京炎上。さらに、ピョンヤンへ
のミサイルは、東京の爆発は、ピョンヤンから来たミサイルと誤解して、
撃ち返したと。つまり誤射。正常に機能していれば、大丈夫なことでも、
ひょんなことから思わぬ流れになって、本人の意思とは違う取り返しの
つかない結果となることは残念ながらある。でも、個人の範囲で言えば、
「もうだめだ、死ぬしかない、破壊するしかない」と考えて走り出しても
止まることができるんだよということを教えてくれているように思いました。

ところで、この映画は、公開してくれる劇場が2年間みつからなかった
とのこと。また、シネマトゥデイで『北朝鮮の女子高生を集団で殺したことへの
復讐劇・・・・日本人を皆殺しにする?あまりの問題作に上映不可能?』との
記事が1月にでてから、ネットでのバッシングが激しかったそうです。
まあ、日本での無差別テロであり、「世界はどうやったらかわるか?」という
私の目からみて、なんでこれ?と思ったのが2箇所あります。
-拉致被害者家族会の集会に行って、毒ガス入りのビンを投げたときに、
 ビンが割れる前に、演説をしている拉致被害者兄の目玉が落ちたこと。
(シナリオでは、「目玉」については言及ないので、監督の判断?)
-最後の爆破のシーンで、白いバラの花を咲かせたこと。
(シナリオでも、バラを咲かせるとの記述あり。)
この2点については、なんらかの理由があるのかもしれませんが、???
な部分で、挑発?問題作にするため?とも思えました。

でも、全般をとおしては、できの良し悪しというよりも、単純にやりたりことを
やっているなあというのがなんとなしに伝わってきますし、オリジナル
ストーリーということで、一種の爽快感をもって最後までみることができました。
主演の韓英恵も、はまっていたと思います。父-韓国人、母-日本人の
ハーフであり、本人も「ここまで自分の経験を役に投影したことはなかった」
と言っているだけのことはあると思いました。さらに、特技が短距離走で、
テロのあとに走るシーンに、有効に働いたと思います。

満足度70%、脚本家・井上淳一氏の次回作に期待します。



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