・・・・ 石走る垂水の上の早蕨のもえいずる春になりにけるかも・・・ 万葉集 志貴皇子
高校の教科書で習った。
この句の「垂水」は学校からおおよそ7,80キロ位の所にある神戸市垂水区あたりのことらしい。そんなことから親しみを覚えたのかも知れないが、やはり醸しだすムード・雰囲気が何となく好きであった。
万葉集は、おおよそ千五百年前の約三百五十年間の皇族、防人などの長歌、短歌など約四千五百首の歌集である。大伴家持の編集と言われている。
雄渾な調べ、直截な表現などは現在でも新鮮なものとして迫ってくるが、それらの光景は徐々に薄れて瞼に浮かぶだけになってきている。
この一首は、今の頃、三寒四温、温かいと思える日に浮かんでくる。「早蕨」の産毛のような感触が、陽炎のように周りの草いきれと調和して何んとも云えなく、もうすぐそこに春が来ているんだなーと・・・思ったころが懐かしい。
あの時代に「読み書き」が出来て歌など愛でるのは、高貴な方々だけで、下々の人々はそんなもの関係ない!関係ない!であったろう。
裸同然の作業衣に腰巻一本で働いていたんだろうと思うと、文盲率0に近い国に生まれ「駄歌」を玩んでいる幸せをもっと感謝しなければならない。
高校の教科書で習った。
この句の「垂水」は学校からおおよそ7,80キロ位の所にある神戸市垂水区あたりのことらしい。そんなことから親しみを覚えたのかも知れないが、やはり醸しだすムード・雰囲気が何となく好きであった。
万葉集は、おおよそ千五百年前の約三百五十年間の皇族、防人などの長歌、短歌など約四千五百首の歌集である。大伴家持の編集と言われている。
雄渾な調べ、直截な表現などは現在でも新鮮なものとして迫ってくるが、それらの光景は徐々に薄れて瞼に浮かぶだけになってきている。
この一首は、今の頃、三寒四温、温かいと思える日に浮かんでくる。「早蕨」の産毛のような感触が、陽炎のように周りの草いきれと調和して何んとも云えなく、もうすぐそこに春が来ているんだなーと・・・思ったころが懐かしい。
あの時代に「読み書き」が出来て歌など愛でるのは、高貴な方々だけで、下々の人々はそんなもの関係ない!関係ない!であったろう。
裸同然の作業衣に腰巻一本で働いていたんだろうと思うと、文盲率0に近い国に生まれ「駄歌」を玩んでいる幸せをもっと感謝しなければならない。