作品のバックストーリー込みで音楽を聞くのが常な私なので、先日起きた「実は別の人が作曲していた話」については、そう聞いてショックを受ける側の人間なのだろうと思っております。今の私がショックを受けていないのは、ただ単にその方の音楽を聞いたことないからなだけです。
私は音楽を演奏したりしませんから実は違うのかもしれませんが、演奏家さんはその曲を深く理解しようと、曲のバックストーリーを調べたり想像したりはしないんでしょうか。ライブやら演奏会やらのMCで
「いや、私は楽譜に書かれた音の並びと重なりを忠実に再現するのが仕事です。」
って仰ったら、私は悪い意味でドキッっとしてしまいます。それが表面的な言い様だったとしてもやっぱり、
「カレル橋から見たヴルタヴァ川を想って演奏します」
とか、
「一度祖国を離れたスメタナが、何を思いながら帰って来て曲を作ったかを表現したいと思います」
とか仰られる方がスメタナ作曲「わが祖国 第2曲ヴルタヴァ」を演奏して下さったほうが安心します。音のつながりと重なりなら機械の方が正しく再現できますから。やっぱり私は、曲に込められた思いを自分なりに解釈して自分の声や楽器を通じて表現してくれる、もしくは表現しようと模索してくださる方を応援したいと思うのです。
その裏っ返しというか表っ返しというかなんというか、私はどうも、好きな曲であるほど音の並びや重なりの妙だけで音楽を聞くことが苦手です。例えば、スメタナのヴルタヴァは私の好きなクラシック曲の1つですが、ボヘミア出身のスメタナが祖国を象徴するヴルタヴァ川を想って作ったという要素がとても重要で、だからこそあの綺麗なメロディに川の流れを感じるのです。仮にもし
「いや、スメタナはボヘミア出身じゃないし、元々スメタナはヴルタヴァ川なんか一切気にかけてないし、そもそもスメタナ作曲じゃないよ」
みたいな話が出てきたら、ショックでしばらく立ち直れないかもしれません。立ち直れないのは言い過ぎですが、しばらく聞かないでしょう。
これは元々ゲーム音楽好きなところも影響しているかもしれません。ストーリーやシチュエーションと音楽が密接に繋がっているゲーム音楽を好んで聞いていたので、ストーリーやシチュエーションを想像しながら音楽を聞くのが当たり前になってしまっているのでしょう。
とは言うものの、バックストーリーを加味しない、音の並びと重なりだけで音楽を聞く人がいたとしても、それはそれで素晴らしい聞き方だと思いますし否定したくありません。音楽の聞き方に好みこそあれ、正解があるとは思えないのです。好きなように聞いて、好きなように感じればいいのではないでしょうか。好きなように演奏してもいいと思います。好きな様に作曲してもよいでしょう。あくまでも“私は”バックストーリーを加味しながら聞くしバックストーリーを加味して演奏する方を応援するし、バックストーリーを込めた音楽を好きだ、、、という話です。