歳を重ねると楽しいとか賢くなるとか・・・・みんな戯言なんだよ。

感じるままに、赴くままに、流れて雲のごとし

のぞまぬことばかりがこの身に降りかかる時に・・・・

2015-11-29 | 日記

会社組織を抜け出して4年の時が流れた。

定年退職して何かをどうこうしようなんて思ってもいなかった。

バンドの仲間の手前上、ライブハウスでもやりたいなぁ~なんて口走ってた。

でも、心底、やりたかったわけでもなく、カミさんが猛反対することも分かってた。

だから、周りの人々の期待を裏切ってしまったようだ。

でも、裏切ったからと言ったって何が変わるわけでもない。

信頼を失ったに過ぎない。

他人の評価を気にして生きていくほどのー天気ではないんだ。僕は。

勝手に好きになられて、期待に応えないからと言って腹立たしく思うともだちもいるけれど・・・・

だから、それが何だって言うのだろう。

好きにさせておいて・・・何よ!

そんな風に僕を責める人もいないわけではない。

ゴメンなさいね!

って、笑顔でお返しするんだ。そんな時はね。

 

 

そんなこんなで1年ぐらいを過ごして、辞めた会社へ誘ってくれた先輩からの連絡。

退社寸前の頃。

誘われるままに、5人の人間と会った。

全て深い付き合いのあったヒトはいなかった。そけが、キッカケ。ホントはね。

真夏の暑い日だった。

先輩の腹づもりは分かっていた。

金儲けをしたいわけでもない。さりとて貧乏にはなりたくない。

先輩もサラリーマンとして挫折したわけで・・・・ただ、望む会社の社長になれなかっただけだけれどね。

ただ、それだけ。そして、イイ歳をしても人気ものでいたい。そんな、気分を満たしてくれるにはそれなりの人間が自分の周りいてほしい。

気持ちは凄く分かる。

僕も、そうだったんだ。サラリーマン時代は。

ヒトは自分で自分を評価するのが苦手なんだ。

評価には客観性が必要なんだろう。僕は決してそうは思わないけれど。

だって、人は誰もが自分が一番大切なんだから。

自分自身を好きだと思う時が一番幸せを感じるんだ。

で、僕は自分が一番好きだなんて思っているわけじゃない。

ただ、好きになろう・・・・なんて、時々努力するんだ。体育系運動部基礎練習みたいにね・・・

最もメンドクサイと思うことをコツコツやるんだ。反復なんだ。

 

そんな、こんな。時は流れた。4年という月日。

客観的に長い時の流れだった。

会社としての売り上げも安定してきた。

少ないけれど固定的に給料と交通費。そして週1回の飲み代ぐらいは払える。

そんな実態。

しかし、安定が働く人間にいい効果を生み出すとは限らない。

いつもいつも・・・てことだけどね。

 

僕の原点はチームが必要だってことだけなんだ。

今の6人が集まってある種の仕事をすることの意味。

なぜ、彼らなのか・・・・

どうして、彼らでなくてはならないのか・・・・・。

 

先週の金曜日に同僚の人から言われたんだ。

社長をやってくれ!

なんてことだ。

またまた自分意志とは全く反対の方向が生み出されていく。

いまのこの会社に社長などという役職など何の意味もありはしない。

対外的な体裁のため・・・・なんて人は言うかもしれない。

 

しかし、会社組織なんてものはなんの役にもたたない。

今のこの時代にあっては・・・・そう、想う。

思いなんて一つにならなくていいんだ。

個人個人が責任を感じ、ひとりひとりが「責任は僕が持つよ」

なんてことを心ひそかに思いながらコトを進めなくては上手くはいかない。

でないといいモノなんて出来上がったりしないような気がする。

 

僕のささやかな世間に対する挑戦。

既存の組織に当てはまらない会社だけれど、いい仕事をするな~

そんな声がささやかれる会社でありたいと思う。

社長を引き受けるのであればそれが条件なんだ。

 

ドラッカーは言ったんだ

「会社組織では階層は少なければ少なす方が良い。なぜなら階層はイノベーションを阻害するからだ」

その通りだ。

以前の会社だってそうだ。

社長になった途端。人が変わる。

まるで別人になるんだ。

被害者意識が生まれる。会社のコトを真剣に誰も考えない。私以外の人間はみんなぶら下がろうとしている。

その為には怠ける人間をどんなことをしても糾弾しなくてはならない。

寛容さは排除され、優しさは甘さとつながる。

厳しさが組織をまとめる最大のコツ。

恐怖こそが、人を動かす原動力。

みんなヒットラーかゲッペルスのような気分になるんだろう。

ヒトが動くのは、哀しみの克服のためなんだ。

 

そんな気がしてならないんだ。

 

でも、それが正解である・・・・。そんなコト露ほどもおもってないけれどね。

 

また、明日、考えよう。

 


わかりあうということは、そんなに難しいことじゃない・・・・

2015-11-25 | 映画

長い間観たいと思っていても何故か観ることができない映画ってあるんだ。

観る気がそもそもないんだろう・・・・なんて思うこともしばしばあるけれど。

そうじゃないんだ。

たぶん、神様が今、見る時じゃないんだ!なんて、教えてくれていたんだと思う。

 

「バクダット・カフェ」

 

1989年に公開された、ミニシアター全盛のころの時代。

僕の記憶には鮮明に刻まれている時代。

何もかもが輝いてなどいなかったけれど、猫の額ほどの野心と愛してやまない女と出会えた時。

欲望だけが前のめりで明日も明後日も違ってた。そんな日々。

 

歳を重ねて、特に込み入った悩みがある訳じゃないけれど

寝つきの悪い夜もある。

いや、眠るのが惜しいと思う夜。

 

特に見たい番組があるわけでもなくテレビのスイッチボタンを押した。

BS放送のミッドナイト・シアターってヤツ。

 

で、この映画が始まった。

長い間観たいと思う映画は、時としてこんな風にして観ることができたりする。

 

 

ストーリーを要約すれば“女の友情”のお話。

面白いなぁ と思ったのは西ドイツ女性とアメリカ女性の友情の話だってことなんだ。

この映画が公開された年にベルリンの壁が崩壊した。

決して政治的な意味が含まれている映画じゃないんだけどね。

どう欲目に見ても魅力的とは思えないドイツ女性とイラツキが最も似合うアメリカ女性が

完璧なほどコミュニケートできてしまうまでの話。

 

大袈裟に言えば育った環境や文化が異質にも関わらずに仲良くなっていく道程が魅力的なんだ。

きっかけはお互い、胸の奥にしまい込んだ“哀しみ”に触れ合てしまったことで、

全てが、良い方向に転がり始めるということ。

 

愉しいことや嬉しいことは他人と共有しやすい。でも、哀しさや辛いことは共有しずらい。

この二人はホントの哀しみを知っていたんだ・・・なんて思わせるところが映画のあちこちにちりばめられている。

この“哀しみ”ってヤツは厄介。すぐに憎しみへと変わってしまうんだ。どうしてなんだろうね?

たぶんだけれど、寄り添うことができなくなっちゃうんだ。

「辛い」からね・・・・・。

でも、この二人は違うんだ。

ちゃんと、寄り添うだよ。

そう、言葉なんて無意味だし慰めなんてウザイしね。ただ、傍にいるだけでいいんだ。

そんなことをこの映像が教えてくれている。

物語の背景は砂漠。

ラスベガスのすぐそばのような感じ。クルマは行き交っているし荒寥感はない。

でも、殺伐としてる・・・・そんな状況、群衆の中の孤独・・・みたいな雰囲気。

 

ひと皮むけば人は誰でもが荒野を抱えている。だから、一歩間違えば、人を傷つけることで満足したりする。

 

いま、僕が生きているこの時代も変わりはしない。

 

なんだか・・・・人に寄り添うことを、もう一度やり直さなければならない。

そんな気になった。

 

そして、この映画のエンディングは見事だった。

この店で行き交う人々はみんなハッピーになってしまう。

ただ、映画に登場しないドイツ女性の旦那様だけが不幸なまんまのように思えた。

男はいつの時代でも・・・辛いんだよね。

 

もうひとつ面白いと思ったのは、女の友情の特徴。

ドイツ女性が、この店の常連客の画家擬きの爺さんに求婚された時の返事。

「彼女に聞いてみるわ」

だった。

 

 

 

 


不安に駆られると・・・・人を責めはじめる。

2015-11-09 | 音楽

もともとが理論などと言うものとほど遠いところ、そんな処に身を置き、日々を過ごしてきた。

理屈に合わなくても特に不便ではなかった。

整然と理に適った事柄に出会うと・・・・「ウソだろ?」

とりあえず、思った。そんなはずはない・・・・。

大概にその通りだった。

理屈や理論はすべからく、割り切れなくてはならない。

端数が出ない様に初めから仕組まれているものなんだ。

 

一か月ぶりにバンド練習。

正直に言えば音楽理論などなくても楽しめる。音楽はね。

バンドもやっていけるのだ。

しかも、存分に楽しめる。

 

しかし

メンバーが4人ともなればそうは行かない。

世代も違うし、それぞれの暮らしの環境も違う。

一番年下。やっと40歳代に突入するギターリスト。

存在感は希薄。当たり前なのだ。

 

練習後の飲み会で、最近は音楽理論を振りまく。

はた迷惑な話なんだけれど・・・・それに付き合う。

しかしながら、その理論が正しいかどうかなんて問題ではないのだ。

練習曲をどれだけ聴き込むかどうかが問題なんだ。

別にこのバンドはオリジナル曲を作って売りだそうなんて思っているわけではない。

あくまでアマチュアバンドでありたいと思っている。

それは生活を維持するために懸命になって働きながらも好きな音楽を気の合う仲間とやっていこう

そんな意味なんだ。僕のアマチュアと言うのはね。

楽器の演奏スキルや歌の技術には当然のように落差がある。

その落差を埋めるべく彼は理論武装をしてしまう。

多分に誰からも責められるのが嫌なのだろう、間違っていると言われるのが怖いのだろう。

いくら理論を構築したってギターはうまくならない。

 

 

うまくなるにはどうすればいいのか?

馬鹿になればいいのだ。

馬鹿になって練習するしかないのだ。

考えてはダメ。想像するのだ。感じるのだ。

 

まずはペンタトニックで泣かなくてはいけない。

と、ベーシストが言った。

世の中にはいい見本が山のようにあるのだ。

かっては、ステージを観なければわからなかったことが、DVDで知ることができる。

音を見ることができるのだ。

時代は飽きれるくらい合理的にしかも陳腐に進んでしまっている。

 

真似事、模倣、すべてはそこから始まるのだ。

誰にも負けたくないから・・・・勝ちたいと思うには

まだ早すぎる。