歳を重ねると楽しいとか賢くなるとか・・・・みんな戯言なんだよ。

感じるままに、赴くままに、流れて雲のごとし

あれから22年も時が流れた・・・

2013-12-30 | 映画

彼女と初めて会ったのは、彼女が19歳。

そして僕は40歳だった。

あれから長い年月を重ねてきた。

最初からもうすでに波長がピッタリだったんだろう。

そんな彼女とその友達との飲み会。

3軒目でも潰れる気配なかった。

しかし、不思議なくらい距離感が理解できるのだ。変にべたべたしないけれど・・いや、べたべたはする。

距離感というのは、気持ちと体と両方のことだ。

近すぎず、遠すぎずということなんだろう。四六時中思っているわけではない。

突然会いたくなったりして、その時は彼女も会いたがっている・・・そのタイミングがピッタリと合うのだ。

まさに寸分の狂いもなく会いたがりあうのだ。

一緒にいて苦にならないのが何よりも楽しい・・・負担に感じないのだ。

しかし、それはお互いを鋭く観察しているからなのだろう。

そして、インスピレーション。してほしいことが即座にわかるんだ。

長い時間をかけて愛し合ってきたからだろう。

しかし恋ではない。

燃え上がるものはない。ただただ・・・お互いのシアワセは何なんだろうて考え、感じながら同じ時を過ごしている。

彼女の喜ぶことはなんでもしてやりたい。そして、僕もしてほしい。

しかし、感情の昂ぶりはないのだ。

昨夜の飲んだくれ状況をものともせず、海を見に行った。

最高の天気に恵まれて富士山がいつもよりデカク見えた。

そして、荒崎蟹を程よく食べた。

 

しかし、今度はいつ会える・・・・・会いたいと願う気持ちがこの胸に湧き上がるまで待つことにする。

 


永遠の0を観た。

2013-12-27 | 映画

あまり見る気持ちはなかった。

池井戸なんたらと百田なんたら・・・この二人が書く小説には興味がなかった。

理由は簡単で、現状のベストセラー作家であるということだけ。

ほかに理由は見当たらない。

万人がもてはやすものに本物はない。なんて、生意気なことを思っているからなのだろう。

しかし、映画は別ものなのだ。

なんだか、こう書いてみて矛盾だらけだと思うけれど・・・仕方がないのだ。性癖だから・・・・

永遠の0。

渋谷のTOHOシネマ、彼女と一緒に観た。別にせがまれたわけでもない。

映画を一緒に見たいと言い出して、「永遠の0」って言い始めて、それに同調してしまった。

どうして・・・かって?

ここしばらく元気のないことを知っていたからだ。

零戦の卓越した航空操縦技術を持つ祖父の過去を調べていく形で物語は進んでいく。

見始めて驚いたのは、最初の零戦が飛ぶシーン。実写まがいのCGなんだ。

現物を細目まで作りこんだ零戦に驚き、まるで一緒に空を疾走している感じが観客に伝わってきた。

ストーリーはいたって簡単。

自分の祖父の過去を調べていくウチに自己に目覚めていく・・・という話。

いまの若者の思考停止脳をなんとか刺激したいと願っての映画制作のような気もする。

しかし、そう思うのは多分間違いなんだろう。

なぜならば、自分の頭で考えようなんて決して思わないからだ。。。いまの20歳以降50歳未満は。

これだけインタネットでクリックすれば溢れる程の情報が手に入る。

そして、その情報を鵜呑みにする転写する。コピペするというらしい。

だから自分の頭や皮膚で感じ取って良悪しの判断をしない。

また、その判断基準は多数決だからだ。

しかし、この映画は、そんな若者をあざ笑うかのように、第二次世界大戦の日本の戦いぶりを解説していく。

自分の身内のものが恥さらしと呼ばれることで目覚めさせてしまう。

どんなことをしてもこの戦争から生きて帰る、家族のために。

だから、戦わない。

しかし、戦況が悪くなっていく。操縦技術を教えるだけで済むはずがないではないか・・・

若者をカッコよく死なせるための技術を国家存亡という大義名分を理由に後押ししてしまっている自分に気づくのだから。

この二律背反など昇華するすべなどだれにもあろうはずがないのだ。

だから、特攻なんだろう。

自らの命を持って、生まれ変わるきっかけを作ろうとしたんだと思う。

この戦争は間違であった・・・と伝えるためにだ。

彼らの死にはどんな意味があるのか?

そして、どうすれば良いのかを死ぬことによってでしか教える術はなかったんだろう。

敗戦で国を変えなければならぬほどのひどい国だったんだろう・・・あの頃の日本は。

しかし、残念なことに我々は経済至上主義だけを錦の御旗にしてしまった。

いまさらあの戦争のことの意味など誰も問いかけはしない。

いつ誰が戦争を始めたのか・・・そして、何のために、そして何が悪かったのか・・・・

そんなことを問いかけ調べる若者などいやしないのだ。

それは、この国には、基盤がないからなんだろう。この国を作った理由が明確ではないからだ。

憲法でもなく、法律でもない。

あるとすれば他国し比較しての日本でしか現しようがないからだろう。

実に悲しくて哀れなんだろう・・・・死んだもの、いや、犠牲となった人たちに対してどう報うのか。

その問いかけを始めた途端にみんなが口を閉ざし、思考を停止させてしまうのだ。

なぜ、どうしてなのか・・・・・考えても分からないからだ

調べても答えが見つけられないからだ。

けれど、学習することはできるのだ。

あるとすれば、いまの日本人にできるのは「学習」すると言うことだけだろう。


あの頃のこと・・・・

2013-12-23 | 音楽

ブレッド&バターを初めて聴いたのは高校生の頃だったと思う。

その頃のテレビ番組と言えば結構視聴率を取ってたわけで一日30分は何かしら放映されていた。

夜のヒットスタジオだとか、ミュージックフェアだとか・・・それはそれで歌謡曲でなければ音楽じゃないとばかりに

ラテンであろうが、POPSだろうがごった煮で一つの番組を作ってしまったようだ。

でもそれが魅力となっていたようだ。

音楽に興味を持ち始めた人間にとっては格好の時代だったのかもしれない。

そんな中でギター一本で男デュオ「ブレッド&バター」だった。

湘南なんて地域は知らなかったし、加山雄三がカッコいいなぁ~とは思っていたけれど

それもすぐ飽きていた頃だった。

で、いったい7なにが良かったんだと言われれば、ハイトーンボイスハモなんだろうけれど

不安定なハモリが決して心地よかった訳じゃないんだ。

二矢のギターと声が好きだったんだろう・・・今になって思えばね。

サイモン&ガーファンクルが少しだけはやり始めてたけれど、それには及びもつかなかったからね

でも、なんだかその必死な姿が好きだったんだろう。

「傷だらけの軽井沢」なんて恥ずかしすぎる歌でデビューなんて信じられないんだけれど、

それでも好きだった。

あれから40年。ほとんど聞かなくなっていたけれど、いまこの歳になって改めて聴くと、とても新鮮な気分になってしまう。

この気持ちはいったいなんなんだ。

まあ、成長がないということなんだろう。

過ぎてしまったことは、消し去ることはできないし、リセットすることは不可能なんだ。

それを踏まえて、それを噛みしめて、自分を好きにならないとどうにも進めなくなってしまうんだ。

どうにもこうにもならんことを思い悩んだとしても解決はしないんだから・・・・。

 

 

 

 


過ぎてしまえば・・・・

2013-12-15 | 音楽

昨夜は自分のバンドの忘年会。

1年間を8曲のみに絞り込んで練習して、ライブをやって、練習して・・・その繰り返し。

最後のライブが一番満足できる仕上がりだった。

ビデオを見る限りにおいてはね。

いずれにしても、楽しめた一年だったことに変わりはない。

多くのアマチュアバンドと知り合い、そのスタッフたちと語り合ったことはこれから役に立つであろう。

ただ、バンドメンバーのスタンスには辟易する一方だし、いつまでもこんなことが自分の中で保てるかが問題なだけだ。

いまやろうとしてることに、何の意味もないことは分かっている。

仮にあるとすれば・・・・楽しかったと、誰かが言うだけだ。

そんなに優しい人間じゃないことは分かってる。僕は、

でも、それほど冷たい人間でもない。

でも、人はどうしてなんだろう。なんでもかんでも誰かを充てにしてしまうのは。

ただ、誰かが段度ってくれるのをジット待つ奴とそうでない奴。

待っている奴は待っていることすら知らない。

声がなかなか掛からないと言って怒り出す奴。助けようともしないで、ただただ文句を言う奴。

利用したいだけなんだろう。

哀しい事ばかりが起こる日々だ。


中央沿線ライブハウス気質・・・スリー

2013-12-14 | 音楽

そう、1969年以降のこのあたりは学生の恰好の棲家であった。

バンからでもなく、限りなく軟派な学生たちで溢れて、愛と自由を叫んでいたあの頃・・・・

高円寺、荻窪、阿佐ヶ谷・・・武蔵野たんぽぽ団なる素敵なバンドも暮らしていた。

のどか・・・というしかないそんな時代。

確かに「文化」だったんだろう。結局は所得倍増計画、列島改造論、バブルと経済至上主義一色となる流れ。

そんな中で、音楽文化は少しづつ根付いていたんだろう。

そんな時代に生まれたのがこの店なんだろう。

しかし店はオーナーのものでもなくミュージシャンのものでもなく・・・・この地域のモノなんだ。

 

そんなことをフト思い返しているうちに1曲目が終わる予感も緊張感もなく終わった。

礼儀で拍手はする。

また、MCが始まる。

何を言っているのか全く分からない。思考停止状況。でもお客は静かに笑を送っている。

仲間内だけにしか通じないジョークはジョークではないのに・・・・・

「まあ、そんなに固いこと言わないで、リラックスして私の演奏をきいてくださいよ・・・そんな緊張されると私が困っちゃいますよ」

まさか、口にしていないけれど、そんな心の声が聞こえてきたんだ。

僻みや妬みではない。

緊張している心身をほぐすのはミュージシャンの技量。

そんな気持ちとは裏腹に進行していくステージ。

で、次なる演者はコーラス女子2名とリード。片手にIpad。

歌うは「アントニオの歌」。しかも、ガンミしながら歌われた。そして、取り出したるアルトサックス。

ピアニッシモになると音が鳴らない。でも、平気なんだ。

これも余興ですわ・・・のような雰囲気で、平然と吹いてしまう。

もう、僕も、限界に達しつつあった。

お客はそれでも、楽しそうに聞いている。ノッテいるフリをしているのかノッテルのか・・・・意味不明。

 

もうこのムードには耐えられない。

隣の男女はなにやら怪しげな雰囲気を醸すし、下品な目線で語り合うし、

難しそうな顔で不気味なリズムを刻む一人客。

まさに異空間に入り込んだ自分を嘆くしかなかった。

あと、2~3曲は演奏があったんだろう。覚えてはいない。

 

でも、僕の友達の友達のギターはとてもよくて、素晴らしかった。

せめてもの救いだった。

そんなわけで、ブレイクに入った途端に、決心してしまった。

やっぱり、彼女に会いに行こう。約束を撤回して、ケータイを握りしめた。